menu list買取商品 - ニッカ ピュアモルト ブラック
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ニッカ ピュアモルト ブラックの高価買取致します
ニッカ ピュアモルト ブラックのご紹介
買取参考価格 | 2900円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | ニッカウヰスキー北海道工場余市蒸溜所 |
地方 | 北海道 |
地区 | 余市郡 |
分類 | ピュアモルト |
タイプ | 500ml/43度 |
1984年頃に販売された、当時の日本では珍しかった、原酒100%で造られたピュアモルトウィスキーです。
若者にも人気がでるような、モダンな雰囲気のデザインと比較的安い値段で売られていました。
ボトルは、フロムザバレルなどと共通のデザイナーが手がけた、シンプルでレトロなデザインです。
余市蒸留所のモルトを中心に造られた「ニッカ ピュアモルト ブラック」は、力強いピートとコクのあるしっかりとした味わいが特徴です。
ニッカ ピュアモルト ブラックの歴史
創業者の誇り高き黒
■ウイスキーに情熱を傾けた青年
ニッカの創業者である竹鶴政孝氏は、1918年の会社員時代、一人スコットランドにウイスキーの製法を学びに留学しました。
このときの旅立ちがなければ、今のジャパニーズウイスキーはなかったかもしれません。
あったとしても、今とはきっと別の形になっていたでしょう。
政孝氏が大正期に本格ウイスキーの製法技術を持ち帰らなかったら、日本で「ピュアモルト」のウイスキーは生まれなかったかもしれないのです。
政孝氏は広島県の醸造家に生まれ、地元の摂津酒造に入社しました。
そこで社長に才覚を見出されてスコットランドのグラスゴー大学へ留学に行くのですが、実際には大学で机に向かい、辞書を引いているだけでウイスキーが造れるわけもありませんでした。
それでも多くの人なら、おそらくは決められたプログラムに従い、大学で座学を学んで日本へ帰国したでしょう。
もしその状態で帰国後に日本でウイスキーを造ったとしたら、おそらく再現はできなかった可能性が高いです。
でも政孝氏は違いました。
強い熱意で大学側に掛け合い、実際の蒸溜所で実地研修を実現できるように仕向けたのです。
ただ受け入れ側としては、今でいう企業秘密の塊である蒸溜所の内部に外国人を入れるだけでも懸念があるわけですから、なかなか細部まで明らかにはしてくれません。
そんな中、一心にウイスキーづくりに情熱を傾ける青年に感じ入った一人の老職人が、少しずつ機器の操作などを教えてくれるようになったといいます。
そのときの蒸溜所がグラスゴー西南にあるヘーゼルバーン蒸溜所です。
そこをあとにして、いよいよ政孝氏が日本のウイスキーづくりを始動させるのは1920年のことでした。
■時が磨いたピュアモルトウイスキー
北海道余市の蒸溜所で初めて原酒がボトリングされたのは、1940年です。
これがニッカウヰスキーの誕生であり、切子の格子が入った四角いボトルの中には、スコットランドで得た経験と日本の友情とがゆらめいていました。
ただ、こうして数々の苦労の末に生まれたピュアモルトウイスキーも、戦後の混乱期にはあまりにも高級品で、なかなか売れるものではなかったのです。
当時市場で飛ぶように売れていたのは三級品と呼ばれるウイスキーで、原酒は最大でも5%以下、場合によっては0%のものまであったのですから、単なる合成色素の模造品でした。
もちろん戦前には公定価格がありましたが、すでに価格破壊が起こった市場では、いかに品質が高くても手の出せるものではありません。
三級品は300円台、ニッカの一級品は1,300円台ですから、無理もなかったでしょう。
それでも政孝氏はニッカのウイスキーの誇りは大切に守り続けました。
社員ともども生き抜くために、本格ウイスキーの製造と並行してギリギリ5%の三級品も発売しましたが、その分、大切な原酒はさらに深く眠りに就く時間を得たともいえます。
そして時代が過ぎ、時に磨かれたピュアモルトウイスキーがようやく市場に受け入れられる時代がきます。
1968年には特級品を発売、そして創業40周年となる1974年には、同じく特級品のスペシャルエイジとキングスランドが発売となりました。
■原酒100%のNIKKA(ニッカ) ピュアモルト ブラック
ピュアモルト ブラックが発売されたのは1984年頃になります。
当時日本ではほとんど見られなかった原酒100%のウイスキーですが、当時としては比較的リーズナブルな価格設定だったこともあり、若者から絶大な支持を受けたボトルです。
もちろんその佇まいも非常にモダンで、今見ても洗練されたデザインであることは一目瞭然でしょう。
このボトルのデザインはフロムザバレルを手掛けたデザイナーであり、シンプルでありながら心を掴む魅力を持っています。
政孝氏は1979年、享年85歳で亡くなっていますので、ピュアモルト ブラックが世に出たときにはこの世にはいません。
それでもきっと、日本に原酒100%のウイスキーが喜んで受け入れられる時代が訪れたことを、うれしく感じているでしょう。
そして苦しい時代にあっても、噓のない正しい原酒を堅固に守り続けたことを誇りに思っていることは間違いありません。
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