menu list買取商品 - ボウモア 12年 シルクプリント 旧ボトル
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ボウモア 12年 シルクプリント 旧ボトルの高価買取致します
ボウモア 12年 シルクプリント 旧ボトルのご紹介
買取参考価格 | 18000円前後
生産国 | イギリス |
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生産者名 | ボウモア蒸溜所 |
地方 | スコットランド |
地区 | アイラ島ボウモア |
分類 | シングルモルトスコッチウイスキー |
タイプ | 700ml/40%・43% |
「ボウモア 12年」は、1779年に創業したスコットランド・アイラ島のボウモア蒸溜所を代表する逸品です。
アイラモルトの女王とも呼ばれるボウモアらしい力強さと飲みやすさで、1970~80年代のボウモアから引き継いだ個性的なポプリや香水、石鹸のような香りの強さが象徴的な1本となっております。
こちらは1990年代に流通したシルクプリントの旧ボトルとなっており、年代の前期と後期によってキャップカラーもグリーントップとゴールドトップの2種類が存在し、1000mlや750mlの容量違いや40度、43度とアルコール度数も異なります。
※1000mlボトル、750mlボトルは買取価格が異なります。
ボウモア 12年 シルクプリント 旧ボトルの歴史
パフュームの香りが個性的なボウモア蒸留所を代表する銘酒
■「アイラモルトの女王」にふさわしい魅力的なパフューム香
「ボウモア 12年 シルクプリント 旧ボトル」は、スコットランド・アイラ島で最古の歴史を持つボウモア蒸留所が手掛けたアイラモルトウイスキーです。
ボウモアは「アイラモルトの女王」と讃えられるほど優雅で穏やかな味わいのウイスキーですが、その一方でアイラモルトらしい力強さも備えているのが特徴です。
特に「ボウモア 12年 シルクプリント 旧ボトル」はボウモアらしい飲みやすさと力強さが融合した、ボウモア蒸留所を代表する銘酒といっても過言ではありません。
1779年にアイラ島で創業を開始したボウモア蒸留所は、今も1970~1980年代のボウモアの伝統的製法を絶やすことなく受け継いでいます。
当時のボウモアの特徴であったポプリや香水、石鹸のようなパフュームの強い香りが個性的な印象を与える「ボウモア 12年 シルクプリント 旧ボトル」は、アイラモルト特有のスモーキーさとヨード臭を抑えた仕上がりとなりました。
1990年代に市場で流通したシルクプリントの旧ボトルである「ボウモア 12年 シルクプリント 旧ボトル」には、年代の前期と後期でグリーントップとゴールドトップの2種類のキャップカラーが存在します。
アルコール度数も40度と43度があり、容量も1,000ml入りと750ml入りが発売されています。
■アイラモルトは香りのが強いものが多い
燻された麦芽に付いた強烈なピート香に海藻由来のヨード臭、さらに大西洋から吹き付ける潮の香りが塩辛い味わいを生み出すアイラ島のアイラモルトウイスキーは、それぞれの香りが共に強い個性を放っているのが大きな特徴です。
アイラ島では現在8つの蒸留所が稼働していますが、そのうちの2つの蒸留所だけがノンピートのウイスキーを製造しています。
ほかの6つの蒸留所では焦げたような強いピートの香りと海の風をそのまま閉じ込めたような磯の香り、さらにヨードチンキや正露丸と揶揄される強烈なヨード臭のするウイスキーが造られています。
「アイラモルトの王様」と称されるラフロイグ蒸留所やラフロイグをも凌ぐ強烈な臭さといわれるアードベッグ蒸留所ですが、これこそがまさにアイラモルトの個性そのままだといっても過言ではありません。
そんな中、ボウモアはフルーティーなアロマが融合したシェリーカスクやポートカスクを使ったものもあるため、アイラモルト初心者の入門酒に選ばれやすい蒸留所となっています。
1983年に蒸留所が閉鎖されたポート・エレン蒸留所も、ピート香と潮の香りが強いウイスキーを製造していた蒸留所でした。
今は建物の一部だけが現存しているのみで、ブラックルディ蒸留所のように一度閉鎖してもまた再開することがないため、閉鎖を惜しむ声が今も多く聞かれます。
■妥協を許さない姿勢が生み出したジャパニーズ・ウイスキー
世界5大ウイスキーの一つに選ばれているジャパニーズ・ウイスキーは、スコッチ・ウイスキーの影響を色濃く受けています。
ジャパニーズ・ウイスキーの生みの親であり日本のウイスキーの父であるニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝が、本場スコットランドにも負けない本物のウイスキー造りに全生涯を捧げたからです。
スコットランドでスコッチ・ウイスキーの製造技術や知識を身に付けた竹鶴政孝は、帰国後の日本で日本人の口に合う本物のウイスキー造りに励みます。
何かにつけてこだわりの強い性格の政孝は、ニッカウヰスキーの前身である大日本果汁株式会社でのリンゴジュース造りでも、一切の妥協を許しませんでした。
そんな性格が災いとなることも多かったのですが、あくまでも本物のウイスキーを造りたいという一心で日々ウイスキーと向き合っていました。
ニッカウヰスキーが世に送り出した銘酒は数知れず、今も多くの人を魅了してやみません。
政孝がウイスキー造りを開始した頃は、まだまだウイスキーが高級酒だった時代です。
3級ウイスキーが多く出回っていた日本で、政孝は特級ウイスキー造りにこだわりました。
当然のことながら高級ウイスキーが売れることはなく、政孝は苦渋の決断で2級ウイスキーを造ることに決めます。
ただしここでも2級ウイスキーで決められているアルコール度数39度の上限いっぱいまで使用し、安くて飲みやすく、そして飲みごたえのある「ハイニッカ」を生み出しました。
特級酒にも負けない美味しさのウイスキーが低価格で買えるとあって、ハイニッカは爆発的なヒットを遂げたのです。
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