menu list買取商品 - 山崎 ピュアモルト 山崎蒸溜所 80周年記念ボトル サントリー
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山崎 ピュアモルト 山崎蒸溜所 80周年記念ボトル サントリーの高価買取致します
山崎 ピュアモルト 山崎蒸溜所 80周年記念ボトル サントリーのご紹介
買取参考価格 | 120000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | サントリースピリッツ山崎蒸溜所 |
地方 | 大阪府三島郡島本町 |
分類 | ピュアモルト |
タイプ | 700ml/43度 |
「山崎 ピュアモルト 山崎蒸溜所 80周年記念ボトル」は、2,000本限定で販売された白州蒸溜所30周年記念限定ウイスキーとともに2003年6月24日にリリースされた、5,000本限定の大変貴重なサントリーウイスキーの銘柄です。
80年にわたりモルトウイスキーを育ててきた山崎蒸溜所の多彩な貯蔵樽の中から、パンチョン樽で15年間長期熟成した山崎モルトを厳選し、さらにミズナラ樽の40年物の原酒を加えてボトリングしています。
ミズナラ原酒特有の伽羅を想わせるようなウッディーな香り、そしてパンチョン樽原酒の甘く華やかな香りがバランスよく調和した「山崎蒸留所80周年記念 山崎 ピュアモルトウイスキー」のラベルには、山崎蒸溜所草創期のキルン(麦芽乾燥塔)を描いたイラストを配し、ウイスキーづくりの伝統を表現しています。
2002年に山崎蒸留所のマスターブレンダーに就任した鳥井信吾氏のサインを記載したこちらのボトルは、市場流通数が限られた希少性の高いウイスキーとなっているため、高価買取にご期待いただける1本です。
山崎 ピュアモルト 山崎蒸溜所 80周年記念ボトル サントリーの歴史
■山崎蒸溜所で生み出されたウイスキーの歴史
日本人の感性と日本の風土に合い、世界にも認められるウイスキーを造りたいとサントリー創業者である鳥井信治郎が山崎に蒸溜所を開設したのは1923年のことで、翌年秋から蒸溜がスタートしています。
初めてのウイスキー造りに試行錯誤を繰り返し、ようやく1929年に日本初の本格国産ウイスキー「白札」が発売されます。
ですが、洋酒に馴染みがない当時の日本人にはほとんど受け入れられませんでした。
さらに改良を重ね続けて1937年に「角瓶」を発売するとこれが大人気となります。
その後、戦争でウイスキーが楽しまれる時代ではなくなったものの、戦禍からウイスキー原酒を守り続け、戦後の復興期には低価格で品質のよい味わいが楽しめる「トリス」を発売し、その後は戦後の復興や高度成長期に合わせて「オールド」や「ローヤル」など現在でもファンが多い本格ウイスキーを次々に生み出していきます。
信治郎の跡を継いだ次男の佐治敬三が二代目マスターブレンダーに就任した時期は、ウイスキーの需要は凄まじい勢いで伸びていった時期でした。
時代のニーズに応える形で1964年の「レッド」や最高級品の「インペリアル」、1969年の「リザーブ」など価格帯も様々に展開し、個性あふれるウイスキーを発売していきました。
現在でも人気の「リザーブ」はサントリー創業70周年記念作品であり、高度成長期に日本が沸き立つなかでの発売で、ジャパンイズナンバーワンと世界に認められ、日本人が戦後の凋落から自信を取り戻した時期のことです。
キャッチコピーは国産品と呼ばずに国際品と呼んでくださいで、世界に誇るウイスキーとして新しい時代の幕開けを予感させました。
高度経済成長がピークを極めつつあった1984年、国主導の経済成長が個人の豊かさへと変わる転換期に、これからは個性が求めらえる時代ととらえた佐治敬が生み出したのが個性の強い日本を代表するシングルモルトウイスキー「山崎」だったのです。
■世界に認められた山崎蒸溜所
シングルモルト山崎が国際的なアルコールやウイスキーのコンテストで、数々の賞を受賞し、世界的に高い評価を得ていることはウイスキー好きな方ならほとんどの方がご存知でしょう。
では、山﨑蒸溜所そのものが世界から認められていることはご存知でしょうか。
アイコンズ・オブ・ウイスキー2015で、山崎蒸溜所がウイスキービジター・アトラクション・オブ・ザ・イヤーを受賞し、山﨑蒸溜所のおもてなしが世界に高く評価されたのです。
このコンテストでは蒸溜所を訪れた方の満足度を尺度に評価が決められていますが、誰もに分かりやすい内容の製造工程見学をはじめ、楽しくて為になる各種セミナーやイベントの開催、蒸溜所内にあるウイスキー館での歴代のウイスキーの展示や限定品の試飲などを通じてジャパニーズウイスキーの歴史と魅力を体感できる点が満足度が高いと蒸溜所として選ばれたのです。
■日本で初めて蒸留所ができたのは1923年
たとえば日本酒にとって酒蔵が必要なように、ウイスキーにも蒸留所が欠かせません。
専用の蒸留所があってこそ独自のウイスキーが生まれることにつながるのです。
ウイスキーが日本に伝わったのはペリーが浦賀に来航した時のことですが、それから定着するまでは大分時間がかかりました。
それまで味わったことのない飲み物を受け入れるには勇気がいるものです。
もっとも、全ての日本人がウイスキーを好まなかったというわけではありません。
中にはウイスキーの味にほれ込み、こんなにうまいのだから日本ではやらなければおかしい、と自らウイスキーを作り始める人まで現れるようになります。
それこそが鳥井信治郎という、現在のサントリーの創業者となった男でした。
鳥井はウイスキーを作るにあたってまずは蒸留所を作らなければならないと思うに至ります。
ウイスキーを作るためには良い水が欠かせないので、川が流れているところに建てなくてはいけません。
そこで鳥井は大阪府にある山崎という場所に目を付けます。
そこには三つの川が合流しており、良質な水を豊富にくみ取ることができました。
この時鳥井に協力していた竹鶴政孝という人は大阪に蒸留所を建てる案に反対し、北海道に建てた方がいいと訴えます。
とはいえ、ウイスキーを作って販売するにあたって北海道は交通の便がまだまだ整っていませんでした。
くわえて、全国から多くの人たちにウイスキーを作る姿を見に来てほしい、と鳥井は考えていたために、結局山崎に蒸留所を建てることになりました。
結果出来上がった山崎蒸留所は日本初のウイスキー蒸留所として90年以上にわたってウイスキーを製造し続けていくこととなります。
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