menu list買取商品 - ローヤルサルート 21年 緑 陶器ボトル
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ローヤルサルート 21年 緑 陶器ボトルの高価買取致します
ローヤルサルート 21年 緑 陶器ボトルのご紹介
買取参考価格 | 2000円前後
生産国 | イギリス |
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生産者名 | シーバス・ブラザーズ社 |
地方 | スコットランド |
地区 | アバディーン |
分類 | ブレンデッドスコッチウイスキー |
タイプ | 700ml/40度 |
ブレンデッドウイスキー「シーバスリーガル」シリーズで有名なシーバス・ブラザーズ社によって、女王に敬意を表すため特別にブレンドされたのが「ローヤルサルート 21年」です。
「ローヤルサルート」の由来は、英国軍が王室に敬意を表して撃ち鳴らす皇礼砲のことからきています。
エリザベス2世の戴冠式の際に撃ち鳴らされた空砲回数が21回であることから、熟成年数も21年にこだわりました。
1952年の発売当初は記念限定品としてプロデュースされましたが、その出来映えの素晴らしさから継続販売を望む多くの声に応える形で引き続き製造され現在に至る、まさにプレミアムスコッチの最高峰と呼ぶにふさわしいウイスキーに仕上がっています。
ウェイド・セラミック社製の陶器ボトルは、戴冠式の時に使われた王冠を彩る宝石の色になぞらえて、緑(エメラルド)のほかに青(サファイア)、赤(ルビー)の3色展開となっています。
ローヤルサルート 21年 緑 陶器ボトルの歴史
イギリス王室への敬意を表した特別なボトルが印象的
■ 戴冠式で女王が被る王冠がモチーフ
「ローヤルサルート 21年 緑 陶器ボトル」は、1953年にイギリスで行われたイギリス女王エリザベス2世の戴冠式を祝福して造られた最高級のスコッチウイスキーです。
ローヤルサルート21年には緑の陶器ボトル以外にも、青と赤の陶器ボトルに入ったものがあります。
これらはエリザベス女王が戴冠する王冠に散りばめられた数々の宝石をモチーフにしており、青がサファイア、赤がルビー、そして緑はエメラルドを表しています。
使用された陶器のボトルは熟練の技を持つ職人が製作を手掛けており、気品と品格にあふれた仕上がりとなっているのが特徴です。
ボトルと同じ色のベルベットを使用した巾着袋に入れられ、金色の紐で結ぶ形になっています。
風格が漂う外箱にもROYAL SALUTE21という名前が記され、まさに特別なお酒であることを印象付けた仕上がりです。
ローヤルサルート21年を製造しているのはシーバス・ブラザーズ社で、あのシーバスリーガルでもよく知られています。
エリザベス女王の戴冠式ではイギリス海軍がイギリス王室への敬意を表し、皇礼砲と呼ばれる空砲を21回撃ち上げました。
ローヤルサルート21は、放たれた21回の皇礼砲の数にちなんで名付けられています。
■ 芳醇な甘さとフローラルな香りが融合した逸品
「ローヤルサルート 21年 緑 陶器ボトル」に詰められているスコッチウイスキーは、グーズリー(スグリ)と洋なしの果実感あふれる甘い香りにヘーゼルナッツの香ばしさが感じられます。
そこへラベンダーが持つフローラルな香りが調和し、絶妙のバランスが織りなす香りが魅力的です。
熟成する樽にはオーク樽を使用し、独特の薫香に加えてフルーティな香りも生み出しました。
まろやかな風味となめらかに喉を通っていく喉越しの良さは、これぞ高級スコッチウイスキーと感嘆すること間違いなしの逸品に仕上がっています。
■ 手掛けたのはスコッチウイスキーの老舗メーカー
ローヤルサルート21年は1801年にスコットランド・アバディーンで創業した、老舗のスコッチウイスキーメーカーのシーバス・ブラザーズ社が製造を手掛けています。
シーバス・ブラザーズ社の創業者・シーバス兄弟が、高価なブランデーやコーヒーなどの商品を扱うお店として開いたのが始まりです。
イギリス王室への食料調達業者としても任命され、スコットランド北部で最も優れた調達業者と評されたこともありました。
シーバスリーガルの名を一躍世界に轟かせたのは、シーバス兄弟がブレンデッドウイスキーの製造を始めた1850年代からずっと後の1990年代初頭のことです。
当時アメリカでは飛躍的に経済が発展し、さまざまな高級品の需要が伸びていました。
そこに目を付けたシーバス兄弟は、アメリカ向けにスコッチウイスキーを輸出することにします。
このウイスキーこそがかのシーバスリーガルで、禁酒法が施行される1920年代まで輸出され続けました。
現在シーバス・ブラザーズ社はペルノリカールの傘下に入っており、日本国内での輸入・販売はペルノリカールジャパン株式会社が行っています。
■ スコッチウイスキーと一人の日本人青年
日本でも近年ハイボール人気などで、スコッチウイスキーへの関心が高まっています。
しかしごく最近まで、ウイスキーはそれほど人気の高いお酒ではありませんでした。
日本のウイスキーを語る上で忘れてはならない人物といえば、「日本のウイスキーの父」と称されたニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝です。
単身スコットランドにウイスキー醸造を学ぶため渡欧した青年は、ペンとノートを片手に日夜ウイスキー造りに励みました。
スコットランドでの研修中、竹鶴政孝は学んだことをこと細かくノートに書き留め、帰国後に実習報告として摂津酒造の上司・岩井喜一郎に提出します。
これがあの有名な「竹鶴ノート」で、日本のウイスキーの歴史はこの竹鶴ノートのおかげで始まったといっても過言ではありません。
1934年にウイスキー造りを夢見て北海道余市で創業した竹鶴政孝でしたが、最初に製造したウイスキーが販売できたのは1940年のことでした。
創業当時の社名であった大日本果汁株式会社の日と果を取り、初めてのウイスキーは「ニッカウヰスキー」と命名されました。
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