menu list買取商品 - 響21年 有田焼 色絵栗樹文十二角瓶 2009 サントリー
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響21年 有田焼 色絵栗樹文十二角瓶 2009 サントリーの高価買取致します
響21年 有田焼 色絵栗樹文十二角瓶 2009 サントリーのご紹介
買取参考価格 | 96000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | サントリースピリッツ株式会社 |
分類 | モルト/グレーン |
タイプ | 700ml/43度 |
「響21年」は、厳選した酒齢21年以上の希少な原酒をブレンダーの匠の技で丁寧にブレンドしたプレミアムウイスキーで、甘美で優雅で気品ある熟成香と滑らかな口当たりが特長です。
「響21年 有田焼 色絵栗樹文十二角瓶(いろえくりきもんじゅうにかくびん)」は、「スペシャルボトルコレクション2009」の一種として販売されました。
栗は縄文時代から栽培され、古来、日本の豊かな秋の稔りの象徴です。
色鍋島の特色である染付の藍と緑・黄・赤の4色で描かれ、赤絵具だけで精緻に描かれた毬(いが)とそこから覗く、栗の実が華やかです。
響21年 有田焼 色絵栗樹文十二角瓶 2009 サントリーの歴史
受け継がれる伝統によって誕生した2009年のスペシャルコレクションボトル
■2種とも有田焼ボトルとなったうちの一つ
「サントリーウイスキー 響21年 有田焼 色絵栗樹文十二角瓶(いろえくりきもんじゅうにかくびん) 2009」は、サントリーの人気シリーズである「スペシャルボトルコレクション」の一種として2009年に販売されました。
厳選した酒齢21年以上の希少なモルト原酒に、これまた酒齢21年以上の希少なグレーン原酒を吟味してブレンダーの匠の技で丁寧にブレンドした「響21年」をボトリングしています。
「響21年」はサントリーが誇る多彩な原酒から生み出された贅沢な原酒の味わいが堪能できる最高峰のプレミアムブレンデッドウイスキーで、甘美で滑らかな口当たりに重厚感と深いコクが楽しめるのが魅力です。
これまで世界的に権威のあるコンペティションで数々の栄誉に輝いてきた銘酒で、サントリーが世界に誇るジャパニーズウイスキーに仕上がっています。
「サントリーウイスキー 響21年 有田焼 色絵栗樹文十二角瓶 2009」に描かれている栗は縄文時代から栽培されており、古来より日本の豊かな秋の稔りを象徴する木の実です。
色鍋島の特色である染付の藍と緑、黄と赤の4色で描かれ、赤絵具だけで精緻に描かれた毬(いが)とそこから覗く華やかな栗の実は実に見事というほかありません。
2009年は「スペシャルボトルコレクション」では珍しく、唯一2つとも有田焼ボトルが使用された年でした。
今では全てのボトルが完売しているということもあり、どのボトルも大変希少価値の高い商品となっています。
特に2009年は通常片方は九谷焼になるところ、どちらも有田焼となったために特別な年としてコレクターの間で有名です。
ウイスキーの品質の高さや味わいの良さはいうまでもなく、芸術品としての価値も大変高いシリーズの2009年商品として加わったのが「サントリーウイスキー 響21年 有田焼 色絵栗樹文十二角瓶 2009」です。
■サントリーの創業者が得た洋酒の知識
1899年に20歳で「鳥井商店」を興したサントリーの創業者・鳥井信治郎は、1879年に両替商と米穀商を営む鳥井忠兵衛の次男として現在の大阪市中央区に生まれました。
8歳で北大江小学校尋常科に入学し、9歳には学年を4年飛び越えて高等科に編入します。
11歳で市立大阪商業学校に付属科に入学しましたが、13歳のときに薬種問屋の小西儀助商店(現・コニシ)へ丁稚奉公に出ることになりました。
この当時洋酒を扱っている酒屋は非常に少なく、もともとは酒屋ではなく薬問屋が仕入れるようになったのが日本でのウイスキー販売の始まりです。
信治郎はこのときの丁稚奉公で洋酒の知識を得たことを述懐しており、起業した「鳥井商店」は1906年に「寿屋洋酒店」へと改称されました。
信治郎はこのとき大阪でスペイン人の兄弟が経営していた「セレース商会」を買収して、スペイン産の赤ワインを販売していました。
しかしこれがさっぱり売れなかったことから、日本人の口に合う赤ワインを造り上げることにしたのです。
このときに誕生したのが「赤玉ポートワイン」で、後にサントリー初のウイスキーとなる「白札」ができたときの「サントリー」の名前に大きく関わってくることになります。
■やってみなはれの精神
若干13歳で得た洋酒の知識だけが信治郎の成功を支えたわけではなく、生まれ持った優れた嗅覚や失敗を恐れずに挑戦することを重んじた信治郎の姿勢と努力があったことが、成功への道筋となったことは間違いありません。
1923年、信治郎は44歳で本格的なウイスキー造りを決意します。
ウイスキーの本場キャンベルタウンへとウイスキー製造技師を招きに行きますが、そこで「日本にはすでに竹鶴政孝がいるだろう」といわれ、信治郎は竹鶴政孝(ニッカウヰスキーの創業者)を招聘しました。
1929年にサントリーと日本共に初となるウイスキーが誕生し、「サントリーウイスキー白札」と命名されました。
このときの「サントリー」の名前の由来となったのが「赤玉ポートワイン」の「赤玉」で、信治郎は「赤玉」を太陽の「サン」に見立てたといわれています。
「トリー」はもちろん信治郎の名前である「鳥井」から取ったもので、「サントリー」は「サントリーウイスキー 響21年 有田焼 色絵栗樹文十二角瓶 2009」などの芸術作品を生み出す世界屈指のウイスキー製造メーカーへと成長していくことになるのでした。
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