menu list買取商品 - 余市 12年 シェリー&スイート シングルモルト ニッカ
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余市 12年 シェリー&スイート シングルモルト ニッカの高価買取致します
余市 12年 シェリー&スイート シングルモルト ニッカのご紹介
買取参考価格 | 30000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | 余市蒸留所 |
地方 | 北海道 |
地区 | 余市町 |
分類 | シングルモルト |
タイプ | 500ml/55% |
シェリー樽で熟成させた余市モルトを使用した蒸留所限定の「シングルモルト 余市12年 シェリー&スイート」です。
レーズンの甘い香りをメインに、苦みのあるカカオ、力強いピートの香りが特徴的で、シェリー樽由来の華やかな甘さが際立ちます。
アルコール度数は55%と強いながらもピートは弱めで刺激が少なく、温かみのある甘みとなめらかでやわらかな味わいが口いっぱいに広がります。
同じコンセプトのラインナップには「ウッディ&バニラ」、「ピーティ&ソルティ」がございます。
※180mlボトルは買取価格が異なります。
余市 12年 シェリー&スイート シングルモルト ニッカの歴史
シェリー樽ならではの甘さとなめらかさが堪能できる限定品のモルトウイスキー
■シェリー樽が醸し出す新しい魅力
濃い琥珀色が美しい「NIKKA(ニッカ) シングルモルト 余市 12年 シェリー&スイート」は、その名の通りシェリー樽で熟成させた余市蒸溜所限定のシングルモルトウイスキーです。
原酒には余市モルトを使用し、シェリー樽でゆっくりと熟成が進んだシングルモルト 余市12年 シェリー&スイートは、樽由来の華やかな香りが魅力となっています。
栓を開ければレーズンの果実感たっぷりの香りが芳しく感じられ、ピートのパワフルな香りやビターテイストなカカオの香りも一緒に立ち上ります。
黒砂糖やカラメル、はたまたエスプレッソコーヒーを焦がしたような味わいが特徴で、シェリー樽が持つ甘さと絶妙に調和しています。
アルコール度数が55%ある割には口当たりがとてもやわらかく、ピート感が少ないことからウイスキー初心者にもおすすめです。
ウイスキーの魅力である独特のピートの味わいが苦手という人は少なくありませんが、シングルモルト 余市12年 シェリー&スイートなら刺激が少なくピートも弱めとなっています。
一口含めばなめらかな甘さが口いっぱいに広がり、喉越しのやわらかさが長い余韻を残してくれます。
またシェリー&スイートだけでなく、同ラインナップにはウッディ&バニラとピーティ&ソルティがあり、こちらもぜひ味わってみたい逸品です。
■ニッカウヰスキー誕生の原点
1894年(明治27年)6月20日に広島県賀茂郡竹原町(現在の竹原市)で産声をあげた竹鶴政孝は、後にニッカウヰスキーの創業者となる人物です。
ニッカウヰスキーが誕生したのは1934年(昭和3年)のことで、誕生当時は大日本果汁株式会社という名称でした。
政孝が創業場所に余市の地を選んだのは、本物のウイスキーづくりに適した環境が欠かせないと考えたからです。
ウイスキーのふるさと本場スコットランドに最も気候が似ているところを探し続けた結果、政孝が辿り着いたのが北海道余市郡余市町でした。
政孝はニッカウヰスキーの創業者であると同時に、ウイスキーの製造を行う技術者でもあります。
「日本のウイスキーの父」と呼ばれる政孝は数々の功績を称えられ、勲三等瑞宝章や北海道開発功労賞も受賞しています。
また政孝は当時珍しかった国際結婚をしたことでも知られており、愛妻はスコットランドに留学していたときに出会ったリタです。
政孝は先に愛妻・リタを天国へと見送り、自身は1979年(昭和54年)8月29日、東京都文京区にて85歳でリタの下へと旅立ちます。
ウイスキーづくりに生涯をかけた政孝ですが、その傍らには常に彼を信じ、愛してやまなかったリタの存在がありました。
■目の青い外国人
ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝が選んだ人生の伴侶は、青い目をしたスコットランド人の女性でした。
彼女の名前はジェシー・ロバータ・カウン、日本名は竹鶴リタといいます。
リタが生まれたのは1896年(明治29年)12月14日で、イギリス・スコットランド地方のグラスゴーがふるさとです。
リタは医師であった父について往診宅を回り、長女として妹のイザベラ(通称エラ)とルーシー、そして弟のラムゼイの世話を焼く優しいお姉さんでした。
18歳でグラスゴー学院に入学したリタは、音楽と英仏文学を学びました。
父の往診の手伝いをするようになったのは、卒業後に自動車運転免許を取ってからのことです。
1918年(大正7年)にグラスゴー大学に留学していた政孝は、同じ大学の医学部に在籍していたリタの妹・エラから弟ラムゼイの柔道の指南役をしてほしいと頼まれます。
そしてカウン家を訪れた政孝とリタに、運命の出会いが訪れました。
音楽という共通の趣味から互いに心を寄せ合うようになり、やがて2人は結婚を決意します。
リタのためにスコットランドに残るという政孝の言葉を振り切り、青い目をしたリタが日本へとやってくることになったのです。
数々の困難を乗り越え、リタは1961年(昭和36年)1月17日に64歳でその生涯を閉じました。
リタは自分の死期が近いことを悟ると、政孝とともにウイスキーづくりの第一歩を踏み出した北海道余市へ帰ることを望みます。
そして思い出がいっぱい詰まった余市の地で、政孝の妻として、また日本人としての人生を全うしたのでした。
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