menu list買取商品 - カナディアンクラブ C.C. 20年
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カナディアンクラブ C.C. 20年の高価買取致します
カナディアンクラブ C.C. 20年のご紹介
買取参考価格 | 5500円前後
生産国 | カナダ |
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生産者名 | ハイラム・ウォーカー&サンズ社 |
分類 | モルト/グレーン |
タイプ | 750ml/40% |
「C.C.」の愛称で世界中で愛されているカナディアンウイスキーの代表格「カナディアンクラブ」です。
深い琥珀色で、甘く華やかな香りと、ふくよかなコクは、良質なオーク樽に詰められ、20年以上もの長期間熟成させたウイスキーだけに与えられた円熟した味わいです。
カナディアンウイスキーの頂点を極める、深くて滑らかな「カナディアンクラブ 20年」のおいしさをご堪能いただけます。
輸入元はサントリーです。
カナディアンクラブ C.C. 20年の歴史
C.C. の醍醐味が楽しめるカナディアンクラブ C.C. 20年
■カナディアンクラブ C.C. 20年の特徴
カナディアンクラブ C.C. 20年は20年以上熟成させた原酒を用い、長期熟成によるコクのある円熟した味わいが堪能できます。
キャンディやレーズンのような甘く芳醇な香りと、果実のような爽やかな香りが楽しめます。
味わいは甘さとアーモンドやナッツを思わせる香ばしさとのバランスが絶妙で、フィニッシュにはナツメグのようなスパイス感やオーク感が楽しめ、長い余韻に浸れる味わい深さが楽しめる一本です。
■カナディアンクラブの創業者について
カナディアンクラブの創業者であるハイラム・ウォーカーは1816年にアメリカのマサチューセッツ州に生まれました。
カナダ人と思われがちですが、実はアメリカ出身なのです。
20歳でボストンへと出た彼は、食料品店で地道に働きながらビジネスのノウハウを学び、自ら起業家としての道を歩み始めました。
ミシガン州のデトロイトへと拠点を移し、食料品店を開業したのです。
経営に成功した彼は、やがて穀物商としても頭角を現すようになり、穀物を使って製造されるウイスキー事業へも目をつけます。
ですが、その当時のアメリカでは禁酒運動が盛り上がりを見せており、アメリカでのウイスキー事業は難しいと判断するに至りました。
■カナダでの蒸溜所建設
そこで、ハイラム・ウォーカーは隣国のカナダに目をつけます。
デトロイト川を挟んでアメリカの対岸に位置したカナダのオンタリオ州ウィンザーに、1856年にウイスキー蒸溜所を建設したのです。
ウィンザーは穀倉地帯に近く、清冽で豊かな水脈と自然に恵まれたウイスキー造りに適した土地であるのはもとより、すぐお隣に消費大国であるアメリカに近接したベストポジションだったのです。
ハイラム・ウォーカーは1858年にこれまでにない新感覚のウイスキーを誕生させます。
ライ麦由来の風味が心地良い爽快なタッチが特徴で、その当時アメリカで飲まれていたライウイスキーやバーボン、スコッチやアイリッシュにはない新しいテイストでした。
彼はすぐお隣のアメリカ東部でその当時に紳士の社交場としてトレンドになっていた「ジェントルメンズクラブ」を、新しくできたばかりのウイスキーの提供先として選びます。
新たな感覚のウイスキーは、洗練された品格のあるウイスキーとして瞬く間に人気を獲得していったのです。
ハイラム・ウォーカーは新しくできたウイスキーを、クラブで親しまれるウイスキーとして「クラブ・ウイスキー」と名付けました。
■カナディアンクラブへの名称変更の歴史
アメリカ東部のジェントルメンズクラブで好評を博したクラブ・ウイスキーは、成長が進んでいたアメリカ西部まで浸透していきました。
するとカナダ産のウイスキーのシェア拡大に脅威を感じたアメリカの蒸溜業界が政府に対して規制を求める動きに出ます。
アメリカ産とカナダ産のウイスキーを明確に区別するよう要請し、政府もそれに応えて1890年に法律が制定されてしまうのです。
そこで、「クラブ・ウイスキー」から、カナダ産であることがわかりやすい「カナディアンクラブ」へと半ば強制的に名称変更することになったのです。
もっとも、名称変更によっても人気は衰えることはなく、むしろ、「C.C.」の愛称で親しまれることになりました。
■創業者の死後も世界へと拡大
1899年にハイラム・ウォーカーが亡くなった後も、その人気が衰えることはありませんでした。
輸出にも力を入れ始めたカナディアンクラブは、英語圏以外にも積極的に売り込みをスタートします。
なんと、1909年(明治42年)に、日本にも初輸出された歴史を持っているのです。
一方で、カナディアンクラブの最大の消費地であったアメリカでは、1920年に禁酒法が施行され、酒類の製造や販売、飲酒が全面的に禁止されました。
すると粗悪な密造品が横行するようになるとともに、アメリカでは酒が造れないことから、隣国のカナダをはじめ、スコッチなどのウイスキーがさまざまなルートを通じてアメリカへと密かに流入するようになりました。
カナダでは輸出を禁止していなかったため、カナディアンクラブのウイスキーは禁酒法下においても、アメリカへと入り込んでいきました。
粗悪な密造酒が横行する中で、高品質なカナディアンクラブは喜ばれ、禁酒法下においてもいっそう需要と評価を高めていったのです。
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