menu list買取商品 - マルス 駒ヶ岳 1986 30年 アメリカンホワイトオーク ナチュラルカスクストレングス
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マルス 駒ヶ岳 1986 30年 アメリカンホワイトオーク ナチュラルカスクストレングスの高価買取致します
マルス 駒ヶ岳 1986 30年 アメリカンホワイトオーク ナチュラルカスクストレングスのご紹介
買取参考価格 | 134500円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | 本坊酒造 マルス信州蒸溜所 |
地方 | 長野県 |
地区 | 上伊那郡宮田村 |
分類 | シングルモルトウイスキー |
タイプ | 700ml/61度 |
マルスウイスキー「シングルモルト 駒ヶ岳 1986 AGED30YEARS アメリカンホワイトオーク ナチュラルカスクストレングス」は、本坊酒造が所有するマルス信州蒸溜所のアメリカンホワイトオーク樽で熟成された1986年蒸溜のモルト原酒を4樽ヴァッティングした、稀少な30年熟成のシングルモルトウイスキーです。
2016年6月に瓶詰めされ、数量1137本限定で発売されたこちらのウイスキーは、すでに終売となっているため大変希少な銘柄となっております。
1985年から続くマルス信州蒸溜所の長い歴史と共に歩んできたこの1本は、丸みを帯びたやわらかさで、際限無く続く心地良い余韻が特徴です。
30年熟成で確かな歴史を感じさせる円熟の味わいを存分にお楽しみいただける逸品です。
マルス 駒ヶ岳 1986 30年 アメリカンホワイトオーク ナチュラルカスクストレングスの歴史
マルス信州蒸留所の歴史を共に歩んできた限定販売品の駒ヶ岳
■今も根強いファンが多い本坊酒造の人気銘柄
「マルス 駒ヶ岳 1986 30年 アメリカンホワイトオーク ナチュラルカスクストレングス」は1986年に蒸溜したモルト原酒をアメリカンホワイトオークカスクで熟成し、さらにそのモルト原酒の樽の中から厳選した4樽をヴァッティングしたシングルモルトウィスキーです。
熟成期間は30年という大変長きにわたっており、これだけ長期熟成させたシングルモルトウィスキーは非常に価値が高いといっても過言ではありません。
しかも1,137本限定という商品だっただけに、2016年6月にボトリングされて販売開始となった当時は大変な話題となりました。
駒ヶ岳の山麓にある本坊酒造のマルス信州蒸溜所で造られていた「マルス 駒ヶ岳 1986 30年 アメリカンホワイトオーク ナチュラルカスクストレングス」は、すでに終売となっているため今では手に入れることができません。
たまにインターネットサイトなどで見かけることはあるものの、かなりの貴重品のため高値で取り引きされる人気銘柄となっています。
ホワイトオーク樽由来のウッディーな味わいと香りが、30年という年月を経て丸みを帯びたまろやかな風味を醸し出しました。
まさに円熟した奥深い味わいが存分に堪能できる逸品です。
■大手ウィスキーメーカーに負けないウィスキーを造る
1872年(明治5年)に鹿児島県鹿児島市で創業した本坊酒造株式会社は、焼酎や梅酒、ワインやウィスキーを手掛ける酒類醸造・販売会社です。
現在日本国内にはウィスキーを製造するメーカーが複数ありますが、その中でも良く知られているのがサントリーとニッカウヰスキー、それにキリンではないでしょうか。
この3つの会社ではシングルモルトウィスキーとブレンデッドウイスキーの両方を製造しており、数多くの有名ブランドを所有しています。
日本国内に流通しているウィスキーの市場シェアをこの大手各社だけで占めており、その割合は実に90%にも上っています。
そんな中「地ウィスキー」として鹿児島で人気を確立していた本坊酒造は、大手ウィスキーメーカーにも負けない本物のウィスキー造りを目指すことになります。
本坊酒造が鹿児島でウィスキー製造免許を取得したのは1949年(昭和24年)のことで、本坊蔵吉(後の本坊酒造会長)がウィスキー製造を担当していました。
しかし地ウィスキーの域を出ることができずにいた蔵吉は、大阪帝国大学で酒精を担当していた講師・岩井喜一郎にウィスキー製造の指導を仰ぎます。
大学在籍中にも蔵吉は岩井に師事し、ウィスキーの蒸溜について研究していたほどです。
そして蒸溜機をテーマにした卒業論文も提出しました。
鹿児島はウィスキー造りの環境には適さないと考えた蔵吉は、山梨にウィスキー工場を設立するため喜一郎に指揮を一任します。
喜一郎は「実習報告書」をもとに工場の建設に携わり、本坊酒造が誇る名ブランド「マルスウィスキー」を造り上げました。
マルスウィスキーはスコッチ・ウィスキーの流れを汲む上質なジャパニーズ・ウィスキーとして高い評価を受け、大手メーカーに負けない品質を誇るウィスキーへと成長したのでした。
■本坊酒造のウィスキー造りの基礎になったものとは
1960年(昭和35年)に山梨の地で本坊酒造のウィスキー工場設立にあたっていた岩井喜一郎は、とあるノートを建設に使用していました。
喜一郎が持っていたノートとは「実習報告書」で、あの有名な「竹鶴ノート」のことです。
この実習報告書は1920年(大正9年)に竹鶴政孝(ニッカウヰスキーの創業者)がスコットランドから帰国し、修業で得た知識を大学ノートにまとめたものでした。
当時摂津酒造で常務取締役を務めていた岩井喜一郎は竹鶴政孝の直属の上司であったため、業務の報告書としてノートを受け取っていました。
この竹鶴ノートを喜一郎が保管していたことが、本坊酒造のウィスキー工場の建設並びにウィスキー醸造に大きな成功をもたらします。
「実習報告書」がなければ本坊酒造のウィスキー造りは難局していたのかもしれないと考えると、何とも不思議な縁を感じさせます。
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