menu list買取商品 - イチローズモルト 羽生10年 ファイナルビンテージ・オブ・ハニュウ 2000 フォーザテイスター
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イチローズモルト 羽生10年 ファイナルビンテージ・オブ・ハニュウ 2000 フォーザテイスターの高価買取致します
イチローズモルト 羽生10年 ファイナルビンテージ・オブ・ハニュウ 2000 フォーザテイスターのご紹介
買取参考価格 | 40000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | ベンチャーウイスキー羽生蒸溜所 |
地方 | 埼玉県 |
地区 | 羽生市 |
分類 | シングルモルトウイスキー |
タイプ | 700ml/48度 |
ジャパニーズウイスキーの中でも、今最も人気を集めているイチローズモルトのラインナップです。
こちらの「ファイナルビンテージ・オブ・ハニュウ 2000」は、かつて東亜酒造が所有していた羽生蒸溜所が閉鎖された最後の年、2000年に蒸溜した原酒を10年間熟成させ、2010年にボトリングした1本です。
ホグスヘッド、パンチョン、アメリカンオークシェリーバット、スパニッシュオークシェリーバット4つの異なる樽の個性あふれる原酒をブレンド。
それぞれの個性を最大限に引き出すためにアルコール度数を48%に調整し、ノンカラー、ノンチルフィルターでボトリングしたシングルモルトウィスキーとなっております。
イチローズモルト 羽生10年 ファイナルビンテージ・オブ・ハニュウ 2000 フォーザテイスターの歴史
今はなき羽生蒸溜所最後の蒸溜となった原酒を使ったイチローズモルト
■人気沸騰中のジャパニーズ・ウイスキー
「イチローズモルト 羽生10年 ファイナルヴィンテージ・オブ・ハニュウ 2000 フォーザテイスター」は近年ジャパニーズウイスキーの中で最も人気を集めていると言っても過言ではない、ベンチャーウイスキーが製造するイチローズモルトのラインナップのうちの1本です。
「イチローズモルト 羽生10年 ファイナルヴィンテージ・オブ・ハニュウ 2000 フォーザテイスター」は、羽生蒸溜所で2000年に蒸溜した原酒を10年間の歳月をかけて熟成させ、2010年に株式会社ベンチャーウイスキーがボトリングしました。
羽生蒸溜所はかつて東亜酒造が所有していた蒸溜所でしたが、2000年を最後に蒸溜は生産を停止し、閉鎖しています。
理由は経営難によるもので、羽生蒸溜所閉鎖となった最後の年の2000年に蒸溜した原酒が、「イチローズモルト 羽生10年 ファイナルヴィンテージ・オブ・ハニュウ 2000 フォーザテイスター」で使われることとなりました。
「イチローズモルト 羽生10年 ファイナルヴィンテージ・オブ・ハニュウ 2000 フォーザテイスター」の特徴は、ホグスヘッドとパンチョン、アメリカンオークシェリーバットにスパニッシュオークシェリーバットという4つの異なるカスク(樽)で熟成させた個性あふれる原酒を厳選し、丁寧にブレンドしているところです。
またそれぞれの樽が生み出す個性を最大限に引き出すため、アルコール度数は48%に加水して調整しています。
さらに無香料(ノンカラー)の冷却ろ過なし(ノンチルフィルター)でボトリングし、さまざまなカスク由来の風味と自然のままのウイスキーの味わいが楽しめるシングルモルトウイスキーに仕上がりました。
琥珀色の液体が詰められたボトルには目を引くような紅いラベルがプリントされており、落ち着きと華やかさのあるボトルデザインも、ウイスキーの味わいや香りとともに人気沸騰中です。
■ベンチャーウイスキーと羽生蒸溜所の関係
「イチローズモルト 羽生10年 ファイナルヴィンテージ・オブ・ハニュウ 2000 フォーザテイスター」を生産している株式会社ベンチャーウイスキーは、2004年9月に埼玉県秩父市に設立された会社です。
埼玉県羽生市にあった羽生蒸溜所の原酒をなぜベンチャーウイスキー社が所有しているかと言いますと、ベンチャーウイスキーの創業者と羽生蒸溜所の創業者が孫と祖父の関係にあるからです。
1965年(昭和40年)に埼玉県秩父市で生まれたベンチャーウイスキーの創業者・肥土伊知郎(あくといちろう)氏の実家は、江戸時代から続く老舗の日本酒の蔵元でした。
その蔵元の21代目として誕生した肥土氏でしたが、家業を継ぐ気はなかったと言います。
祖父はすでに羽生蒸溜所を建設・運営しており、父親も家業を継いでいたため、肥土氏は酒造りとはまったく縁のない道を選びました。
しかし希望する大学に入学できなかった肥土氏は、父の勧めで受験した東京農業大学に合格し、大学で醸造学を専攻します。
そして大学卒業後はサントリーに入社し、ここから肥土氏はお酒に関わる人生の一歩を踏み出したと言っても過言ではありません。
■東亜酒造の再建断念とベンチャーウイスキーの設立
大学を卒業しサントリー入社が決まった肥土氏は、父から「戻ってこないつもりで仕事しろ」と言われたと述懐しています。
そして肥土氏自身も定年まで勤めあげるつもりでいましたが、まさか羽生蒸溜所を運営していた東亜酒造の経営難で実家に戻ることになるとは夢にも思っていなかったことでしょう。
東亜酒造は祖父から父の代になって経営が悪化し、業績が傾いていく中肥土氏は父から家業の手伝いを要請されます。
実家の酒造会社を立て直すため戻った肥土氏でしたが、2000年に東亜酒造は経営破綻してしまいました。
そして民事再生法が適用され、羽生蒸溜所は2003年に日の出通商に売却されます。
日の出通商はウイスキー事業の撤退を決めていたことから、肥土氏は羽生蒸溜所にあった貴重な原酒の引き取り先を確保するために奔走します。
そして笹の川酒造(福島県)の協力を得、2004年に東亜酒造が日の出通商グループ入りをしたことを見届け、同年9月に株式会社ベンチャーウイスキーを設立しました。
このとき肥土氏が羽生蒸溜所の原酒を守っていなければ、「イチローズモルト 羽生10年 ファイナルヴィンテージ・オブ・ハニュウ 2000 フォーザテイスター」は生まれなかったと考えると、非常に感慨深いものがあります。
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