menu list買取商品 - 山崎蒸溜所 ザ・センチュリー40年 ピュアモルト 300本限定 サントリー 【空瓶の買取も可能】
スピード査定はこちら「今すぐ価格が知りたい」
0120-962-166
(電話受付時間 10:00〜19:00 木曜日定休)
- 買取商品検索
山崎蒸溜所 ザ・センチュリー40年 ピュアモルト 300本限定 サントリー 【空瓶の買取も可能】の高価買取致します
山崎蒸溜所 ザ・センチュリー40年 ピュアモルト 300本限定 サントリー 【空瓶の買取も可能】のご紹介
買取参考価格 | 1500000円前後
生産国 | 日本 |
---|---|
生産者名 | サントリー山崎蒸留所 |
分類 | ピュアモルトウイスキー |
タイプ | 700ml/43度 |
1960年3月31日に山崎蒸溜所のポットスチルで蒸留し、北海道産のミズナラ樽に貯蔵熟成した40年物のシングルカスク・ピュアモルトウイスキーを2000年にボトリングしてリリースした1本です。
ブレンダーが予期していなかったほどの熟成の高みに上り詰め、まさに100年に一度得られるかという出来映えです。
世界に例をみないほどの北海道産ミズナラ材で作った樽由来の香木キャラを想わせる熟成香、長期熟成ならではの深遠な芳香、そして重厚かつ豪奢なコクが特長で、アフターテイストにミズナラ樽特有の個性あふれる力強いウィティネスの余韻が長く響きます。
「ザ・センチュリー40年」は「ZD0550」の樽1丁の中味を、300本のボトルに封じた大変希少な逸品です。
※中身のない「空き瓶」でもお買い取り可能な商品となります。
山崎蒸溜所 ザ・センチュリー40年 ピュアモルト 300本限定 サントリー 【空瓶の買取も可能】の歴史
■貴重なプレミアムウイスキー
サントリー ピュアモルトウイスキー ザ・センチュリー40年は山崎蒸溜所で1960年3月31日にのポットスチルで蒸留された原酒を北海道産のミズナラ樽で40年かけて貯蔵熟成されたシングルカスクのピュアモルトウイスキーとなっています。
「ZD0550」のシリアルナンバーが入った1つの樽のみから樽出しされ、限定300本だけの数量しか販売できない大変希少なウイスキーとなっています。
一般的にウイスキー造りには北米産ホワイトオークやヨーロピアンオークが使われています。
これに対して、サントリー ピュアモルトウイスキー ザ・センチュリー40年ではサントリーがオリジナルで開発した他国のウイスキー造りでは用いられていない和製の樽であるミズナラ樽で熟成された原酒のみで仕立てられているのです。
■ミズナラ樽の歴史
山崎蒸留所では多彩な原酒の造り分けをするためにホワイトオークやスパニッシュオークのシェリー樽など5種類の樽を主に利用していますが、今ではその代表格となっているサントリーのウイスキー造りに欠かせない樽がミズナラ樽で、ミズナラ樽を用いたウイスキーは国際的な品評会でも数々の最高グレードの賞を受賞し続けており、ジャパニーズウイスキーとして世界的に高い評価を獲得しています。
サントリーでなぜ世界のウイスキー造りでは用いられていないミズナラ樽を利用するようになったかといえば、実は時代に翻弄された歴史が影響しています。
山崎蒸留所は1923年から日本初のモルトウイスキー蒸留所としてウイスキー造りをスタートさせていますが、第二次世界大戦中は欧米諸国との流通が途絶え
ており、戦後も混乱のさなかで北米産のホワイトオークは思うように手に入れることができませんでした。
苦肉の策として国内で手に入る木材で樽づくりを行い、その1つの木材がミズナラだったのです。
ミズナラは家具作りなどによく利用される木材で、北海道を主要な産地としています。
現在のサントリーではチーフブレンダーが自ら富良野のミズナラ林に足を運んで、樽づくりに適した樹齢150年以上で真っ直ぐな木を選び出して、自社の製樽工場で丁寧に樽に仕上げています。
ですが、当時のブレンダーたちの間ではミズナラ樽は木の成分の特性が強く出過ぎることから好まれず、疎ましい樽の1つだったのです。
繊細さが求められる、日本人の感性に合ったジャパニーズウイスキー作りには適さないと、そのまま放置されたミズナラ樽にある日、奇跡的な発見が起こります。
それは20年もの歳月が経ったときのことでした。
忘れされれていたミズナラ樽を試しに開けてみたところ、東洋的な香りが漂う、他にはない香りが宿されていたのです。
今となっては大器晩成型のシングルモルト山崎に欠かせない樽として、さらにはサントリー ピュアモルトウイスキー ザ・センチュリー40年のようにシングルカスクの原酒として、20年から30年を超える長期貯蔵用の樽として大切に使われています。
■蒸留された時代の歴史
サントリー ピュアモルトウイスキー ザ・センチュリー40年が蒸留されて樽に納められた1960年とはどのよな時代だったのでしょうか。
山崎蒸留所では戦後復興と高度成長期による高級ウイスキーブームの中で、増大する需要に応じるために1957年から1959年にかけて新しい設備や装置を導入して生産体制を強化させました。
戦後の貧しい時代にも手頃な価格ながらも良質なウイスキーをと販売されたトリスとそれをハイボールで提供するトリスバーのブームが1960年に最盛期を迎えウイスキーが国民の生活の中に根差した時期にあたります。
そして、1960年はもう1つ、サントリーにとっての一大イベントがあり、鳥井商店にはじまる寿屋の創業60周年を記念する製品として『サントリーローヤル」が発売された年でもあるのです。
既に81歳となっていたサントリー創業者の鳥井信治郎の遺作と呼ばれているウイスキーで、息子である佐治敬三の指揮のもとで、チーフブレンダーの佐藤乾を中心に山崎蒸留所で熟成された最良のモルト原酒を集結してブレンドされました。
鳥井信治郎は息子たちがブレンドした試作品に指示を与えつつも、次の世代が育っている喜びをかみしめていたといいます。
新製品の発売に喜びながら、1962年2月20日、83歳で日本初のウイスキー造りに捧げた生涯を閉じています。
- 買取商品検索