menu list買取商品 - ニッカ アップルブランデー リタ 30年
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ニッカ アップルブランデー リタ 30年の高価買取致します
ニッカ アップルブランデー リタ 30年のご紹介
買取参考価格 | 42000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | ニッカウヰスキー/弘前工場 |
地方 | 青森県 |
地区 | 弘前市 |
分類 | アップルブランデー |
タイプ | 700ml/43度 |
2014年7月2日にニッカウヰスキーの創業80周年を記念し、1000本限定でリリースされた80周年記念限定商品の第二弾、「NIKKA(ニッカ) アップルブランデー リタ 30年」です。
ラベルに「80th Anniversary Bottled in 2014」と記載して限定感を演出したこちらのボトルは、創業者である竹鶴政孝氏の「本物のウイスキーをつくる」という夢を支え続けた妻・リタ夫人になぞらえてネーミングされています。
りんご果汁を原料に使用し、樽で30年以上熟成させた、芳醇で豊かな香りと円熟味が特長のアップルブランデーです。
熟したりんごの華やかさと、バニラのように甘くやわらかな樽熟成感が調和した、深く豊かな香りで、まろやかな口当たりとほんのりとりんごの甘酸っぱさを伴ったコクのある贅沢な余韻をお楽しみいただけます。
ニッカ アップルブランデー リタ 30年の歴史
愛妻に捧ぐ創業者の想いが詰まった逸品
■ニッカウヰスキー創業80周年記念の限定発売品
NIKKA(ニッカ) アップルブランデー リタ 30年は、2014年7月2日のニッカウヰスキー創業80周年を記念して造られた、国内販売数が1,000本という非常にレアな限定ボトルです。
発売価格は当時30,000円でしたが、今では手に入らない貴重なお酒とあって、ニッカのショットバーではワンショット価格が5,000円となっています。
しかし他に飲める場所がないため、オーダーする人も多い人気のブランデーです。
商品名のリタとはニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝の妻の名前で、彼のウイスキー造りを生涯支え続けた女性です。
ウイスキーは熟成させる必要があったため、すぐにウイスキー販売に取り掛かれない黎明期がありました。
その期間リンゴを使って造ったアップルジュースなどを販売していた大日本果汁株式会社(のちのニッカウヰスキー)を支えていたのが、余市のリンゴであり政孝の妻であるリタその人でした。
「本物のウイスキーを造る」という夢を叶えるべくウイスキー造りに情熱を注ぐ政孝を、一心に支えたリタへの想いを表したのが、このアップルブランデーにリタの名前を付けた由来と言われています。
■華やかな味わいと美しさはリタそのもの
華やかで美しいデザインが目を惹くボトルは、政孝のリタへの深い愛情を表しているかのようです。
フレッシュな味わいの青リンゴを思わせるさわやかな香りが漂い、リンゴの甘みと酸味にバニラの香りが奏でる絶妙なハーモニーは、これがブランデーであることを忘れさせる味わいとなっています。
さわやかでありながらも熟成させた完熟リンゴの濃厚な味わいも楽しめ、アルコール度数の高さも気になりません。
艶のある飴色をしたブランデーは琥珀色に光り輝き、まさにリタそのものといえる仕上がりとなっています。
■スコットランドでの運命の出会い
ウイスキー造りを学ぶためにスコットランドにいた時に、政孝は初めてリタと出会います。
スコットランド南西部にある都市・グラスゴーで、医師の父を持つジェシー・ロベルタ・カウン(通称リタ)に、政孝の方が一目惚れしたと言われています。
それを裏付けるように日本でのウイスキー造りを夢見ていた政孝が、プロポーズの時にリタと結婚するためにスコットランドに残るといったのです。
しかし政孝の夢を知っていたリタは、日本でウイスキーを造ることをあきらめてはいけないと政孝にいい、彼と一緒に日本に来ることを選びます。
故郷のスコットランドを離れ、知らない異国へと嫁ぐことになる結婚はカウン家の人々から反対され、混乱を避けるために二人は結婚式を挙げずに登記所での略式結婚という形を取りました。
それが1920年(大正9年)1月のある寒い日のことです。
一方、ウイスキーを造るためにスコットランドに渡ることすら反対していた竹鶴家では、政孝が送った結婚を知らせる手紙を受け取って大騒ぎになります。
その当時は国際結婚など非常に珍しいことでしたので、それが跡取り息子となればなおさらです。
すぐに見合い写真を送る、嫁候補は他にもいると話をしても、政孝は一向に聞く耳を持たず、すべて突っぱねてしまいます。
そこで摂津酒造の社長である阿部氏がスコットランドに向かい、阿部氏の判断に委ねるということで政孝の両親は折れました。
しかし阿部氏はリタのことを大変気に入り、その時にはすでにカウン家の人々が二人の結婚に理解を示していたため、安心して日本に帰国しました。
竹鶴家でも結婚に承諾し、政孝とリタは簡素ながらも結婚式を挙げることができたのです。
■スコットランドからやってきた青い目の花嫁
日本に戻った政孝とリタ夫妻を見た人々の反応はさまざまで、国際化の時代を先取りした素晴らしい結婚と称する人もいれば、どんな反応を示せばいいか困惑する人も大勢いました。
政孝の母であるチョウも、最初のうちこそ反対していましたが、やがて理解を示して二人を温かく迎え入れています。
政孝の母はおっとりとしたやさしい性格の人であったため、リタを受け入れる度量の広さを持っていたのかもしれません。
こうして二人の日本での新婚生活が始まったのでした。
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