menu list買取商品 - マイルド ニッカ (Mild Nikka)
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マイルド ニッカ (Mild Nikka)の高価買取致します
マイルド ニッカ (Mild Nikka)のご紹介
買取参考価格 | 1200円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | アサヒビール株式会社/ニッカウヰスキー株式会社 |
地方 | 東京都 |
地区 | 港区 |
分類 | モルト/グレーン/ブレンデッドウィスキー |
タイプ | 760ml/43度 |
1983年に発売され、1997年に終売した特級ウィスキーです。
余市・宮城峡のモルトとカフェグレーンをブレンドした後、再度樽に貯蔵・後熟(マリッジ)を行っています。
テレビCMでは、マリッジウィスキーになぞらえて、恋人役のロボット2体「アポジー」と「ペリジー」の広告を上げました。
琥珀色の見た目が特徴的、ほんのりピートと梨の香りが漂います。
アルコールの辛さはあまりなく、酸味の後に甘味としょっぱい味わいが感じられます。
※50ml(ミニボトル)は買取価格が異なります。
マイルド ニッカ (Mild Nikka)の歴史
恋人役のロボットが登場するCMが印象的だったニッカの特級ウイスキー
■テレビCMで話題になったマリッジウィスキー
1983年に特級ウィスキーとして発売された「マイルド ニッカ (Mild Nikka)」は、1997年に終売になったマリッジウィスキーです。
琥珀色の液体が美しく、ピート香と梨の香りがほんのり漂う仕上がりとなっています。
余市・宮城峡のモルトとカフェグレーンをブレンドした後、再度カスク(樽)に貯蔵してマリッジ(後熟)しているのが特徴です。
「マイルド ニッカ (Mild Nikka)」はウィスキー特有のアルコールの辛さを感じさせることがなく、ほどよい酸味と甘みに少しの塩辛さが楽しめる味わいとなっています。
発売当時のテレビCMでは「マイルド ニッカ (Mild Nikka)」がマリッジウィスキーであることになぞらえ、「アポジー」と「ペリジー」の2体のロボットを恋人役に仕立てました。
2体のロボット「アポジー」と「ペリジー」の名前は、一般公募した中から選ばれて決まったものです。
CMそのものはもちろん、後日ロボットをベースにしたセンサーロボが抽選でプレゼントされたことでも話題となりました。
■ニッカウヰスキーの創業者は「日本のウィスキーの父」
1894年に広島県賀茂郡竹原町で生まれた竹鶴政孝(たけつるまさたか)は、ニッカウヰスキーの創業者であると同時にサントリーウィスキーの直接的始祖でもあります。
またマルチウィスキーの間接的始祖でもあることから、これらの功績が称えられて「日本のウィスキーの父」と称された人物です。
存命時には勲三等瑞宝章や北海道開発功労賞を贈られるなど、日本におけるウィスキー文化の発展に寄与してきたことが高く評価されました。
1962年に来日したイギリスのヒューム外相は、「一人の青年が万年筆とノートでウィスキー製造技術の秘密を全部盗んでいった」との趣旨の発言をしましたが、これは文字通りの意味ではなく政孝への心からの賛辞だったのです。
ヒューム外相が述べたノートとはかの有名な「竹鶴ノート」のことで、一時は所在が不明になっていた時期がありました。
しかしその後政孝がウィスキー技術者として働いていた摂津酒造(現在の宝ホールディングスに吸収合併)の関係者の子孫が持っていることが分かり、ニッカウヰスキーへと寄贈されています。
「竹鶴ノート」は政孝がスコットランドのヘーゼルバーン蒸溜所で修業をしているときにしたためたもので、ウィスキーの性質や蒸溜方法などが事細かに記載されていました。
1920年にスコットランドでの修業から帰国した際、2冊の大学ノートにまとめて上司の岩井氏に提出したのがこの「竹鶴ノート」です。
2冊のノートは日本のウィスキー造りにおいて、大変貴重な情報が詰まったまさに宝庫でした。
この政孝が書いたノートがなければ、今日のジャパニーズウィスキーの地位は確立されていなかったといっても過言ではありません。
■ウィスキー造りを学ぶためスコットランドへ
摂津酒造で働いていた政孝は純国産ウィスキー造りを学ぶため、1918年にスコットランドのグラスゴー大学に留学します。
エルギンのロングモーン蒸溜所とキャンベルタウンのヘーゼルバーン蒸溜所で実習を行い、職人が嫌がるポットスチルの清掃も自ら買って出ました。
窯の清掃をする傍ら実はポットスチルの内部構造を調べることが政孝の目的で、竹鶴ノートにはポットスチルの内部がそのまま精巧に描かれていたといいます。
またスコットランド留学中には、人生の伴侶となる女性との出会いもありました。
彼女の名前はジェシー・ロバータ・カウンで、リタの愛称で親しまれていたスコットランド女性です。
親交を深めた2人は1920年1月8日に結婚しますが、リタのためにスコットランドに残るという政孝に対し、政孝の夢を叶えるためにリタは自分が日本に行くと告げます。
家族から反対されてもリタの政孝への気持ちが変わることはありませんでしたが、教会での結婚式は叶わず登記所で2人の証人と登記官の前で宣誓するだけの結婚式となりました。
日本に帰国した2人は摂津酒造に近い帝塚山に新居を構え、リタは日本文化を覚えようと必死に努力したと伝わっています。
中日本語を覚えることは特に大変で、どうしても「政孝さん」と呼べなかったリタは政孝を「マッサン」と呼んでいました。
この「マッサン」という呼び名はNHKの朝の連続ドラマにもなり、2人の辿った人生が綴られたドラマとなっています。
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