menu list買取商品 - マルスモルト ル・パピヨン ミヤマカラスアゲハ
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マルスモルト ル・パピヨン ミヤマカラスアゲハの高価買取致します
マルスモルト ル・パピヨン ミヤマカラスアゲハのご紹介
買取参考価格 | 20000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | 本坊酒造 マルス信州蒸溜所 |
分類 | ジャパニーズウイスキー/シングルカスク |
タイプ | 700ml / 60度 |
限定560本のシングルカスクウイスキーです。
「マルスモルト ル・パピヨン」とは、ウイスキーの熟成環境の軸を形成する日本の四季折々の気候や風土、その日本の自然環境の素晴らしさを、日本に生息する蝶をモチーフに表現したシリーズとなります。
第5弾は長野県を含め日本各地に生息する「ミヤマカラスアゲハ」がテーマとなっております。
青緑に輝く大きな羽根で羽ばたく美しい姿をイメージし、アメリカンホワイトオークで熟成したミディアムピーテッドの原酒を一樽厳選しました。
樽出しの風味にこだわり、マルス信州蒸溜所で2014年に蒸留したモルト原酒をナチュラルカスクストレングス・ノンチルフィルターで瓶詰めしたシングルカスクウイスキーの逸品です。
ネオプライスでは、上記のようなジャパニーズウイスキーなどの買取を行っております。
時にジャパニーズウイスキーのサントリー山崎・サントリー白州・ニッカ竹鶴は高価買取させて頂いております。
飾っていたけど処分しようと思っているお酒や、ご自宅に眠ったままになっているお酒などを高価買取させていただき、楽しんでいただけるお客様にお渡しするお手伝いをさせていただいております。
古いものや希少性が高いものであれば、正確な査定で業界屈指の高価買取をいたしますので、まずはお酒買取専門店ネオプライスにご相談ください!
その他、マルスモルト ル・パピヨンシリーズに関連する商品もご覧下さい。
※買取相場は、市場の相場状況や買取方法などによって上下変動いたしますので、予めご了承ください。
マルスモルト ル・パピヨン ミヤマカラスアゲハの歴史
●ジャパニーズウィスキーの創生●
マルスウィスキーの歴史を語ることは、日本のウィスキー創生について語ることと同義です。
このお酒を造っているのは本坊酒造株式会社、今でこそ9つもの蔵や蒸溜所を持つ一大企業ですが、もとは鹿児島で焼酎を作っていた小さな酒造でした。
本坊酒造がウィスキーの製造免許を取得したのは1949年、しかしながらその先11年間は、他の製造者の生産したモルトとグレーンをブレンドするのみの業務でした。
本格的に自社のウィスキー生産を開始したのは1960年、山梨に蒸溜所を建設してからのことです。
そしてその蒸溜所の設計を担い、指導にあたった人物が岩井喜一郎氏でした。
岩井氏といえば、ジャパニーズウィスキーの始祖として名を連ねる重鎮です。
多くの人が知る、かの竹鶴政孝氏の上司であった人物であり、竹鶴氏が留学先のスコットランドから持ち帰った有名な「竹鶴レポート」をずっと保管していた人物でもあります。
岩井氏は摂津酒造で竹鶴氏の上司として指導にあたりましたが、1939年に摂津酒造を退任、1945年に本坊酒造の顧問に就任しました。
本坊酒造の本坊蔵吉氏の恩師でもあった岩井氏は、洋酒生産の拠点として山梨にワインとウィスキーの製造拠点を作り、竹鶴氏のレポートをもとにウィスキー工場の設計と指導を行ったのです。
岩井氏の死後、ウィスキー作の地は中央アルプス山麓の長野県上伊那郡に移りますが、ここに竣工したマルス信州蒸溜所の礎を築いたのは、紛れもなく岩井氏です。
マルスウィスキーの誕生に尽力した岩井氏の功績が、ジャパニーズウィスキーの歴史を築いたことに間違いはないでしょう。
●本坊酒造が尊敬する2人の人物●
純国産ウィスキーの生みの親として知られるニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝氏は、岩井喜一郎氏の後輩であり部下でもありました。
岩井氏は大阪高等工業学校(現・大阪大学工学部)の1期生で、竹鶴氏は15期生の先輩・後輩の間柄です。
竹鶴氏が摂津酒造に入社することになったのは、摂津酒造の常務取締役に就任していた岩井氏を頼っていったからだといわれています。
本坊酒造がウィスキー部門を岩井氏に一任した際、岩井氏は所有していた「ウィスキー実習報告書」をもとにポットスチルの製造やウィスキー蒸溜を行いました。
このレポートは大学ノート2冊に収められたもので、通称「竹鶴ノート」と呼ばれています。
竹鶴氏がスコットランドで学んだ数多くの資料が詰められたこのノートがなければ、今のジャパニーズ・ウィスキーの地位は確立されていなかったとまでいわれるほど貴重なものです。
本坊酒造のポットスチルは「竹鶴ノート」をもとに、岩井氏の指導によって設計されていきました。
出来上がったウィスキーは「ヘビーでスモーキー」な、まさにウィスキーの本場・スコットランドそのもののスコッチ・ウィスキーだったのです。
その後は正統派スコッチ・ウィスキーを超えるべく、しかし原点は見失わずに「本物のジャパニーズ・ウィスキー造り」に取り組んでいきました。
マルスウィスキーを生み出した岩井喜一郎氏はもちろん、日本におけるジャパニーズ・ウィスキー発展の基礎を造った竹鶴政孝氏の2人に対し、本坊酒造はその偉業と功績に心から敬意を払っています。
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