menu list買取商品 - マルス 駒ヶ岳 1987 シングルカスク 27年 サロン・ド・シマジ 限定ボトル
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マルス 駒ヶ岳 1987 シングルカスク 27年 サロン・ド・シマジ 限定ボトルの高価買取致します
マルス 駒ヶ岳 1987 シングルカスク 27年 サロン・ド・シマジ 限定ボトルのご紹介
買取参考価格 | 150000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | 本坊酒造 マルス信州蒸溜所 |
地方 | 長野県 |
地区 | 上伊那郡宮田村 |
分類 | シングルモルトウイスキー |
タイプ | 700ml/59度 |
雑誌「pen」とSHINANOYAが「言葉で飲む」をテーマにプロデュースしたオリジナルボトルシリーズの第4弾です。
マルス信州蒸留所で特別な存在として大切に育てられた1987年ヴィンテージの長熟原酒を選定し、2014年に瓶詰めされた「シングルカスク 駒ヶ岳」は、「サロン・ド・シマジ」別注の限定ボトルとして249本限定で発売された貴重な1本です。
熟した果実の様なフルーティーな香りと、スコッチウイスキーアメリカン樽由来の複雑な味わいがバランスよく調和した濃厚で奥深い味わいが特徴で、心地よい余韻を残す逸品に仕上がっています。
マルス 駒ヶ岳 1987 シングルカスク 27年 サロン・ド・シマジ 限定ボトルの歴史
限定販売された「駒ヶ岳」別注ボトルのヴィンテージウイスキー
■長期熟成のヴィンテージボトルを数量限定で発売
「マルス 駒ヶ岳 1987 シングルカスク 27年 サロン・ド・シマジ 限定ボトル」は、雑誌「pen」とSHINANOYAがプロデュースしたオリジナルボトルで「言葉で飲む」がテーマとなっています。
このシリーズはこれまでにもすでに3作品がリリースされており、「マルス 駒ヶ岳 1987 シングルカスク 27年 サロン・ド・シマジ 限定ボトル」は同シリーズの第4弾にあたります。
1987年ヴィンテージの長期熟成モルト原酒はマルス信州蒸溜所の中でも特別な存在で、マルス信州蒸溜所において大切に大切に育てられてきました。
そのモルトの中から厳選してボトリングされたのが「シングルカスク 駒ヶ岳」で、「マルス 駒ヶ岳 1987 シングルカスク 27年 サロン・ド・シマジ 限定ボトル」は「サロン・ド・シマジ」の別注ボトルとしてわずか249本限定で発売された大変貴重な1本です。
熟した果実が奏でるフルーティーなアロマとアメリカンホワイトオークカスクが生み出す味わいが、実にバランス良く調和した1本に仕上がっています。
また濃厚で奥深い味わいながら、口当たりの良さを併せ持っているため喉を通り過ぎてゆく余韻が長く楽しめるのが特徴です。
■世界で高い評価を受けるジャパニーズ・ウィスキー
今やジャパニーズ・ウィスキーは世界で1、2を争う人気ウィスキーとなり、ウィスキーの本場スコットランドやアメリカに比べても引けを取りません。
技術や品質はもちろんのこと、生産量においても日本は世界屈指のウィスキー生産国となりました。
ジャパニーズ・ウィスキーの魅力は何といっても繊細な味わいと、麦が生み出す芳醇な香りが挙げられます。
古来より米から造り出す日本酒の淡い味わいに慣れ親しんできた日本人にとって、アメリカから輸入された大味のウィスキーは到底馴染むことができないものでした。
そんな日本人にも美味しく飲めるウィスキーを造りたいと願い、ウィスキー造りを実行したのが摂津酒造やニッカウヰスキー、サントリーなどの酒造会社だったのです。
摂津酒造とニッカウヰスキー、そしてサントリーはウィスキー造りを語る上で密接な関係にあり、3社すべてに関わったニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝はジャパニーズ・ウィスキーの礎を築いた人物といっても過言ではありません。
摂津酒造在職中にスコットランドへわたって修業し、その後サントリー(当時は寿屋)の山崎蒸溜所で所長を務め、そして北海道余市でニッカウヰスキーを創業しました。
これらの功績を称え、人々は竹鶴政孝のことを「日本のウィスキーの父」と呼んでいます。
■地ウィスキーブームで脚光を浴びたマルスウィスキー
竹鶴政孝が大阪高等工業学校醸造学科を卒業後に入社した摂津酒造には、後に本坊酒造の会長となる本坊蔵吉が大阪帝国大学で師事した岩井喜一郎がいました。
摂津酒造の常務取締役であった岩井喜一郎は摂津酒造を退職後、本坊酒造でウィスキー蒸溜所の設計並びにウィスキー醸造の指揮を執ります。
顧問として本坊酒造に迎えられる以前にはすでに大学の教え子であり娘の婿となっていた蔵吉にとって、喜一郎はいわばウィスキー造り恩師でもあり同士でもありました。
鹿児島県鹿児島市の本坊酒造の蒸溜所で始まったウィスキー造りは、やがて訪れるウィスキーブームに乗って「地ウィスキー」として評判を集めます。
しかし本当にウィスキー造りに相応しい環境の下で造るのがウィスキーにとって一番良いとの思いから、本坊酒造は長野県にマルス信州蒸溜所を建設することになったのです。
マルス信州蒸溜所建設にあたっては岩井喜一郎が先頭に立ち、ポットスチルやウィスキー造りに必要な設備をすべて整えました。
喜一郎はウィスキー造りにも携わり、本坊酒造初となるオフィシャルボトル「マルスウィスキー」はまさにスコッチ・ウィスキーそのものでした。
それには理由があり、岩井喜一郎がマルスウィスキー造りのもととしたのは、竹鶴政孝がスコットランドで学んだウィスキー造りを詳細に記載した「竹鶴ノート」だったからです。
「竹鶴ノート」は摂津酒造時代の岩井喜一郎に当てて、竹鶴政孝が実習報告書として提出したものです。
この2冊の大学ノートを喜一郎が持っていたことから、マルスウィスキーは誕生することとなりました。
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