menu list買取商品 - 山崎12年 ミレニアム 2000 記念ラベル サントリー ピュアモルト
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山崎12年 ミレニアム 2000 記念ラベル サントリー ピュアモルトの高価買取致します
山崎12年 ミレニアム 2000 記念ラベル サントリー ピュアモルトのご紹介
買取参考価格 | 80000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | サントリー山崎蒸留所 |
地方 | 大阪府 |
地区 | 三島郡島本町 |
分類 | ピュアモルトウイスキー |
タイプ | 750ml/43度 |
「サントリーピュアモルト 山崎12年 ミレニアム 2000 記念ラベル」は西暦2000年、ミレニアム・イヤーの到来を祝って発売された限定品ウイスキー「ミレニアムシリーズ」のひとつです。
新千年紀の幕開けを記念するべくゴージャスで気品ある金色のラベルが施されたスペシャルな1本となっております。
酒齢12年を超える樽の山崎モルト原酒を100%詰めこんだこちらのボトルは、華やかでノーブルな香りに、濃厚で円やかな味わいが特徴的で、熟成樽由来の木香が深い余韻をつくります。
山崎12年 ミレニアム 2000 記念ラベル サントリー ピュアモルトの歴史
ミレニアムイヤーの到来を祝って造られた山崎の限定ウイスキー
■ゴージャスにきらめく金色のラベルが幕開けにふさわしい彩りを添えた逸品
「サントリーピュアモルト 山崎12年 ミレニアム 2000 記念ラベル」は西暦2000年のミレニアム・
イヤーの到来を祝って、限定品ウイスキートして造られた「ミレニアムシリーズ」のうちの一つです。
新千年紀の幕開けを記念するのにふさわしいゴージャスで気品ある金色のラベルが施されており、力強い「山崎」の毛筆の文字がスペシャル感を増してくれる一本となっています。
化粧箱には2000年を迎えるまでに過ぎ去った年月が白や銀色の文字で刻印され、「2000」を迎えるまでに過ぎた時代を表したデザインが印象的です。
酒齢12年を超える樽の山崎モルト原酒を100%詰めた「サントリーピュアモルト 山崎12年 ミレニアム 2000 記念ラベル」は、華やかでノーブルな香りと濃厚でまろやかな味わいに仕上がっています。
12年の歳月をかけて進んだ熟成樽由来の木香が爽やかに香り、奥行きのある深い味わいが長く続く余韻を醸し出してくれます。
幕開けの年にふさわしい、ゴージャスでありながらも上品さも感じさせる逸品です。
■国産ウイスキー造りは全て山崎蒸溜所から始まった
サントリーの創業者・鳥井信治郎がウイスキーの製造に取り掛かる決意をしたのは1923年のことで、「日本人の繊細な味覚にあった、 日本のウイスキーを造りたい」との熱い思いが山崎蒸溜所の建設へとかき立てました。
当時日本の酒類製造メーカーはどこもウイスキーの製造には手を付けていなかったのですが、それには大きな理由があったのです。
ウイスキーは蒸溜してから貯蔵し、熟成の期間を経てウイスキーとして発売できるまで非常に時間がかかるお酒です。
しかも日本人の味覚に合うウイスキーを造るといっても、基礎となるスコッチウイスキーの造り方や蒸溜機の使い方が分からなければ本格的なウイスキーを造ることもできません。
ウイスキー事業が成功するという保証もなく、鳥井信治郎の周りにいた人物は全てウイスキー造りを反対しました。
しかし鳥井信治郎は周囲の反対を説き伏せ、名水百選にも選ばれた京都の南西・山崎の地に山崎蒸溜所を建設します。
鳥井信治郎は当初山崎蒸溜所の所長に、スコットランドから著名なウイスキー製造技師を呼び寄せる予定でした。
しかしスコットランド・キャンベルタウンを訪れたときに、スコッチウイスキーの権威から「日本にはすでに優秀な技術者の竹鶴政孝がいるだろう」といわれます。
日本に帰国した鳥井信治郎はすぐさま竹鶴政孝のところに向かい、10年契約の約束で山崎蒸溜所の初代所長として竹鶴を迎え、本格的なウイスキー造りを始めたのでした。
■初代マスターブレンダーから引き継がれた歴史と密かに込められた思い
山崎蒸溜所初のウイスキーは「白札」(現在のホワイトラベル)で、サントリーが手掛けた日本で初めての純国産となりました。
このウイスキーの誕生によって鳥井信治郎は「国産ウイスキーの父」と称されるようになったのです。
しかし「白札」は竹鶴政孝がこだわった本場のスコッチ・ウイスキーの味わいが非常に強く、日本人の繊細な味覚には合わないウイスキーとして不評を買います。
そこで鳥井と竹鶴は飲みやすさを追求して「赤札」(現在のレッドラベル)を販売しましたが、急ごしらえの「赤札」が評価を得られることはありませんでした。
10年の契約期間終了を迎えた竹鶴は、鳥井との基本的な方向性の違いから山崎蒸溜所の所長を退任して、自らのウイスキー造りの理想郷である北海道余市町へと向かいます。
そこでニッカウヰスキーの前身となる大日本果汁株式会社を立ち上げ、「日本のウイスキーの父」と称される成功を収めました。
一方サントリーの初代マスターブレンダーでもあった鳥井信治郎は、2代目マスターブレンダー兼社長に次男の佐治敬三を選びます。
佐治は数十万樽の原酒の中から掛け合わせ、試行錯誤の上ようやくシングルモルトウイスキーの「山崎」を造り上げることに成功しました。
ブレンド開始から完成までにかかった歳月は2年で、山崎の地で生まれたことにちなんでこのウイスキー・ブランドは「山崎」と命名されたのでした。
「山崎」の文字は佐治自身が毛筆でしたためたもので、密かに「寿」の文字が隠されています。
「寿」はサントリーの創業者であり父親である信治郎が興した「寿屋」を意味し、「山崎」の新しい門出を寿ぐ意味も込められています。
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