menu list買取商品 - イチローズチョイス ピーテッド ゴールデンプロミス 1994
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イチローズチョイス ピーテッド ゴールデンプロミス 1994の高価買取致します
イチローズチョイス ピーテッド ゴールデンプロミス 1994のご紹介
買取参考価格 | 105000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | メルシャン軽井沢蒸留所 |
地方 | 長野県 |
地区 | 御代田町 |
分類 | シングルモルトウイスキー |
タイプ | 700ml/61度 |
2000年に惜しくも操業を休止したメルシャン軽井沢蒸留所ですが、肥土伊知郎氏がウィスキー造りの勘を取り戻すためにメルシャンと交渉し、1ヵ月ほど軽井沢蒸留所で仕込みを行ったウイスキーがこの「イチローズチョイス ピーテッド ゴールデンプロミス 1994」です。
特別に入手したグレンリヴェット樽で熟成したことにより、ほんのりグレンリヴェットの風味が感じられるウイスキーに仕上がりました。
少しオイリーで、ハチミツや麦芽糖のような甘やかな香りに、口の中で広がるピート感と大麦の深みを感じる味わいが特別な逸品となっており、買取でも人気の一品となっております。
イチローズチョイス ピーテッド ゴールデンプロミス 1994の歴史
4000樽の原酒を守る挑戦から生まれた新たなウイスキーメーカー
■日本が誇るウイスキーメーカーと言えば
日本がウイスキーにおける世界5大産地の1つになったのには、二人のパイオニアの存在が欠かせません。
一人は1906年創業の寿屋洋酒店、現在のサントリー創業者・鳥井信治郎、もう一人が1934年創業の大日本果汁株式会社、現在のニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝です。
特に技術者としてウイスキー造りに取り組んだ竹鶴政孝は、ジャパニーズウイスキーの父としてその偉大な功績をたたえられています。
一方の鳥井信治郎は巧みな宣伝と先を見通す目を持っていたことが、日本のウイスキー発展に大きな功績を残しました。
二人は全く異なる功績から評価を受けながらも、日本のウイスキーを世界に通用するものにした功労者であることは、歴史が証明しています。
その後、目立ったウイスキーメーカーが生まれなかったのは、この二人が成し遂げた功績があまりにも偉大だったからだと言えるでしょう。
そんな中、ついに鳥井信治郎が興した寿屋洋酒店の1906年創業から数えること98年後、日本に世界から大絶賛されるウイスキーメーカーが誕生します。
それが、秩父に拠点を置く株式会社ベンチャーウイスキーで、創業者は東亜酒造で羽生蒸留所を運営していた祖父を持つ肥土伊知郎(あくといちろう)です。
■サントリーで夢破れた皮肉
東京農業大学で醸造学を学んだ肥土は、技術者としてウイスキーを造りたいという夢を持ってサントリーに入社します。
図らずもサントリーとの縁を持った肥土でしたが、大学院修士課程修了者しか山崎蒸留所の技術者にはなれない規定を設けていたサントリーでは、ウイスキーを造る技術者にはなれないという現実を突きつけられ、退社して実家の東亜酒造に戻ることにしました。
しかし、実家の酒造会社は経営難に陥り、売却されることになったのです。
さらに、買取先ではウイスキーは造らないことから、売却条件として原酒の樽すべての処分を突きつけられました。
祖父から父へと大切に守られてきた原酒の樽は4000本もあり、この原酒の価値を知っている肥土としては、むざむざと処分するわけにはいきません。
保管先を必死に探す肥土でしたが、サントリーには断られてしまいます。
そんな中、引き取り先として名乗り出てくれたのが、福島県の笹の川酒造でした。
保管場所を提供してくれたことで、肥土は4000もの原酒の樽を守り抜いたのです。
■世界を驚かせたイチローズ・モルト
鳥井信治郎が寿屋洋酒店を創業してから98年の時を経た2004年、肥土は秩父に株式会社ベンチャーウイスキーを興します。
肥土の強みは、創業した時点ですでに祖父から父へと受け継がれた原酒が4000樽もあったことでした。
肥土は笹の川酒造に指導技術者として通い、モルト原酒だけを使うバッティングという方法によって、イチローズ・モルトを生み出します。
一般的にモルト原酒とグレーン原酒をブレンドしたブレンデッドウイスキーが最も飲みやすいとされているのは、両方のいいとこどりをしているからです。
ただ、肥土自身は祖父がそうであったように、モルトウイスキーに強いこだわりを持っていたことから、モルトウイスキーだけを使うバッティングを選んだのです。
その結果生まれたイチローズ・モルトは世界中で大絶賛を浴び、数々の賞を受けます。
寿屋洋酒店の創業から98年の時を経て、サントリーとかかわりを持ちながらも、そのつながりは長くは続かず、自らのウイスキーブランドを立ち上げるに至りました。
2007年には秩父蒸留所を完成させた肥土は、ジャパニーズウイスキーの歴史において、第三の功績者としての足跡を刻み始めたと言えるでしょう。
■創業休止の蒸留所から生まれたウイスキー
イチローズチョイス ピーテッド ゴールデンプロミス 1994は、肥土の祖父が造った羽生蒸留所が閉鎖された2000年に同じく操業を休止したメルシャン軽井沢蒸留所に、ウイスキー造りの勘を取り戻そうと考えた肥土がメルシャンに交渉し、ひと月ほどの間借りた蒸留所で仕込みを行ったという特徴を持つ品です。
グレンリヴェットの樽を手に入れて熟成に使用したことによって、ほんのりグレンリヴェットのフレーバーが感じられます。
この軽井沢蒸留所は、もともとは肥土の祖父と肥土自身が目指すモルトウイスキーの蒸留所でした。
肥土がこの蒸留所にこだわった理由は、ここにもあったと言えそうです。
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