menu list買取商品 - イチローズモルト 15年 3rd ボトリング
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イチローズモルト 15年 3rd ボトリングの高価買取致します
イチローズモルト 15年 3rd ボトリングのご紹介
買取参考価格 | 175000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | ベンチャーウイスキー羽生蒸留所 |
地方 | 埼玉県 |
地区 | 羽生市 |
分類 | シングルモルトウイスキー |
タイプ | 720ml/46度 |
酒齢15年以上の原酒をコニャック樽で後熟した「イチローズモルト 15年 3rd ボトリング(ICHIRO’S MALT 15YEARS OLD 3RD BOTTLING)」は、限定766本のみボトリングされた希少性の高いシングルモルトウイスキーです。
2000年の蒸留を最後に閉鎖された羽生蒸留所の原酒を使ったこちらのボトルには、埼玉県の県花であるサクラソウ、県木のケヤキ、県民の鳥で天然記念物として知られるシラコバトをデザインモチーフにしたラベルが施されています。
フレンチオーク樽に由来するタンニンやメイプルシロップのような甘い味わいとウッディーな香りに、長期熟成ならではの重厚なボディーが味わい深く長い余韻をもたらします。
ラインナップすべてに希少価値が付加されているイチローズモルトは、強化買取いたしております!
イチローズモルト 15年 3rd ボトリングの歴史
羽生蒸溜所の希少なイチローズモルト 15年 3rd ボトリング
■イチローズモルト 15年 3rd ボトリングとは
イチローズモルト 15年 3rd ボトリングは2000年の蒸溜を最後に、2004年には設備が取り外され閉鎖された埼玉県にあった羽生蒸溜所の原酒を大切に保管し、15年熟成物を少しずつ販売している3度目のリリースとなります。
酒齢15年以上の貴重な原酒を樽から少量ずつ払出してヴァッティングし、年数ごとに異なるフレンチオークのコニャック樽で後熟を施しています。
ボトリングされたのは766本のみで、市場流通量が少ない希少価値の高いウイスキーです。
ラベルには羽生蒸溜所があった埼玉県の県花であるサクラソウ、県木のケヤキ、県民の鳥で天然記念物でもあるシラコバトが描かれています。
姿形は失われても、埼玉県羽生市に羽生蒸溜所が存在していたことを記憶づけるボトルデザインです。
フレンチオーク樽特有のタンニンのテイストやコニャック樽によるメイプルシロップのような甘い味わいとウッディーな香りが楽しめ、長期熟成ならではの重厚なボディで、深く長い余韻が続きます。
■なぜ羽生蒸溜所は閉鎖されたのか
羽生蒸溜所は埼玉県秩父市にあった東亜酒造が、同じ埼玉県内の羽生市に建てたマイクロディスティラリーです。
東亜酒造は江戸時代の1625年(寛永2年)創業の古い酒蔵で、日本酒を中心に酒造りを行ってきた老舗です。
秩父鉄道が開通したことでアクセスが高まったことから、埼玉県羽生市に進出しました。
戦後すぐの1946年にウイスキー販売免許を取得し、羽生蒸溜所を開設してウイスキー造りをスタートさせました。
当時としては画期的であり、今でも珍しい地ウイスキーの小規模蒸溜所です。
東亜酒造を営んでいたのが、秩父市の肥土氏です。
代々続いてきた酒蔵でイチローズモルトの創業者となった肥土伊知郎氏は、1965年に生を受けました。
羽生蒸溜所を開設してウイスキーづくりをスタートさせたのは、肥土伊知郎氏の祖父の時代です。
肥土伊知郎氏は東京農業大学の醸造科に進学するとともに、卒業後はジャパニーズ・ウイスキーのパイオニアであるサントリーに就職して、家業を継ぐ準備をしていました。
当時の経営は肥土伊知郎氏の父親が受け継いでいましたが、バブル景気が崩壊し、失われた10年とも呼ばれる不景気に突入します。
長引く不況などの影響を受け、東亜酒造の経営状態も悪化していくのです。
肥土伊知郎氏は家業の再建に取り組むために、サントリーを退職して実家へと戻りますが、努力を重ねても経営状態を改善することはできませんでした。
2000年、東亜酒造は民事再生法を申請することになります。
とある酒造メーカーが買収に乗り出しますが、東亜酒造を買い取る条件として、手間やコストのかかるウイスキーづくりからの撤退と羽生蒸溜所の設備の撤去、造り続けてきた400樽のウイスキーの原酒の廃棄を求めてきたのです。
この条件に従い、羽生蒸溜所の運営はストップし、東亜酒造が事実上の倒産をした2000年に蒸溜がストップし、2004年には設備が撤去されるに至りました。
■羽生蒸溜所の原酒の復活
羽生蒸溜所は閉鎖され、撤去されてしまいましたが、実は400樽の原酒は密かに守られていました。
家業の復活を遂げられなかった肥土伊知郎氏でしたが、原酒だけはどうしても守りたいと考え、原酒を預かってくれるところを探し歩いたのです。
無名であった羽生蒸溜所のウイスキーは売れない、ウイスキーは熟成させる必要があり、販売に手間がかかるといった理由でことごとく断られていきましたが、ようやく、福島県の笹の川酒造に預かってもらうことができたのです。
羽生蒸溜所の原酒を製品化するべく、肥土伊知郎氏は2004年9月に株式会社ベンチャーウイスキーを立ち上げます。
ウイスキーの販売免許を得られなかったため、製造・販売を笹の川酒造のまま、ブランド名を自身の名前に由来するイチローズ・モルトとして、2005年に初めて羽生蒸溜所のシングルモルトをリリースすることができたのです。
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