menu list買取商品 - サントリーローヤル 60
スピード査定はこちら「今すぐ価格が知りたい」
0120-962-166
(電話受付時間 10:00〜19:00 木曜日定休)
- 買取商品検索
サントリーローヤル 60の高価買取致します
サントリーローヤル 60のご紹介
買取参考価格 | 1800円前後
生産国 | 日本 |
---|---|
生産者名 | サントリースピリッツ株式会社 |
分類 | ブレンデッドウイスキー |
タイプ | 720ml/43度 |
長らくサントリーの最高級ラインに位置付けられていた「ローヤル」は、サントリーの創業60周年を記念して1960年に発売されたボトルです。
ラベルに大きく「’60」と書かれたファーストリリースとなるボトルのデザインは、漢字の「酒」のつくりの部分となる「酉」をかたどった独創的なスタイルで、十二支の十番目の「とり」の文字であると同時に酒の壺、酒器という意味合いを持っています。
また、山崎蒸溜所の奥にある神社の鳥居に因んだ形状の微妙なカーブを描くボトルキャップも特徴的で、ナイフでスパッと紐を切って開封するところなど、儀式的な要素も加えて「格」が演出されております。
その風味は、明瞭な樽感と奥からカラメルやバナナのような甘さとレーズンやオレンジが広がり、アルコール由来の辛さも感じつつも、酸味やビターに続いて甘さがフィニッシュへと導きます。
サントリーローヤル 60の歴史
サントリーの創業60周年を記念して発売されたサントリーローヤル60
■サントリーの創業者自らが生み出した創業60周年記念にふさわしい名作
「サントリーローヤル 60」はサントリーの創業60周年を記念して造られたボトルで、1960年に発売されました。
「サントリーローヤル」は長らくサントリーの最高級ラインに位置付けられていたウイスキーで、サントリーの創業者・鳥井信治郎自らが手掛けた渾身の名作です。
ファーストリリースとなるボトルのラベルに大きく「’60」と書かれたデザインとなっており、ウイスキーを詰めたボトルは漢字の「酒」のつくりの部分となる「酉」をかたどった独創的なスタイルとなっているのが特徴です。
ボトルキャップにつながれた紐をナイフでスパッと切って開封するようになっているなど、儀式的な要素も加わった「格」が演出されたボトルに仕上げられました。
サントリーの創業者であり初代マスターブレンダーでもある鳥井信治郎には天才的インスピレーションを持った人物で、味覚研究とバイタリティあふれる市場調査を怠りませんでした。
この3つの要素が三位一体となって「黄金比」の比率を生み出し、「サントリーローヤル」は誕生したのです。
一口含めば口の中に甘く華やかな香りが立ち上り、明瞭な樽感とその奥からカラメルやバナナのような甘さとレーズンやオレンジが広がります。
アルコール由来の辛さも感じつつも、やわらかでなめらかな口当たりが、酸味やビターさ、甘さがスッキリとした心地良いフィニッシュへと導いてくれる逸品です。
■サントリーローヤルのボトルに込められた意味とは
ウイスキーのボトルはどれもだいたい似ているものが多い中で、唯一ほかのどのボトルにも似ていないのが「サントリーローヤル」です。
ローヤルのボトルは「酒」のつくりにあたる「酉」をかたどっており、「酉」は「酒の壷」や「酒の器」という意味を持っています。
ボトルの栓は微妙なカーブを描いており、これは大阪のサントリー山梨蒸溜所の奥にある神社の鳥居に因んでデザインされたものです。
この鳥居の栓がモチーフとなっている「サントリーローヤル」は、鳥井信治郎が生涯で手掛けた最後の遺作となりました。
ローヤルを生み出した「鳥井」と、ローヤルを守るように造られた「鳥居」の栓には、どこか不思議な縁を感じさせます。
「サントリーローヤル」が1960年に誕生して以来、「ローヤルシリーズ」にはさまざまな商品がラインナップに加わりました。
しかしそのすべてのボトルは発売当初と変わらない「酉」の形をしており、栓にはカーブを描いた「鳥居」が用いられています。
■多くの作品を生み出した信治郎は偉大な鼻の持ち主だった
「国産ウイスキーの父」と称されるサントリーの創業者・鳥井信治郎は、「大阪の鼻」と呼ばれるほどの優れた嗅覚と鋭い感性の持ち主でした。
信治郎が完成させた「黄金比率」は日本人が飲んでおいしいと思える味わいのウイスキーを造るために、信治郎自身が長年模索し続けた末に出来上がったものです。
「サントリーローヤル60」もこの黄金比のブレンド技術によって誕生した傑作品で、そのほかにも信治郎はさまざまなウイスキーを世に送り出しました。
サントリーでは創業者・鳥井信治郎の鼻について、社史「やってみなはれ」の中で紹介している事柄があります。
第二次世界大戦後、信治郎の自宅には進駐軍の兵隊が訪れてタバコをくゆらせていましたが、信治郎は目をつぶったままでそのすべての銘柄を当てることができたと言います。
アメリカ産の評判の良くなかったビールについても信治郎は「香りがいい」と言って、決して悪く言うことはありませんでした。
利き酒コンクールに出たときにはいつも同席した人たちを圧倒するなど、信治郎の鼻は万人とは違っていたことがわかります。
信治郎は丁稚時代、調合の訓練をしていましたがそれでも信治郎が偉大な鼻の持ち主であったことは間違いありません。
その裏には「舶来ものに負けない国産ウイスキーを」という信治郎の志があり、それは夢の到達点でもあったのです。
- 買取商品検索