menu list買取商品 - ボウモア 10年 デビルズカスク
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ボウモア 10年 デビルズカスクの高価買取致します
ボウモア 10年 デビルズカスクのご紹介
買取参考価格 | 10000円前後
生産国 | イギリス |
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生産者名 | ボウモア蒸溜所 |
地方 | スコットランド |
地区 | アイラ島ボウモア |
分類 | シングルモルトスコッチウイスキー |
タイプ | 700ml/57% |
2014年2月25日に発売された「ボウモア 10年 デビルズカスク」は、「第一貯蔵庫に身を隠した悪魔が樽の中のモルトウイスキーに潜り込み、アイラ島からへ逃げ出した」という、古くからボウモアの町に伝わる伝説に由来して名づけられたシングルモルトウイスキーです。
世界で6,000本、日本ではそのわずか10%の600本のみ限定で発売された貴重な銘柄となっております。
強いシェリー感とボウモアならではのトロピカルなニュアンスで、ピートの迫力やメリハリがあり、まるで悪魔の仕業と思わせるようなハツラツとした味わいが印象的です。
ボウモア 10年 デビルズカスクの歴史
ボウモアの町で語り継がれる伝説を元に生まれたシングルモルトウイスキー
■入手できなかった人が続出した伝説にふさわしい銘酒
「ボウモア 10年 デビルズカスク」は2014年2月25日にスコットランドのアイラ島、ボウモア蒸留所で製造・販売されたシングルモルトウイスキーです。
古くからボウモアの町にはデビルの伝説が伝わっており、この「ボウモア 10年 デビルズカスク」はボウモア蒸留所の第一貯蔵庫に身を隠した悪魔が樽の中のモルトウイスキーに潜り込み、アイラ島から逃げ出したという伝説に由来して命名されました。
ファーストフィルシェリーカスクのみで熟成させたスモールバッチのため、販売本数は世界で6,00本、日本ではそのわずか10%相当の600本のみの限定発売商品でした。
そのため手に入れることができなかったボウモアファンも多く、今もその伝説にふさわしい大変貴重な銘柄となっています。
ファーストフィルシェリーカスクが生み出す強いシェリー感とボウモアならではのトロピカルなニュアンスにアイラモルト特有の力強いピート香が絶妙なバランスを持つ仕上がりです。
それぞれの味わいにメリハリがあることから、まるで悪魔がウイスキーの中に潜んで生きているかのようです。
ボウモア蒸留所の伝説に思いを馳せながら、深みのある味わいを心ゆくまで堪能できる銘酒となっています。
■アイラ島で行われた密造酒造りがアイラモルトウイスキーの始まり
スコットランドだけでもスコッチ・ウイスキーの産地が6つあり、それぞれに異なった個性を持つウイスキーが造られています。
中でも際立って個性が強いのがアイラ島で造られるアイラモルトウイスキーで、スコットランドがイングランドに併合されていた時代には密造酒造りの拠点にもなっていました。
もともと医薬品として歴史が始まったウイスキーでしたが、次第に薬としてではなく香りや味わいを楽しむお酒として定着していったといわれています。
アイルランドが発祥のウイスキーはスコットランドへともたらされ、アイラ島はその中でも最も早くウイスキー造りが伝わった場所です。
アイラ島で最も歴史が古いとされる1779年創業のボウモア蒸留所が稼働する以前にはすでに蒸留所が建設され、蒸留酒造りが行われていたと考えられています。
当時のスコットランドはスコッチ・ウイスキーに多額の酒税がかけられており、そのパーセンテージは実に150%という高額でした。
そのため人々はウイスキーを山奥や森に隠し、何とかして酒税を課せられることを阻止しようとしたのです。
ウイスキーであることが知られず、また隠し場所にも困らない場所として選ばれたのがアイラ島で、ヨード分を豊富に含んだヨード臭と強烈なピート香がウイスキーを医薬品に見せかけるのに最適でした。
アイラ島がウイスキーの密造酒造りで盛んだったのは、海からの暴風が運ぶ潮の香りと果てしなく広がるピートだらけの湿地帯があったことが決め手です。
■日本人には不評だったウイスキー
日本にウイスキーがもたらされたのは1853年のことで、あのペリー提督率いる艦隊がアメリカから浦賀沖に来航したときだといわれています。
輸入元となったのはほとんどが薬問屋で、このことからもウイスキーがお酒ではなく薬として受け止められていたことが想像できます。
当時珍しかった洋酒に期待感を持って飲んだ日本の人々でしたが、「焦げ臭くい上にアルコールのようなにおいがして、とても飲める代物ではない」と大層な不評を買いました。
純国産ウイスキーの製造が始まったのは1923年ですから、アメリカからウイスキーがやって来てからずいぶんと時間がかかったことがわかります。
しかしウイスキーの本場スコットランドでスコッチ・ウイスキーの修業に励んだニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝氏や、日本初のモルトウイスキー蒸留所を山崎に建設して国産ウイスキーを世に送り出したサントリーの創業者・鳥井信治郎氏らの努力の末、ついに日本人の口に合う純国産ウイスキーが浸透していきました。
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