menu list買取商品 - シングルモルト駒ヶ岳 AGED 27 YEARS
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シングルモルト駒ヶ岳 AGED 27 YEARSの高価買取致します
シングルモルト駒ヶ岳 AGED 27 YEARSのご紹介
買取参考価格 | 110000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | 本坊酒造 マルス駒ヶ岳蒸溜所 |
分類 | ジャニーズウイスキー/シングルモルト |
タイプ | 700ml / 46% |
27年熟成のシングルモルト
1985年にマルス駒ヶ岳蒸溜所(旧:マルス信州蒸溜所)を設立以降、信州の豊かで爽涼な環境でモルト原酒を育み、蒸溜所を囲う中央アルプスの頂点にそびえる神々しい山、「駒ヶ岳」の名を冠したシングルモルトウイスキーを生み出してきました。
『シングルモルト駒ヶ岳 AGED 27 YEARS』は、当時の製造責任者兼チーフブレンダ―であった谷口健二氏が稀少な長期熟成原酒の中から試行錯誤を重ねて厳選したモルトをヴァッティングし、個性派ながらも調和のとれた1本に仕上げました。
プラムや杏子、バニラを想わせる豊かなフレーバーにスパイシーで複雑感溢れる味わいをトップからアフターまで存分にお楽しみいただけます。
ネオプライスでは様々な種類のお酒を買取しております。
特にジャパニーズウイスキーは高価買取強化中です!!
飾っていたけど処分しようと思っているお酒や、ご自宅に眠ったままになっているお酒などを高価買取させていただき、楽しんでいただけるお客様にお渡しするお手伝いをさせていただいております。
その他、駒ヶ岳ウイスキーと関連する商品もご覧ください。
▶『 シングルモルト駒ヶ岳 ダブルセラーズ Bottled in 2018 』
※買取相場は、市場の相場状況や買取方法などによって上下変動いたしますので、予めご了承ください。
シングルモルト駒ヶ岳 AGED 27 YEARSの歴史
●マルス駒ヶ岳蒸溜所について
鹿児島の地で日本の蒸留酒「焼酎」造りに邁進していた本坊酒造が、ウイスキー製造免許を取得したのが1949年。それ以来、「いつか日本の風土を活かした本物のウイスキーを造りたい」と夢を抱き続けていました。
鹿児島でのウイスキー製造から数年経た後、1960年に山梨にワインとウイスキー製造のための工場「マルス山梨ワイナリー」を設立。そして、本格的にウイスキー造りに取り組むために、さらなる理想の地を探し求めました。
澄んだ空気の寒冷地であり、しかも適度な湿度と良質な水に恵まれていることなど、ウイスキー造りのための自然条件は大変厳しいものがあります。
こうした条件を満たす土地を探し求め、1985年ウイスキー造りに最適な環境を求めて長野県中央アルプス駒ヶ岳山麓標高798mの地にマルス信州蒸溜所を開設。
1992年にウイスキー需要低迷により蒸留を休止。その後、世界的にジャパニーズウイスキーが評価されはじめる中、ウイスキー需要が回復傾向にあった2009年に蒸留再開を決意し2011年2月より再スタート。
2020年9月、35年ぶりの全面リニューアル。投資額は約12億円。
2019年5月から、老朽化した設備の改修とウイスキー増産を見据えた樽貯蔵庫施設の整備やウイスキー造りの見学を目的にしたウイスキー蒸留棟(樽貯蔵庫を含む)と、オリジナルウイスキーやグッズ販売などを目的にビジター棟を新設、既存の設備及び施設を改修。
新設したウイスキー蒸留棟は1,996㎡(延床面積、約2,500樽収容予定の樽貯蔵庫含む)、ビジター棟は746㎡。
2024年3月1日、シングルモルトウイスキーブランド「駒ヶ岳」との統一性を図る目的で、事業所名を「マルス駒ヶ岳蒸溜所」に変更。
●ジャパニーズウィスキーの創生
マルスウィスキーの歴史を語ることは、日本のウィスキー創生について語ることと同義です。
このお酒を造っているのは本坊酒造株式会社、今でこそ9つもの蔵や蒸溜所を持つ一大企業ですが、もとは鹿児島で焼酎を作っていた小さな酒造でした。
本坊酒造がウィスキーの製造免許を取得したのは1949年、しかしながらその先11年間は、他の製造者の生産したモルトとグレーンをブレンドするのみの業務でした。
本格的に自社のウィスキー生産を開始したのは1960年、山梨に蒸溜所を建設してからのことです。
そしてその蒸溜所の設計を担い、指導にあたった人物が岩井喜一郎氏でした。
岩井氏といえば、ジャパニーズウィスキーの始祖として名を連ねる重鎮です。
多くの人が知る、かの竹鶴政孝氏の上司であった人物であり、竹鶴氏が留学先のスコットランドから持ち帰った有名な「竹鶴レポート」をずっと保管していた人物でもあります。
岩井氏は摂津酒造で竹鶴氏の上司として指導にあたりましたが、1939年に摂津酒造を退任、1945年に本坊酒造の顧問に就任しました。
本坊酒造の本坊蔵吉氏の恩師でもあった岩井氏は、洋酒生産の拠点として山梨にワインとウィスキーの製造拠点を作り、竹鶴氏のレポートをもとにウィスキー工場の設計と指導を行ったのです。
岩井氏の死後、ウィスキー作の地は中央アルプス山麓の長野県上伊那郡に移りますが、ここに竣工したマルス信州蒸溜所の礎を築いたのは、紛れもなく岩井氏です。
マルスウィスキーの誕生に尽力した岩井氏の功績が、ジャパニーズウィスキーの歴史を築いたことに間違いはないでしょう。
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