menu list買取商品 - ニッカ 1号 ポットスティル 1934年型
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ニッカ 1号 ポットスティル 1934年型の高価買取致します
ニッカ 1号 ポットスティル 1934年型のご紹介
買取参考価格 | 1000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | ニッカウヰスキー北海道工場余市蒸溜所/ニッカウヰスキー株式会社 |
地方 | 北海道 |
地区 | 余市郡 |
分類 | ブレンデッドウイスキー |
タイプ | 700ml/43度 |
1934年型というのは、ニッカウヰスキーの全身である大日本果汁株式会社が余市に設立された年を指しており、その2年後(1936年)にこの商品が誕生しました。
微粉炭直火蒸溜で造られており、その剛熱により重厚かつ芳醇なウィスキーに仕上がっています。
余市のポットスチルは、胴体部分に膨らみのない、上部のラインアームは下向きといった形状の「ストレートヘッド型」になっています。
ボトルは、この余市のポットスチルの形状を模して造られました。
※買取相場は、市場の相場状況や買取方法などによって上下変動いたしますので、予めご了承ください。
ニッカ 1号 ポットスティル 1934年型の歴史
ニッカ余市蒸留所のシンボル・ポットスティルボトル特級酒
■余市蒸留所のシンボルがボトルになったウイスキー
NIKKA(ニッカ) 1号 ポットスティル 1934年型の1934年とは、北海道・余市の地にニッカウヰスキーの前身・大日本果汁株式会社が設立された年です。
この商品は大日本果汁株式会社設立2年後の1936年に誕生した、特級酒のウイスキーとなっています。
余市1号ポットスティル 1934年型は1971年(昭和46年)から販売が開始され、1971年から1980年代の後半まで販売されました。
主に北海道で多く販売されたニッカのポットスティルボトルは、他にもプラチナ色のキングスランドデカンター(1980年(昭和55年)から販売)と、真鍮色のキングスランド デカンター(1980年(昭和55年)から販売)の特級酒があります。
NIKKA(ニッカ) 1号 ポットスティル 1934年型をはじめとするこれらのポットスティルボトルは、重厚なモルトの味わいと芳醇な香りが堪能できるウイスキーとなっています。
余市蒸留所のポットスチルは胴体部分に膨らみがなく、上部のラインアームが下向きのストレートヘッド型となっているのが特徴で、このボトルはまさに余市蒸留所のポットスチルそのものとなっています。
■日本のウイスキーの父
ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝は、「日本のウイスキーの父」と称される人物です。
政孝の願いは「日本人に本物のウイスキーを飲んでもらいたい」ということでした。
当時の日本ではウイスキーは人々の間で決して受け入れられていたとは言いにくく、今日ではその美味しさが理解されているピートのスモーキーさも、焦げ臭い酒として敬遠されていました。
しかし日本人の口に合うウイスキーを造るのではなく、本物のウイスキーが持つ美味しさを伝えることが政孝の真の思いだったのです。
その思いを胸に政孝はウイスキー造りに情熱をかけ、まさに人生を捧げてウイスキーとともに歩みました。
そして後に日本のウイスキーの父と呼ばれるようになった政孝の人生は、まさにニッカウヰスキーの歴史であり、日本における日本のウイスキーの歴史そのものとも言えます。
■創業以来変わらないウイスキー造りへのこだわり
ウイスキーは長い年月をかけて熟成させる必要があり、ウイスキーを熟成させるにふさわしい気候や風土が求められます。
ニッカウヰスキーでは2つの蒸留所を持っており、それぞれに異なった種類のモルト原酒を造り出しています。
創業者の竹鶴政孝はウイスキーの本場・スコットランドで、ウイスキー造りにおけるブレンドの技術を徹底的に叩き込まれました。
スコットランドのウイスキー造りを驚かせるほどの感覚を備えているといい切る政孝は、その技術を余市蒸留所で働くすべての技師たちに徹底的に教え込みます。
そしてウイスキー造りに欠かせないブレンドの重要性を説きながら、ひたすら実践して見せました。
そこには政孝のウイスキーの本場・スコットランドにも負けない本物のウイスキーを、日本で造り続けるという信念があったからです。
そして政孝亡き後の1983年、ニッカブレンダーチームにいたチーフブレンダーが初めて渡英を果たします。
渡英先でスコッチウイスキーのテイスティングに挑戦し、スコッチの専門ブレンダーたちが平均80点という成績の中、見事100点満点の成績を上げて周囲を驚かせました。
これはひとえに創業者の教えを忠実に守り抜き、ブレンドの技術を磨いてきたからこそ成し遂げられた結果と言っても過言ではありません。
■イギリス首相が述べた政孝への親愛の情
竹鶴政孝はスコットランドでの研修中、ウイスキー造りについて書きつづった2冊のノートを持っていました。
これが通称「竹鶴ノート」と呼ばれているものです。
かつてイギリスの首相はスピーチで「日本の頭のよい青年が1本の万年筆とノートで、ウイスキー造りの秘密を盗んでいった」と、ユーモアと親愛の情を交えて話したという逸話が残っています。
この2冊のノートは政孝のウイスキー造りにかける情熱の結晶とも言えるもので、この竹鶴ノートから日本の本格ウイスキーの歴史は始まったのです。
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