menu list買取商品 - ニッカ キングスランド プレミア
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ニッカ キングスランド プレミアの高価買取致します
ニッカ キングスランド プレミアのご紹介
買取参考価格 | 2100円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | 余市蒸溜所 |
地方 | 北海道 |
地区 | 余市郡 |
分類 | ブレンデッドウイスキー |
タイプ | 760ml/43度 |
1974年にニッカ創業40周年を記念して発売された特級ブレンデッドウイスキー「キングスランド プレミア」です。
やや濃いめの琥珀色で、余市の原酒をキーモルトにした風味は50年以上経過したコワントローに似ています。
飲みはじめはアルコール感が強いですが、徐々にバランスのとれたモルティな香りに包まれ、飲み口がすっきりとしたビターな風味が広がり、ピーティーでスモーキーな余韻が残ります。
ニッカ キングスランド プレミアの歴史
ニッカウヰスキーの創業40周年を飾った記念ボトル
■スーパーニッカの上位に位置する特級酒
NIKKA(ニッカ) キングスランド プレミアはニッカウヰスキーの創業40周年を記念し、1974年に発売されたスーパーニッカを凌ぐ特級酒です。
丸瓶のボトルのラベルにはブラックニッカで知られる髭のおじさんの顔が描かれており、主に贈り物に最適な高級ウイスキーとして発売されました。
その後1978年にはサントリーロイヤルに対抗したかのような角瓶に変わり、紐の封印が付けられてラベルもニッカウヰスキーの紋章のデザインへと変化しています。
香りはブドウやバニラ、リンゴの風味が感じられ、グラスに注ぐと琥珀色をした仕上がりとなっているのがわかります。
果実のフルーティーな香りとナッツやバニラの甘い香りが混ざり合い、ウイスキー特有の樽香が華やぐ芳醇な味わいです。
ピートが効いたスモーキーな風味がありますが、アルコール度数をあまり感じさせないため、やわらかでまろやかな口あたりと喉越しが楽しめる1本となっています。
ストレートはもちろん、オンザロックや水割りなど、どんな飲み方をしても美味しいのは、さすがニッカウヰスキーが造った特級酒とうなること間違いなしの逸品です。
■アメリカから日本へと伝わったウイスキー
日本にウイスキーが伝わったのは19世紀の頃で、アメリカから入ってきたのが始まりです。
その当時の日本で売られているウイスキーといえば、模造品ばかりのとてもウイスキーと呼べるような代物ではありませんでした。
ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝がその当時勤めていた摂津酒造では、アメリカ産ではなく純国産のウイスキーを造ることを計画していました。
そして1918年に政孝は社長の阿部喜兵衛と常務の岩井喜一郎の命を受け、本場のウイスキー造りを学ぶため単身スコットランドへと渡ります。
政孝はグラスゴー大学に籍を置いて有機化学と応用化学を学ぶ傍ら、ウイスキーの蒸留場を積極的に見学して回りました。
なぜかというとグラスゴー大学にはウイスキー造りを学ぶための専門講座がなかったのです。
そのため見学することを現地の蒸留所に頼み込んだり、時にはエルギンのロングモーン蒸留所で実際に実習を行わせてもらったりしたこともありました。
そして1920年(大正9年)にキャンベルタウンにあるホワイトホース社のヘーゼルバーン蒸留所で見習いとして働けることになり、ウイスキー造りの実習が行えるようになったのです。
見習いとして働く一方で、政孝はポットスチル(ウイスキー用の蒸留釜)の内部の清掃を自ら率先して買って出ていました。
この作業は職人でも嫌がる大変面倒なものだったのですが、政孝はポットスチルの内部構造を知るためむしろ積極的に釜の掃除を行っていたと言われています。
政孝の真摯な姿はスコットランドで働く職人たちに次第に評価され、ウイスキー造りにかける彼の情熱が徐々に認められていったのでした。
■スコットランドでの実習中に生まれた2冊のノート
ヘーゼルバーン蒸留所で熱心に働く政孝の白衣には常にノートとペンがあり、どこへ行くにも何をするにも常にノートを取っていました。
これは上司である岩井喜一郎に報告する必要があったためですが、これが有名な竹鶴実習ノートや竹鶴ノートの名前で知られているものです。
3か月の見習い期間、常にノートに記し続けた政孝の記録がなければ今の日本の純国産ウイスキーは誕生していなかったとまで言われるほど、その内容は大変貴重なものでした。
竹鶴ノートにはウイスキー造りに関する工程やポットスチルの内部構造などがてこと細かに記され、イラストも細部にわたって綿密に描かれていました。
モルトウイスキーの製造実習を積み、ブレンド技術の習得に励む日々を送る中、ウイスキーの製造工程について学んだことをすべてこのノートに記載していったのです。
見習いとしての仕事を終えて宿に戻った政孝は、実習中に取ったメモをもとに自らの意見を添えて書き記すことを怠りませんでした。
そのノートの内容は誰もが驚くほど詳細であったと言います。
この2冊のノートのおかげで政孝が帰国した後の日本では、純国産ウイスキー造りが本格的に発展していくことになります。
1934年にニッカウヰスキーの余市蒸留所にできたポットスチルは、政孝が技術を習得したヘーゼルバーン蒸留所やロングモーン蒸留所に倣った同じものでした。
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