menu list買取商品 - イチローズモルト カード エース・オブ・ダイヤモンズ
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イチローズモルト カード エース・オブ・ダイヤモンズの高価買取致します
イチローズモルト カード エース・オブ・ダイヤモンズのご紹介
買取参考価格 | 350000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | ベンチャーウイスキー羽生蒸留所 |
地方 | 埼玉県 |
地区 | 羽生市 |
分類 | シングルモルトウイスキー |
タイプ | 700ml/56.4度 |
生産量が少なく、希少性が高い注目のイチローズモルト カード(ICHIRO’S MALT CARD)シリーズより、1986年に羽生蒸留所で蒸留し、ホグスヘッド樽で熟成されたのち、シェリー樽で追加熟成を経て2008年にボトリングされたのが「エース・オブ・ダイヤモンズ(ACE OF DIAMONDS)」です。
貴重なこちらのヴィンテージはわずか527本のみ限定で販売されたボトルとなっており、ネットオークションでも高額で取引されるアイテムとして世界のウイスキー愛飲家のみならず、コレクターからも人気を集めています。
ウイスキーファン垂涎の的となっているイチローズモルト・カードシリーズの高価買取はネオプライスにお任せください!
イチローズモルト カード エース・オブ・ダイヤモンズの歴史
日本や海外でも人気のコレクション性が高いウイスキー
■コレクターが多いのが特徴
イチローズモルト カード エース・オブ・ダイヤモンズは、1986年に蒸留され2008年にボトリングされたカードシリーズの1つで、527本という非常に限られた数しか製造されなかったウイスキーです。
海外からも手に入れたいと所望する人が多いほどで、特にコレクターからは垂涎の的となっています。
イチローズモルト カードシリーズはカードの種類やナンバーがそのままボトルのデザインになっていることから、何本か購入するうちにすべてを揃えたいと思う人が続出するのが特徴です。
しかし何しろ生産本数が少ないため、手に入れるのは至難の業と言わざるを得ません。
運よく手に入れた人の中にはその価値の高さに目を付け、オークションに出品する人もいるほどで、かなりのプレミアム価格となっており手に入れにくいお酒としても注目を集めています。
■イチローズモルトの生みの親
イチローズモルトが誕生したのは2005年春のことで、製造と商品化を手掛けたのは株式会社ベンチャーウイスキーの創業者・肥土伊知郎(あくといちろう)です。
その当時笹の川酒造に技術指導者として通っていた伊知郎は、笹の川酒造にあったウイスキーをイチローズモルトとして商品化しました。
アルコール度数が58%あるイチローズモルト カードシリーズの中の1つ、キングオブダイヤモンズは、イギリスのウイスキーマガジンが掲載したジャパニーズモルト特集において最高得点の「ゴールドアワード」にも選ばれた実績を持っています。
2004年9月に株式会社ベンチャーウイスキーが設立され、2007年11月にはベンチャーウイスキーの秩父蒸留所も完成しました。
2007年の創業からまだ10年あまりという短い期間でありながら、なぜにここまで日本を代表するジャパニーズウイスキーとしての地位を確立したのか大いに興味があるところです。
ベンチャーウイスキーの創業者の伊知郎は東亜酒造の設立者を祖父に持ち、1965年に秩父で生まれました。
実家は代々酒造りを営む大変歴史のある酒蔵だったことから、伊知郎も東京農業大学で醸造学を学びます。
そして大学を卒業してサントリーに入社し、主力銘柄のウイスキー・山崎を製造する山崎蒸留所での勤務を希望します。
しかしサントリーでは大学院修士課程修了者のみを採用していたことから山崎蒸留所でのウイスキー技術者の道をあきらめ、東京都と大阪で営業マンとして勤務したのち、父親が祖父から引き継いだ東亜酒造へと入社しました。
■ウイスキーの原酒を守るために奔走
祖父の代から続く老舗の酒蔵は1625年(寛永2年)当時の実権を握っていた徳川家光の時代にまで遡り、日本酒をはじめ数多くのお酒を造っていました。
そして1941年には秩父鉄道が開通したのを機に、ウイスキー造りに着手するべく埼玉県羽生市に進出します。
ウイスキーの販売免許を取得したのはその5年後の1946年で、いよいよこの年から羽生蒸留所にて本格的なウイスキー造りが始まりました。
この時伊知郎はまだサントリーに勤務していた頃でしたが、父の代になってから家業は急速に経営が悪化したため、サントリーを退社して実家に戻り家業の再建に乗り出します。
しかし想像を超える業績の悪化に、経営を立て直すのは困難を極めました。
そんなある日、伊知郎は蔵の中に保管されていた樽に入ったウイスキーの原酒を発見します。
この原酒はスコットランドから輸入した原酒と、自社工場の羽生蒸留所で蒸留した原酒でできたものでしたが、社内では癖が強くて売りにくいともっぱらの評判でした。
伊知郎は果たして本当にそうなのかと疑問に思い、首都圏にあるバーを訪ね歩いてはバーテンダーに試飲をしてもらうことにしました。
もちろんウイスキーの原酒を持つ酒造会社の人間であることは伏せての行動です。
有名なウイスキーにはネームバリューが付いているため、真の味をわかってくれるのはバーテンダーであると確信しての行いでした。
個性的で面白い味だと多くのバーテンダーが評価してくれたものの、経営不振に歯止めがかからず2000年にはついに民事再生法を申請することになります。
ウイスキー造りから撤退するだけでなく、20年の歳月をかけて造り上げた400樽のウイスキーの原酒もすべて廃棄せよとの厳しい条件も課されました。
伊知郎はウイスキー原酒を入れた樽を預かってくれる先を探し回り、ようやく福島県にある笹の川酒造で預かってもらえることになったのでした。
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