menu list買取商品 - 初号 ブラックニッカ 復刻版
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初号 ブラックニッカ 復刻版の高価買取致します
初号 ブラックニッカ 復刻版のご紹介
買取参考価格 | 2400円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | アサヒビール株式会社/ニッカウヰスキー株式会社 |
地方 | 東京都 |
地区 | 港区 |
分類 | モルト/グレーン/ブレンデッドウィスキー |
タイプ | 720ml/43度 |
「初号 ブラックニッカ」が発売した当時の味と香りを再現した商品です。
未開封で現存していた「初号 ブラックニッカ」の中味をブレンダーがテイスティングすることで、香味を再現しました。
余市蒸留所のモルトとカフェグレーンをブレンドして造られています。
また当時と同じく、香味成分が多く残り、複雑な味わいを生み出すよう常温濾過で造られいます。
パッケージのデザインは、「初号 ブラックニッカ」のデザインに似せた上で、ニッカエンブレムをより華やかでゴールドな見た目に仕上げられています。
初号 ブラックニッカ 復刻版の歴史
初号ブラックニッカファンにとってに懐かしの逸品
■ 発売当時の味わいを再現
「初号 ブラックニッカ 復刻版」は、1956年(昭和35年)に発売された「初号 ブラックニッカ」の復刻版です。
未開封のまま現存していた初号ブラックニッカを、ニッカウヰスキーのマスターブレンダーがテイスティングしました。
余市モルト特有の芳しい香りと、ピートのスモーキーな香りが絶妙のバランスを生み出しています。
余市モルト原酒にカフェグレーンをブレンドしたブレンデッドウイスキーとなっており、チョコレートのような甘さとビターな味わいが楽しめるのが特徴です。
初号ブラックニッカが発売された当時はまだ竹鶴政孝が社長を務めていた時代で、本物のウイスキーにこだわった政孝らしくかなりの高級品でした。
当時の発売価格は1,500円で、今の値段に換算すると30,000円ほどになると思われます。
初号 ブラックニッカ 復刻版は7,500円前後で販売されており、大手インターネットサイトなどでも人気のある逸品です。
■ 庶民派のウイスキーを好んだ創業者
本物のウイスキー造りに生涯をかけたニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝は、非常に優秀なウイスキー製造者であり技術者でもありました。
数々の偉大な業績を残したことから「日本のウイスキーの父」と呼ばれ、今もウイスキーといえば竹鶴政孝といわれるほどの人物です。
日本初の純国産ウイスキー造りにこだわり、品質において一切の妥協を許さなかった政孝でしたが、意外にも政孝本人が好んで飲んだウイスキーはニッカの二級ウイスキーであるハイニッカでした。
1日に1本のウイスキーを飲んでいた政孝は、醤油味の超極薄の薄焼きせんべいをおつまみにして晩酌するのが楽しみだったといわれています。
しかしさすがに晩年には酒量を控えるようになりましたが、それでも3日に2本は空けていたとのことです。
また夕食後に片づけを済ませ、愛妻のリタとともにグラスを傾けるのも政孝の至福のひと時でした。
ハイニッカを注いだグラスを手に二人が何を語っていたのかは分かりませんが、政孝とリタの仲睦まじい様子が目に浮かびます。
■ マッサン人気で一躍有名に
ウイスキー好きの間で、竹鶴政孝の名前を知らない人はいないでしょう。
ましてリタのことも知っているとなれば、かなりのニッカウヰスキーファンであると推察できます。
そんな二人の存在が広く知られるようになったきっかけが、NHKの朝の連続テレビ小説「マッサン」の放送です。
モデルとなったニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝と、その妻リタの物語がドラマとして描かれました。
主人公の亀山政春(竹鶴政孝)演じたのは俳優の玉山鉄二さん、そして亀山エリー(竹鶴リタ)を演じたのはアメリカ・ニューメキシコ州サンタフェ出身の女優・シャーロット・ケイト・フォックスさんです。
シャーロットさんはNHKの朝の連続テレビ小説で、初めて外国人としてヒロインを務めることになり大変話題となりました。
「シャロやん」の愛称で親しまれているシャーロットさんは、その年の大晦日の紅白歌合戦に玉山鉄二さんとともにゲスト出演もします。
「マッサン」の主題歌「麦の唄」を歌った中島みゆきさんが出場したためで、そばで聞きながら涙ぐむ姿が印象的でした。
■ 国際結婚を選んだ二人
政孝とリタが結婚したのは1920年1月8日のことで、その当時国際結婚する人は大変珍しい時代でした。
スコットランドで生まれ育ったリタと、日本からウイスキー造りを学びに来ていた政孝の結婚は、両家の家族のほとんどから猛反対を受けます。
政孝はリタと結婚するなら日本でのウイスキー造りを諦め、彼女のためにスコットランドに残るといいました。
しかし政孝の本物のウイスキーを日本の地で造りたいという夢を知っていたリタは、彼に自分が日本に行くと告げます。
誰からも祝福を受けられなかった二人は、教会ではなく登記所で証人と登記官の前で宣誓するだけの結婚式を挙げました。
1920年11月に日本に帰国した政孝とリタは、帝塚山に新居を構えます。
日本語はもちろん、日本の文化の全てがリタにとって大変難しいものでした。
それでも政孝の母からぬか漬けの作り方を教えてもらうなど、リタは日本文化を必死で勉強したといわれています。
そんなリタが特に苦労したのが、政孝の名前をどうしても「マサタカサン」と呼べないことでした。
そして彼女が考えついたのが、彼を「マッサン」と呼ぶことだったのです。
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