menu list買取商品 - 響21年 九谷焼 吉田屋風枇杷文瓶 2006 サントリー
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響21年 九谷焼 吉田屋風枇杷文瓶 2006 サントリーの高価買取致します
響21年 九谷焼 吉田屋風枇杷文瓶 2006 サントリーのご紹介
買取参考価格 | 88000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | サントリースピリッツ株式会社 |
分類 | モルト/グレーン |
タイプ | 600ml/43度 |
「響21年」は、厳選した酒齢21年以上の希少な原酒をブレンダーの匠の技で丁寧にブレンドしたプレミアムウイスキーで、甘美で優雅で気品ある熟成香と滑らかな口当たりが特長です。
「響21年 九谷焼 吉田屋風枇杷文瓶(よしだやふうびわびん)」は、「スペシャルボトルコレクション2006」の一種として販売されました。
吉田屋窯は、九谷古窯廃絶百数十年後の1824年に九谷の再興を期して開かれた窯です。
豪壮で幽雅を特徴とする九谷焼を代表する名匠、山上義正氏が熟練の筆をとったボトルには、渋みのある色合いで枇杷が力強く描かれています。
響21年 九谷焼 吉田屋風枇杷文瓶 2006 サントリーの歴史
九谷焼を代表する名称が描き上げた枇杷が印象的な2006年のボトルコレクション
■再興を期した窯からよみがえった2006年の九谷焼ボトル
「サントリーウイスキー 響21年 九谷焼 吉田屋風枇杷文瓶(よしだやふうびわびん) 2006」はサントリーの「スペシャルボトルコレクション」の2006年度版として発売された九谷焼をボトルに使用したウイスキーです。
中に詰められているのは甘美を極めた奥深い調和が魅力の「響21年」は、「インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ(ISC)2018」で「ワールドウイスキー部門最高賞」を、「ワールド・ウイスキー・アワード(WWA)2019」でも「ベストブレンデッドウイスキー」を受賞した世界最高峰のプレミアムブレンデッドウイスキーの地位を揺るぎないものにしています。
酒齢21年以上のモルト原酒を厳選し、グレーン原酒も酒齢21年以上のものを吟味してブレンドしました。
その「響21年」を、豪壮で幽雅を特徴とする九谷焼を代表する名匠・山上義正が熟練の筆を取ったボトルに納めたのが「サントリーウイスキー 響21年 九谷焼 吉田屋風枇杷文瓶 2006」です。
九谷焼は1655年に加賀九谷村で開窯された350年の歴史を持つ焼き物で、九谷村で始まった窯は100年で廃窯となったため、この期間に造られた焼き物は「古九谷」と呼ばれています。
吉田屋窯は1824年に豪商・豊田伝右衛門が九谷の再興を志して開いた窯で、九谷古窯廃絶百数十年後によみがえりました。
名匠・山上義正の匠と熟練の技で取られた筆によって描かれた「サントリーウイスキー 響21年 九谷焼 吉田屋風枇杷文瓶 2006」のボトルは、渋味のある色合いで存在感を放つ力強い枇杷が目を惹くデザインとなっています。
■日本人の口に合う洋酒造りに取り組んだ青年
1879年に両替商と米穀商を営む両親のもとに生まれた鳥井信治郎は、後に「国産ウイスキーの父」と称されるサントリーの創業者となった人物です。
信治郎は13歳のときに小西儀助商店(現座の接着メーカー・コニシ)に丁稚奉公に出ましたが、その当時小西儀助商店は薬種問屋でありながら洋酒も扱っていました。
信治郎はこの丁稚奉公時代に洋酒についての知識を得て、1899年に「鳥井商店」を興します。
1906年には「鳥井商店」を「壽屋洋酒店」と改名し、スペイン人兄弟が販売していたスペイン産のワインの販売を始めました。
しかし日本人の口には合わず大きな不評を買ったことから、信治郎は日本人の口に合った赤ワインの製造に取り掛かります。
こうして誕生したのが「赤玉ポートワイン」で、1921年には「壽屋洋酒店」から「株式会社壽屋」へと改名しました。
大正時代後期には「赤玉ポートワイン」は日本人に大人気のワインとなり、国内のワイン市場で60%ものシェアを占めたといわれています。
そんな信治郎が本格的な国産ウイスキー造りを決意したのは1923年のことで、この当時も日本人の口に合うウイスキーは世に出回っていませんでした。
「日本人の口に合うウイスキーを」との思いで建設されたのが京都・山崎峡にある「山崎蒸溜所」で、初代所長にはウイスキーの本場・スコットランドでスコッチ・ウイスキー造りを学んだ竹鶴政孝を招聘します。
竹鶴政孝は「日本のウイスキーの父」と称された人物で、ニッカウヰスキーの創業者でもあります。
こうして山崎蒸溜所の地で、信治郎と政孝による純国産ウイスキー造りが幕を開けたのでした。
■国産ウイスキー第1号が完成
「サントリーウイスキー白札」(現在の「ホワイトラベル」)が誕生したのは1929年のことで、「白札」は日本初の国産第1号ウイスキーとして脚光を浴びました。
信治郎は自身が手掛けた「赤玉ポートワイン」の「赤玉」を太陽の「サン」に見立て、自身の名前の「鳥井」を合わせて「サントリー」とし、「サントリーウイスキー白札」と命名しました。
このときに付けた「サントリー」の名前が後にサントリーの社名となり、現在はサントリーホールディングスとして世界有数の企業に成長しています。
「白札」の誕生を機に信治郎は「国産ウイスキーの父」と称され、その高いブレンド技術は信治郎亡き後も「サントリーウイスキー 響21年 九谷焼 吉田屋風枇杷文瓶 2006」をブレンドするサントリーの全てのブレンダーたちに継承されています。
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