menu list買取商品 - グランド ニッカ (Grand Nikka)
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グランド ニッカ (Grand Nikka)の高価買取致します
グランド ニッカ (Grand Nikka)のご紹介
買取参考価格 | 1500円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | アサヒビール株式会社/ニッカウヰスキー株式会社 |
地方 | 東京都 |
地区 | 港区 |
分類 | モルト/グレーン/ブレンデッドウィスキー |
タイプ | 720ml/43度 |
1970年5月に発売した特級表示のブレンデッドウィスキー、現在は終売しています。
斜めに描かれている「GRAND」という文字は当初茶色でしたが、全体の配色バランスを良くするために1972年から赤色に変更されました。
円熟したカフェグレーンとモルトをブレンドした、ソフトでフルティーな甘みのある味わいが特徴のウィスキーです。
※50ml(ミニボトル)は買取価格が異なります。
グランド ニッカ (Grand Nikka)の歴史
舶来以上と称賛された特級表記の残る「グランド ニッカ」
■酒税法時代に誕生した特級ウィスキー
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970年5月に発売となった「グランド ニッカ (Grand Nikka)」は酒税法時代に誕生した特級表示のあるブレンデッドウィスキーで、現在は終売品となっています。
「グランド ニッカ (Grand Nikka)」のボトルに斜めに描かれている「GRAND」という文字の色は、発売当初は茶色でしたが1972年に赤色に変更されました。
変更された理由は全体の配色バランスを良くするためで、ボトルネックのすぐ下にはアルファベットで「GN」の文字がエンボス加工してあります。
円熟したカフェグレーンとモルトをブレンドしたソフトさがものをいう、いかにもニッカらしいフルーティな甘味が感じられるウィスキーに仕上がっています。
特級ウィスキーの「グランド ニッカ (Grand Nikka)」は内容量が700mlで、アルコール度数は43%です。
これは当時の日本で施行されていた酒税法で定められていた条件で、特級ウィスキーはアルコール度数が43度以上ないと特級とは認められませんでした。
その後1989年の酒税法改正によりウィスキーの級別表示は姿を消し、当時の名残を示す
「グランド ニッカ (Grand Nikka)」のような貴重な特級ウィスキーだけが少量残されています。
■グランドニッカ発売当時の日本の物価
「グランド ニッカ (Grand Nikka)」の発売当時の希望小売価格は1,500円で、1970年は今から50年前の昭和45年に当たります。
この当時の日本の物価はカップ入りアイスクリームが20円、瓶入りラムネが30円、ノートが30円という時代でした。
現在もロングセラーとなっているチロルチョコは5円、サイコロキャラメルが10円という時代にあって、1,500円の「グランド ニッカ (Grand Nikka)」はかなりの高級品であったことが分かります。
その値段は輸入物のウィスキーに匹敵するほどで、1970年5月23日の朝日新聞の広告には近日発売を告げる「ニッカ快心の千五百円ウィスキー」という文字が躍りました。
このときの広告でニッカは消費者に対して「千五百円とは思えない旨さ」や、「舶来物以上といえるのではないか」といった感想をお持ちになるのではないでしょうかと問うています。
そして最後に「ご批評をお待ちしています」と結んでおり、ニッカウヰスキーにとって特級ウィスキーの「グランド ニッカ (Grand Nikka)」は、まさに舶来ウィスキーと渡り合えるだけの品質を備えた渾身の作でした。
そしてさまざまな批評を甘んじて受け入れようとするニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝の姿が目に浮かびます。
1970年にニッカウヰスキーの代表取締役会長に就任していた竹鶴はウィスキー造りにおいて一切の妥協を許さなかった人物でした。
そんな竹鶴にとって「グランド ニッカ (Grand Nikka)」は、満を持して投入したニッカの自信作だったに違いありません。
■日本のウィスキーの父と称された竹鶴政孝
ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝はサントリーの山崎蒸溜所初代所長として日本初の純国産ウィスキーを完成させた経歴を持ち、信州マルス信州蒸溜所では竹鶴が残した「竹鶴ノート」が建設の基盤とされました。
これらの功績に直接的または間接的に関わったことを讃え、人々は竹鶴を「日本のウィスキーの父」と称しています。
竹鶴は1934年7月にニッカウヰスキーの前身となる大日本果汁株式会社を設立し、1940年に余市蒸溜所にて製造したニッカウヰスキー初となるウィスキーを発売しました。
1945年に終戦を迎えると他社が相次いで低品質のウィスキーを売り出し始めましたが、竹鶴は「わしゃ3級ウィスキーは絶対造らん」と突っぱねます。
しかし筆頭株主をはじめとする出資者には逆らえずやむなく3級ウィスキーの製造に乗り出しますが、それでも酒税法で定められている3級ウィスキーへの原酒の上限5%ぎりぎりいっぱいまで入れるという抵抗を試みました。
本物のウィスキーを造るという信念の人であった竹鶴にとって、たとえ3級ウィスキーでも原酒を惜しまないという気持ちが表れている逸話です。
ニッカウヰスキー創業当初から特級ウィスキー造りに情熱を傾けてきた竹鶴政孝にとって、「グランド ニッカ (Grand Nikka)」はその想いを体現したウィスキーといっても過言ではありません。
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