menu list買取商品 - マルスモルト ル・パピヨン 小松孝英 エディション
スピード査定はこちら「今すぐ価格が知りたい」
0120-962-166
(電話受付時間 10:00〜19:00 木曜日定休)
- 買取商品検索
マルスモルト ル・パピヨン 小松孝英 エディションの高価買取致します
マルスモルト ル・パピヨン 小松孝英 エディションのご紹介
買取参考価格 | 80000円前後
生産国 | 日本 |
---|---|
生産者名 | 本坊酒造 マルス駒ヶ岳蒸溜所 |
分類 | ジャニーズウイスキー/シングルモルト |
タイプ | 700ml / 55% |
原画作品ラベルの30年熟成ウイスキー
日本の気候風土がもたらす、四季折々の豊かな自然。四季の移り変わりはウイスキーの熟成を促し、味わいを豊かなものにします。
その自然環境の素晴らしさを、日本に生息する蝶をモチーフにして表現している『マルスモルト ル・パピヨン』シリーズ。
マルス駒ヶ岳蒸溜所(旧:マルス信州蒸溜所)で長期間熟成した貴重な一樽からシングルモルトウイスキーを商品化するにあたり、2019年10月に宮崎県在住の美術家・小松孝英氏へ「マルスモルト ル・パピヨン」のラベルとなる作品を依頼し、日本に生息する蝶257種を網羅する、全365点を制作していただきました。
桃山時代後期から近代にかけて流行した、絵画や工芸品の伝統的な「琳派」の技法を巧みに用い、ウイスキーラベルに採用した特別仕様のウイスキーです。
ウイスキーは、マルス駒ヶ岳蒸溜所で稼働していた初代ポットスチルで1990年に蒸留され、アメリカンホワイトオーク樽で熟成した酒齢30年の原酒になります。
ナチュラルカスクストレングス、ノンチルフィルタリングで瓶詰めを行い、熟成の時を経たウイスキーだけが醸し出す円熟した味わいをお楽しみいただけます。
ネオプライスでは上記ジャパニーズウヰスキーの他、様々なウイスキーの買取をしております。
特にジャパニーズウイスキーは高価買取実施中です。
古いものや希少性が高いものであれば、まずはお酒買取専門店ネオプライスにご相談ください!
その他、マルスモルト ル・パピヨンシリーズに関連する商品もご覧下さい。
▶『 マルスモルト ル・パピヨン ダブルカスク モンキアゲハ 』
※買取相場は、市場の相場状況や買取方法などによって上下変動いたしますので、予めご了承ください。
マルスモルト ル・パピヨン 小松孝英 エディションの歴史
●マルス駒ヶ岳蒸溜所について
鹿児島の地で日本の蒸留酒「焼酎」造りに邁進していた本坊酒造が、ウイスキー製造免許を取得したのが1949年。それ以来、「いつか日本の風土を活かした本物のウイスキーを造りたい」と夢を抱き続けていました。
鹿児島でのウイスキー製造から数年経た後、1960年に山梨にワインとウイスキー製造のための工場「マルス山梨ワイナリー」を設立。そして、本格的にウイスキー造りに取り組むために、さらなる理想の地を探し求めました。
澄んだ空気の寒冷地であり、しかも適度な湿度と良質な水に恵まれていることなど、ウイスキー造りのための自然条件は大変厳しいものがあります。
こうした条件を満たす土地を探し求め、1985年ウイスキー造りに最適な環境を求めて長野県中央アルプス駒ヶ岳山麓標高798mの地にマルス信州蒸溜所を開設。
1992年にウイスキー需要低迷により蒸留を休止。その後、世界的にジャパニーズウイスキーが評価されはじめる中、ウイスキー需要が回復傾向にあった2009年に蒸留再開を決意し2011年2月より再スタート。
2020年9月、35年ぶりの全面リニューアル。投資額は約12億円。
2019年5月から、老朽化した設備の改修とウイスキー増産を見据えた樽貯蔵庫施設の整備やウイスキー造りの見学を目的にしたウイスキー蒸留棟(樽貯蔵庫を含む)と、オリジナルウイスキーやグッズ販売などを目的にビジター棟を新設、既存の設備及び施設を改修。
新設したウイスキー蒸留棟は1,996㎡(延床面積、約2,500樽収容予定の樽貯蔵庫含む)、ビジター棟は746㎡。
2024年3月1日、シングルモルトウイスキーブランド「駒ヶ岳」との統一性を図る目的で、事業所名を「マルス駒ヶ岳蒸溜所」に変更。
●ジャパニーズウィスキーの創生
マルスウィスキーの歴史を語ることは、日本のウィスキー創生について語ることと同義です。
このお酒を造っているのは本坊酒造株式会社、今でこそ9つもの蔵や蒸溜所を持つ一大企業ですが、もとは鹿児島で焼酎を作っていた小さな酒造でした。
本坊酒造がウィスキーの製造免許を取得したのは1949年、しかしながらその先11年間は、他の製造者の生産したモルトとグレーンをブレンドするのみの業務でした。
本格的に自社のウィスキー生産を開始したのは1960年、山梨に蒸溜所を建設してからのことです。
そしてその蒸溜所の設計を担い、指導にあたった人物が岩井喜一郎氏でした。
岩井氏といえば、ジャパニーズウィスキーの始祖として名を連ねる重鎮です。
多くの人が知る、かの竹鶴政孝氏の上司であった人物であり、竹鶴氏が留学先のスコットランドから持ち帰った有名な「竹鶴レポート」をずっと保管していた人物でもあります。
岩井氏は摂津酒造で竹鶴氏の上司として指導にあたりましたが、1939年に摂津酒造を退任、1945年に本坊酒造の顧問に就任しました。
本坊酒造の本坊蔵吉氏の恩師でもあった岩井氏は、洋酒生産の拠点として山梨にワインとウィスキーの製造拠点を作り、竹鶴氏のレポートをもとにウィスキー工場の設計と指導を行ったのです。
岩井氏の死後、ウィスキー作の地は中央アルプス山麓の長野県上伊那郡に移りますが、ここに竣工したマルス信州蒸溜所の礎を築いたのは、紛れもなく岩井氏です。
マルスウィスキーの誕生に尽力した岩井氏の功績が、ジャパニーズウィスキーの歴史を築いたことに間違いはないでしょう。
- 買取商品検索