menu list買取商品 - シングルカスク駒ヶ岳 1991 No.160 AGED 28 YEARS
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シングルカスク駒ヶ岳 1991 No.160 AGED 28 YEARSの高価買取致します
シングルカスク駒ヶ岳 1991 No.160 AGED 28 YEARSのご紹介
買取参考価格 | 8000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | 本坊酒造 マルス駒ヶ岳蒸溜所 |
分類 | ジャニーズウイスキー/シングルカスク |
タイプ | 700ml / 61% |
限定352本 シングルカスクウイスキー
本坊酒造は1985年に長野県上伊那郡宮田村にマルス駒ヶ岳蒸溜所(旧名:マルス信州蒸溜所)を設立。
それ以降、信州の冷涼な環境の下でモルト原酒を育みながら蒸溜所を囲う中央アルプスの頂点にそびえる霊峰『駒ヶ岳』の名を冠したシングルモルトウイスキーを生み出してきました。
「シングルカスク駒ヶ岳 1991 No.160 AGED 28 YEARS」は、長期熟成モルト原酒の中から円熟を迎えた一樽を厳選してボトリングされたシングルカスクウイスキーです。
アメリカンホワイトオーク樽で28年以上の長い年月の熟成を経て生まれた濃密で複雑味のある一本をお楽しみください。
ネオプライスでは様々な種類のお酒を買取しております。
特にジャパニーズウイスキーは高価買取強化中です!!
飾っていたけど処分しようと思っているお酒や、ご自宅に眠ったままになっているお酒などを高価買取させていただき、楽しんでいただけるお客様にお渡しするお手伝いをさせていただいております。
その他、駒ヶ岳ウイスキーと関連する商品もご覧ください。
シングルカスク駒ヶ岳 1991 No.160 AGED 28 YEARSの歴史
●本坊酒造が尊敬する2人の人物
純国産ウィスキーの生みの親として知られるニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝氏は、岩井喜一郎氏の後輩であり部下でもありました。
岩井氏は大阪高等工業学校(現・大阪大学工学部)の1期生で、竹鶴氏は15期生の先輩・後輩の間柄です。
竹鶴氏が摂津酒造に入社することになったのは、摂津酒造の常務取締役に就任していた岩井氏を頼っていったからだといわれています。
本坊酒造がウィスキー部門を岩井氏に一任した際、岩井氏は所有していた「ウィスキー実習報告書」をもとにポットスチルの製造やウィスキー蒸溜を行いました。
このレポートは大学ノート2冊に収められたもので、通称「竹鶴ノート」と呼ばれています。
竹鶴氏がスコットランドで学んだ数多くの資料が詰められたこのノートがなければ、今のジャパニーズ・ウィスキーの地位は確立されていなかったとまでいわれるほど貴重なものです。
本坊酒造のポットスチルは「竹鶴ノート」をもとに、岩井氏の指導によって設計されていきました。
出来上がったウィスキーは「ヘビーでスモーキー」な、まさにウィスキーの本場・スコットランドそのもののスコッチ・ウィスキーだったのです。
その後は正統派スコッチ・ウィスキーを超えるべく、しかし原点は見失わずに「本物のジャパニーズ・ウィスキー造り」に取り組んでいきました。
マルスウィスキーを生み出した岩井喜一郎氏はもちろん、日本におけるジャパニーズ・ウィスキー発展の基礎を造った竹鶴政孝氏の2人に対し、本坊酒造はその偉業と功績に心から敬意を払っています。
●ジャパニーズウィスキーの創生
マルスウィスキーの歴史を語ることは、日本のウィスキー創生について語ることと同義です。
このお酒を造っているのは本坊酒造株式会社、今でこそ9つもの蔵や蒸溜所を持つ一大企業ですが、もとは鹿児島で焼酎を作っていた小さな酒造でした。
本坊酒造がウィスキーの製造免許を取得したのは1949年、しかしながらその先11年間は、他の製造者の生産したモルトとグレーンをブレンドするのみの業務でした。
本格的に自社のウィスキー生産を開始したのは1960年、山梨に蒸溜所を建設してからのことです。
そしてその蒸溜所の設計を担い、指導にあたった人物が岩井喜一郎氏でした。
岩井氏といえば、ジャパニーズウィスキーの始祖として名を連ねる重鎮です。
多くの人が知る、かの竹鶴政孝氏の上司であった人物であり、竹鶴氏が留学先のスコットランドから持ち帰った有名な「竹鶴レポート」をずっと保管していた人物でもあります。
岩井氏は摂津酒造で竹鶴氏の上司として指導にあたりましたが、1939年に摂津酒造を退任、1945年に本坊酒造の顧問に就任しました。
本坊酒造の本坊蔵吉氏の恩師でもあった岩井氏は、洋酒生産の拠点として山梨にワインとウィスキーの製造拠点を作り、竹鶴氏のレポートをもとにウィスキー工場の設計と指導を行ったのです。
岩井氏の死後、ウィスキー作の地は中央アルプス山麓の長野県上伊那郡に移りますが、ここに竣工したマルス信州蒸溜所の礎を築いたのは、紛れもなく岩井氏です。
マルスウィスキーの誕生に尽力した岩井氏の功績が、ジャパニーズウィスキーの歴史を築いたことに間違いはないでしょう。
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