menu list買取商品 - 山崎蒸溜所 幻夢 2012 サントリーシングルモルト
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山崎蒸溜所 幻夢 2012 サントリーシングルモルトの高価買取致します
山崎蒸溜所 幻夢 2012 サントリーシングルモルトのご紹介
買取参考価格 | 631000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | サントリースピリッツ山崎蒸溜所 |
地方 | 大阪府三島郡島本町 |
分類 | ピュアモルト |
タイプ | 760ml/43度 |
サントリーシングルモルト「山崎蒸溜所 幻夢」は 2012年にボトリングされたのち、一時期のみ販売された大変希少性の高いレアボトルとして、ウイスキーファンやコレクターの間で有名な山崎ウイスキーです。
山崎蒸溜所の貯蔵庫に保管されたフレンチオーク樽などで長期間熟成した贅沢なウイスキー原酒は、独特のテイストが味わえる魅力の詰まった銘柄に仕上がっています。
店頭はもちろん、ネットオークションでも滅多にお目にかかることができない貴重な「山崎蒸溜所 幻夢」は、中身がない空き瓶でも高くお買取りさせていただきます。
山崎蒸溜所 幻夢 2012 サントリーシングルモルトの歴史
■山崎蒸溜所で生み出されたウイスキーの歴史
日本人の感性と日本の風土に合い、世界にも認められるウイスキーを造りたいとサントリー創業者である鳥井信治郎が山崎に蒸溜所を開設したのは1923年のことで、翌年秋から蒸溜がスタートしています。
初めてのウイスキー造りに試行錯誤を繰り返し、ようやく1929年に日本初の本格国産ウイスキー「白札」が発売されます。
ですが、洋酒に馴染みがない当時の日本人にはほとんど受け入れられませんでした。
さらに改良を重ね続けて1937年に「角瓶」を発売するとこれが大人気となります。
その後、戦争でウイスキーが楽しまれる時代ではなくなったものの、戦禍からウイスキー原酒を守り続け、戦後の復興期には低価格で品質のよい味わいが楽しめる「トリス」を発売し、その後は戦後の復興や高度成長期に合わせて「オールド」や「ローヤル」など現在でもファンが多い本格ウイスキーを次々に生み出していきます。
信治郎の跡を継いだ次男の佐治敬三が二代目マスターブレンダーに就任した時期は、ウイスキーの需要は凄まじい勢いで伸びていった時期でした。
時代のニーズに応える形で1964年の「レッド」や最高級品の「インペリアル」、1969年の「リザーブ」など価格帯も様々に展開し、個性あふれるウイスキーを発売していきました。
現在でも人気の「リザーブ」はサントリー創業70周年記念作品であり、高度成長期に日本が沸き立つなかでの発売で、ジャパンイズナンバーワンと世界に認められ、日本人が戦後の凋落から自信を取り戻した時期のことです。
キャッチコピーは国産品と呼ばずに国際品と呼んでくださいで、世界に誇るウイスキーとして新しい時代の幕開けを予感させました。
高度経済成長がピークを極めつつあった1984年、国主導の経済成長が個人の豊かさへと変わる転換期に、これからは個性が求めらえる時代ととらえた佐治敬が生み出したのが個性の強い日本を代表するシングルモルトウイスキー「山崎」だったのです。
■世界に認められた山崎蒸溜所
シングルモルト山崎が国際的なアルコールやウイスキーのコンテストで、数々の賞を受賞し、世界的に高い評価を得ていることはウイスキー好きな方ならほとんどの方がご存知でしょう。
では、山﨑蒸溜所そのものが世界から認められていることはご存知でしょうか。
アイコンズ・オブ・ウイスキー2015で、山崎蒸溜所がウイスキービジター・アトラクション・オブ・ザ・イヤーを受賞し、山﨑蒸溜所のおもてなしが世界に高く評価されたのです。
このコンテストでは蒸溜所を訪れた方の満足度を尺度に評価が決められていますが、誰もに分かりやすい内容の製造工程見学をはじめ、楽しくて為になる各種セミナーやイベントの開催、蒸溜所内にあるウイスキー館での歴代のウイスキーの展示や限定品の試飲などを通じてジャパニーズウイスキーの歴史と魅力を体感できる点が満足度が高いと蒸溜所として選ばれたのです。
■日本で初めて蒸溜所ができたのは1923年
たとえば日本酒にとって酒蔵が必要なように、ウイスキーにも蒸留所が欠かせません。
専用の蒸留所があってこそ独自のウイスキーが生まれることにつながるのです。
ウイスキーが日本に伝わったのはペリーが浦賀に来航した時のことですが、それから定着するまでは大分時間がかかりました。
それまで味わったことのない飲み物を受け入れるには勇気がいるものです。
もっとも、全ての日本人がウイスキーを好まなかったというわけではありません。
中にはウイスキーの味にほれ込み、こんなにうまいのだから日本ではやらなければおかしい、と自らウイスキーを作り始める人まで現れるようになります。
それこそが鳥井信治郎という、現在のサントリーの創業者となった男でした。
鳥井はウイスキーを作るにあたってまずは蒸留所を作らなければならないと思うに至ります。
ウイスキーを作るためには良い水が欠かせないので、川が流れているところに建てなくてはいけません。
そこで鳥井は大阪府にある山崎という場所に目を付けます。
そこには三つの川が合流しており、良質な水を豊富にくみ取ることができました。
この時鳥井に協力していた竹鶴政孝という人は大阪に蒸留所を建てる案に反対し、北海道に建てた方がいいと訴えます。
とはいえ、ウイスキーを作って販売するにあたって北海道は交通の便がまだまだ整っていませんでした。
くわえて、全国から多くの人たちにウイスキーを作る姿を見に来てほしい、と鳥井は考えていたために、結局山崎に蒸留所を建てることになりました。
結果出来上がった山崎蒸留所は日本初のウイスキー蒸留所として90年以上にわたってウイスキーを製造し続けていくこととなります。
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