menu list買取商品 - イチローズモルト カード クイーン・オブ・スペーズ
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イチローズモルト カード クイーン・オブ・スペーズの高価買取致します
イチローズモルト カード クイーン・オブ・スペーズのご紹介
買取参考価格 | 455000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | ベンチャーウイスキー羽生蒸留所 |
地方 | 埼玉県 |
地区 | 羽生市 |
分類 | シングルモルトウイスキー |
タイプ | 700ml/53度 |
2009年に737本限定でボトリングされた「イチローズモルト カード クイーン・オブ・スペーズ(ICHIRO’S MALT CARD QUEEN OF SPADES)」です。
2000年に閉鎖した羽生蒸留所で1990年に蒸留された原酒をホグスヘッドで熟成した後、ポートワインの空き樽ポートパイプに詰め替えて数カ月間後熟させたシングルモルトウイスキーは、明るく美しい色味と独特の香りが特徴的な個性として加わっています。
今後追加で生産されることがない入手困難な終売品「イチローズモルト・カードシリーズ」は、買取価格相場が高騰している今が売り時です。
イチローズモルト カード クイーン・オブ・スペーズの歴史
時代を超えて生き残った原酒が希少なウイスキーとなったイチローズモルト
■今はなき羽生蒸溜所の原酒が生きた希少価値の高いウイスキー
「イチローズモルト カード クイーン・オブ・スペーズ」は、埼玉県羽生市にあった東亜酒造が保有していた羽生蒸溜所の原酒か造られた希少なウイスキーです。
羽生蒸溜所が稼働を開始したのは1946年(昭和21年)のことで、2000年(平成12年)まで蒸溜所は稼働していました。
しかし2004年(平成16年)に羽生蒸溜所は閉鎖となり、今では「消えた蒸溜所」が残した貴重な原酒だけが残っています。
「イチローズモルト カード クイーン・オブ・スペーズ」はイチローズモルトの中では初めてポートパイプ熟成されて登場したシングルモルトウイスキーで、フルティーで濃厚な香りが特徴です。
一口含めばドライフルーツやイチゴショートケーキを思わせる甘い香りが漂い、ベリー系のフレッシュな酸味が口の中いっぱいに広がります。
また「イチローズモルト カード クイーン・オブ・スペーズ」は冷却ろ過をしないカスクストレングスのノンチルフィルター、ノンカラーとなっています。
■「イチローズモルト カード クイーン・オブ・スペーズ」の概要
1990年(平成2年)に蒸溜され、2009年(平成21年)にボトリングされた「イチローズモルト カード クイーン・オブ・スペーズ」は、イチローズモルト初登場のポートパイプ熟成となっているのが特徴です。
ポートパイプの「パイプ」とは410~650リットル入る大樽のことで、「ピぺ」とも呼ばれます。
ポルトガル語の「pipa」が語源になったといわれており、ポートワインやシェリー酒の熟成に使用されることが多いカスクです。
「イチローズモルト カード クイーン・オブ・スペーズ」のファーストカスクはホグスヘッドで、バーボンバレルを解体して組み直した寸胴な形をしている樽のことです。
容量は250リットルで、豚1頭分の重さに相当することがホグスヘッドの語源となっています。
セカンドカスクがポートパイプで、アルコール度数は53.1度で容量は700ml入り、そしてボトリングされた本数はわずか737本でした。
「イチローズモルト カード クイーン・オブ・スペーズ」は褐色カラーのウイスキーに仕上がっており、トップノートは濃厚なフルーティーの香りとなっています。
ウイスキーをテイスティングするとき、グラスに注いだウイスキーから香りが立ち上ってきますが、この最初に立ち上ってくる香りがトップノートです。
■イチローズモルトが注目されるようになった経緯
「イチローズモルト カード クイーン・オブ・スペーズ」をはじめとする数々のイチローズモルトを生産するのが、ベンチャーウイスキー社の設立者肥土伊知郎(あくといちろう)氏です。
埼玉県秩父市にある秩父蒸溜所でイチローズモルトを造り続ける肥土氏は、どのような気持ちでウイスキー造りに励んでいるのでしょうか。
肥土氏の実家は江戸時代から日本酒造りを営む老舗の造り酒屋でしたが、日本酒以外のお酒を生産しようと肥土氏の祖父が考えたことがきっかけでした。
戦争が終わって日本に進駐軍がやってきたとき、ウイスキーの需要が高まると見越してのことだったといいます。
1980年代に入ると本格的なポットスチル(銅製の蒸溜窯)を導入し、シングルモルトウイスキーの生産が始まりました。
しかし経営難から会社は別の会社の手にわたってしまい、ウイスキーの製造に関心がなかったことから原酒の処分を言い渡されます。
しかし肥土氏の祖父が経営していた羽生蒸溜所には1980年に生産された原酒が20年もの熟成を重ねており、しかもその数は400樽にも及びました。
熟成樽を見捨てることが到底できなかった肥土氏は原酒が秘めた可能性を感じ、同じように長期熟成した原酒の貴重さを理解してくれた笹の川酒造が倉庫を提供してくれたことで、廃棄直前の原酒を守ることができたのです。
イチローズモルトは販路がないことでも知られていますが、肥土氏がバー巡りをしたおかげでイチローズモルトの良さは次第に口コミで広がっていくこととなります。
2006年(平成18年)に「ウイスキーマガジン」のジャパニーズ・ウイスキー特集でイチローズモルトモルトが紙上コンテストで最高賞を受賞して以来、イチローズモルトへの注目は一気に高まったのでした。
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