menu list買取商品 - イチローズチョイス 1976 シングルグレーン川崎
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イチローズチョイス 1976 シングルグレーン川崎の高価買取致します
イチローズチョイス 1976 シングルグレーン川崎のご紹介
買取参考価格 | 193900円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | 川崎蒸留所/ベンチャーウィスキー秩父蒸溜所 |
分類 | グレーンウイスキー |
タイプ | 700ml/62度 |
2009年に山梨の貯蔵庫で発見されたウイスキー原酒が「幻」と称される「イチローズチョイス 1976 シングルグレーン川崎(ICHIRO’S CHOICE 1976 SINGLE GRAIN KAWASAKI )」です。
今は存在しない神奈川県川崎市の蒸留所でつくられたグレーンウイスキーは、山梨の桃畑に囲まれた貯蔵庫で保管されていたことで、日本のグレーンとしては稀な長期熟成を経た原酒となりました。
その後、秩父蒸溜所にてボトリングした原酒は「イチローズチョイス」シリーズとして限定本数432本がリリースされ、既存のグレーンウイスキーのイメージを覆す長期熟成ならではの奥行きある味わいが従来のファンからも人気を博しました。
イチローズチョイス 1976 シングルグレーン川崎の歴史
■なぜ川崎という名がついているのか
イチローズチョイスKAWASAKI(カワサキ)川崎1976は肥土伊知郎(あくと・いちろう)氏が2007年に設立した秩父蒸留所でブレンドされてボトリングされたものです。
もっとも、名称からも分かるように蒸留されたのは秩父蒸留所が開設されるより、30年ほど前ですし、川崎という名称も何を意味するのか気になります。
川崎が意味しているところは川崎蒸留所もしくは川崎工場で、かつてあった酒造会社が神奈川県の川崎の地でウイスキーを蒸留していた歴史があります。
その酒造会社は1934年に昭和酒造として設立され、1941年には昭和農産化工に社名を変更し、戦後の1947年にサンラックウイスキー発売しました。
その後、1949年に三楽酒造に社名変更し、1958年に開設した川崎工場で原酒製造を開始しています。
その後、幾度かの吸収合併や社名変更を繰り返し、1990年にはメルシャンとなります。
そして、2003年に川崎工場の生産機能がストップされ工場が閉鎖されるにいたりました。
この時、川崎工場に貯蔵されていたウイスキー原酒は何処に行ったのか、廃棄されたのか、それとも何処かに譲渡されたのか不明だったのですが、実はとある山梨の貯蔵庫にあることが分かり、それを発見した肥土伊知郎氏が秩父の蒸留所へと持ち帰り、製品化するに至ったのです。
■ウイスキーの特徴
イチローズチョイスKAWASAKI(カワサキ)川崎1976はその製品化までの歴史も数奇で、奇跡的に製品化されたといっても過言ではありません。
蒸留所は神奈川県川崎市の川崎工場(川崎蒸留所)で蒸留年は1976年、貯蔵庫は山梨県山梨市でボトリングは2009年に埼玉県秩父市にある秩父蒸留所です。
700mlボトルでわずか432本だけのボトリング数となっており、残されている樽や量も少ないだけに大変希少な品となっています。
メインの貯蔵樽はリフィルシェリーバット、ノンチルフィルター製法で熟成された状態をそのまま味わうことができ、アルコール度数も65.6%と高めになっています。
甘いトップノートから始まり、口に含むとバーボンのような香ばしさとシェリーのような甘さが感じられ、アルコール度数の高さに比して飲みやすい味わいを楽しめるといわれています。
■偶然の出会いと運命の出会い
イチローズチョイスKAWASAKI(カワサキ)川崎1976の原酒となったシングルグレーン川崎が山梨の貯蔵庫で偶然にも発見されたのは、2009年の年明けのことです。
会社を受け継ぎ、工場閉鎖に踏み切ったメルシャンでもその所在が分からないといった状態であったものが、川崎から離れた山梨の地に移され眠っていたのです。
既に32年の年月を経ており、日本で蒸留されたグレーン原酒としては稀に見る長期熟成原酒ということができます。
これまで見つからなかった川崎工場の原酒が見つかったという偶然や、その原酒がベンチャー蒸留所といわれる2007年に開設されたばかりの秩父蒸留所でボトリングされることになったという偶然は、単なる偶然ではなく、ある意味、運命的な出会いだったということもできます。
実はベンチャー蒸留所を立ち上げた肥土伊知郎氏も数奇な運命を辿っています。
実家は1625年から続く東亜酒造という老舗の酒造会社でしたが、父親の代で経営が悪化してしまいます。
当時、サントリーに勤務していた伊知郎氏氏は経営再建のために会社を辞めて実家に戻りますが、そこでは再建のための条件として酒造事業のうち、ウィスキーづくりから撤退と設備の撤去、残されている400樽相当のウィスキー原酒の廃棄という厳しい条件がありました。
伊知郎氏は苦心の末に原酒を福島の酒造会社で保管してもらう約束をとりつけ、その後、保管していた原酒を元にウイスキーの販売を行う会社を2004年に設立し、2007年に秩父蒸留所を設立するにいたったのです。
閉鎖に追い込まれた川崎工場の原酒と、廃業に追い込まれた酒造会社の復活による奇跡的で運命的な出会いによって生まれたウイスキーなのです。
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