menu list買取商品 - アラン プレミアムカスクコレクション シェリーバット 1997
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アラン プレミアムカスクコレクション シェリーバット 1997の高価買取致します
アラン プレミアムカスクコレクション シェリーバット 1997のご紹介
買取参考価格 | 13000円前後
生産国 | イギリス |
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生産者名 | アラン蒸溜所 |
地方 | スコットランド |
地区 | アラン島 |
分類 | シングルモルトスコッチウイスキー |
タイプ | 700ml/55.8度 |
「プレミアムカスクコレクション」は、アラン蒸溜所マネージャーのジェームズ・マクタガートが、オールドヴィンテージの中で蒸溜所の個性がしっかり表され、オークとの完璧なハーモニーを奏でている特出したウイスキーをボトリングしたシリーズです。
15年熟成で、オレンジアランとは異なるピーカンナッツ&南国系果実のシェリーバットです。
香りはいちじく・トフィー・ピーカンナッツ・アーモンド・南国系果実で、味はバタースコッチ・ミルクティー・バニラ・アーモンド、飲み込むと全身の筋肉がホッと緩むようで、長い余韻でありながらも、最後にフレッシュさが感じられます。
アラン プレミアムカスクコレクション シェリーバット 1997の歴史
日本のウイスキーの父と呼ばれる理由とその歴史
■日本のウイスキーづくりに貢献した人物
日本の国産ウイスキーを語るにあたり、ウイスキーづくりに貢献した人物の名前を挙げてくださいと言われたら、答えは分かれるのではないでしょうか。
一人はサントリー創業者の鳥井信治郎、もう一人はニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝です。
実際、国産第一号のウイスキーはサントリーの前身である「寿屋洋酒店」が製造に成功しています。
ほとんど売れなかったという残念な結果となりましたが、先んじたという点でいえば、鳥井信治郎の方が竹鶴政孝よりも優れていたという印象を持ってしまいます。
ただ、この国産第一号のウイスキーづくりに、竹鶴政孝は工場長兼技師として加わっています。
鳥井信治郎が時代の先を見据え、日本にどのような洋酒を造り出す必要があるのかを考える天才的なアイデアマンであったのに対し、竹鶴政孝は正統派スコッチウイスキーをスコットランドで勉強した、いわゆる作り手という点ですでに違うのです。
この点をしっかり理解していないと、国産ウイスキーの歴史において、単にどちらが優れていたのかを比べるのは無意味と言えます。
初のウイスキーづくりが事実上失敗に終わった後、竹鶴政孝は寿屋をやめ、いよいよ自分の蒸溜所を造るために余市へと渡っていったのです。
■竹鶴政孝と大日本果汁株式会社
今ではよく知られているニッカウヰスキーですが、創業時の社名は大日本果汁株式会社でした。
これは、ウイスキーを造るには時間がかかるため、その間の事業として余市のリンゴを使ったジュースやゼリー、ケチャップを販売していたことによります。
ただ、ここでも品質に徹底的にこだわる竹鶴政孝の信念が、リンゴ100%ジュースにすることにこだわったため、逆に飲みにくいとして売れなかったという、竹鶴政孝らしい逸話が残っています。
リンゴジュースを販売する傍ら、ようやくウイスキーが熟成し、いよいよ販売できるようになると、大日本果汁株式会社の略称であり、リンゴジュースの名前でもあった日果をカタカナ表記し、ニッカウヰスキーとして販売することになりました。
太平洋戦争中は将校への高品質の酒を確保するための専用蒸溜所として指名され、大麦を優先的に回してもらえたことから、品質にこだわる竹鶴政孝のウイスキーづくりは滞りなく行えました。
ただ、戦後は品質の劣る三級ウイスキーが造られ、これが売れたために、品質にこだわる高価格のニッカウヰスキーは売れず、苦戦を強いられます。
やむなく三級のウイスキーを造るものの、当時の税制で認められた5%いっぱいまで原酒を入れ、合成着色料ではなく自社で砂糖をカラメルにして使うなど、可能な限りのこだわりをここにも見せたところが、竹鶴政孝らしさと言えるでしょう。
■竹鶴政孝のこだわりの強さが父と呼ばれる理由
サントリーの鳥井信治郎が、飲みにくいウイスキーを炭酸水で割り、飲みやすくした「ウィッキー」なるものを販売しようとした柔軟な発想の持ち主のアイデアマンであり、ビジネスマンでもあったのに対し、そんなウイスキーは邪道だと反発したスコッチにこだわる頑固な竹鶴政孝のやり取りは、ドラマ「マッサン」でも印象的でした。
このことからも分かるように、竹鶴政孝という人はウイスキーづくりにおいてはあくまでも技師だったのです。
ニッカウヰスキーの初代マスターブレンダーが竹鶴政孝だったことからも、造ることに強いこだわりを持っていた竹鶴政孝だったからこそ、彼が「日本のウイスキーの父」と呼ばれる所以でしょう。
24歳でスコットランドに2年間留学した際にしたためた「竹鶴ノート」には、スコッチウイスキーの作り方が事細かくびっしりと書かれていて、イラストまで上手に描かれています。
竹鶴政孝を知るイギリス首相が「頭の良い日本の青年が、1本の万年筆とノートでウイスキーづくりの秘密を盗んでいった」とユーモアを交えて話したことからも分かるように、竹鶴政孝のノートはニッカのスコッチウイスキーづくりにおいて非常に貴重なものとなっています。
■竹鶴政孝の目指したウイスキー
竹鶴政孝が造ることにこだわったウイスキーは、本場・スコットランドのウイスキーでした。
独特のピート臭があり、それを再現することにこだわりぬいてきた竹鶴政孝にとって、ピート臭が少ないことが特徴のアラン蒸溜所のウイスキーは、どのように映るのでしょうか。
「アラン プレミアムカスクコレクション シェリーバット 1997年」は、アラン蒸溜所マネージャーのジェームズ・マクタガートが選定して造った15年熟成のウイスキーです。
ピーカンナッツと南国系果実の香りと味わいが特徴のこのウイスキーを竹鶴政孝が飲んだらどう評価するか、味わいながら考えてみるのも面白いと言えます。
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