menu list買取商品 - リキッドライブラリー アイラセレクション ハイランドパーク 25年
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リキッドライブラリー アイラセレクション ハイランドパーク 25年の高価買取致します
リキッドライブラリー アイラセレクション ハイランドパーク 25年のご紹介
買取参考価格 | 17000円前後
生産国 | イギリス |
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生産者名 | ザ・ウイスキー・エージェンシー |
地方 | スコットランド |
分類 | シングルモルトウイスキー |
タイプ | 700ml/48度 |
日本市場で最も注目されていると言っても過言では無い、ドイツのボトラー「ザ・ウイスキー・エージェンシー(The Whisky Agency)」は、スコットランドの良質な樽のみを慎重に厳選してボトリングしています。
「リキッドライブラリーシリーズ」より142本限定でリリースされた「アイラセレクション ハイランドパーク 25年」です。
1985年にバーボン樽貯蔵され、25年の熟成期間を経たのち、2010年にボトリングされました。
加水や冷却ろ過、カラーリングされていない樽の風味そのままの味わいをお愉しみいただけます。
リキッドライブラリー アイラセレクション ハイランドパーク 25年の歴史
数量限定の貴重品・ハイランドパークの味わいがリキッドライブラリーで復活
■カスクが生み出した深みのある味わいをそのまま残すウイスキー
「リキッドライブラリー アイラセレクション ハイランドパーク 25年」はドイツのボトラー「ザ・ウイスキー・エージェンシー(TWA)」によって、142本という非常に少ない本数でリリースされたウイスキーです。
ザ・ウイスキー・エージェンシーは日本市場で最も注目されているといっても過言ではないボトラーで、世界各国からも同様の注目を集めています。
スコットランド産の良質な樽のみを厳選してボトリングしているザ・ウイスキー・エージェンシーには、多くのウイスキーファンを魅力している「リキッドライブラリーシリーズ」と呼ばれるものがあります。
「リキッドライブラリー アイラセレクション ハイランドパーク 25年」はこの「リキッドライブラリーシリーズ」から発売され、1985年にバーボンカスク(樽)で貯蔵し、25年の長期熟成後2010年にボトリングされました。
加水や冷却ろ過、カラーリングなどを一切行わないカスクストレングスのため、カスクが生み出した香りや味わいがそのまま残っています。
またボトルには瓶詰め総数の表記がされており、限定品であることを示しています。
■伝説的な密造者がいたハイランドパーク蒸溜所
1798年に建設されたハイランドパーク蒸溜所は、スコットランドのオークニー諸島メインランド島カークウォールにあります。
蒸溜所を設立したのはマグナス・ユンソンなる人物で、ここで密造酒造りを行っていた伝説的な人物です。
1700年当時のスコットランドでは密造酒造りが盛んに行われており、見つかった場合は医薬品であるとの大義名分で通していました。
主に造られていた場所は修道院や教会などで、マグナス・ユンソン自身も聖職者としてカークウォールにあるセント・マグナス大聖堂で庶務を担当する傍ら、密造酒造りをしていたのです。
貧しい人や恵まれない人たちに対しては愛情深く、かつ権威を嫌っていたユンソンは村人から大変尊敬されました。
その一方で、彼には密造酒造りに携わる別の顔も持っていたことが分かっています。
昼間は聖職者、そして夜は法を破って密造酒を造るユンソンは、話術に長け策略を弄して当局からの取り締まりを巧みにすり抜けていきました。
セント・マグナス大聖堂には壁の裏や説教台の下、祭壇などウイスキーを入れた樽(カスク)の隠し場所が豊富です。
実際これらのありとあらゆる場所に大量の樽が保管されていたといわれており、オークニーの住人はユニソンを「ウイスキーを届けてくれるヒーロー」とまで呼んでいました。
「闇のヒーロー」とも称されたユニソンですが、やがて彼にも捜査の手が及びます。
そしてその後、ハイランドパークは数奇な運命を辿っていくことになります。
■新たな蒸溜所オーナーとなった人物とは
伝説的な密造酒の運命を変えたのは1816年のことで、ついにマグナス・ユンソンは徴税官によって捕えられてしまいます。
彼を取り締まったのはジョン・ロバートソンで、皮肉にも新しくハイランドパーク蒸溜所のオーナーとなったのがこのロバートソンでした。
事実この頃から蒸溜所は正式に「ハイランドパーク蒸溜所」と名乗っており、残された資料からも蒸溜所の名前を確認できます。
1826年にはジョンの義理の父・ロバート・ボーウィックにハイランドパーク蒸溜所の経営権が移り、1840年にロバートの息子・ジョージが引き継ぎます。
しかし蒸溜所は荒廃の一途を辿り、その気配はすでに数年前から濃厚になっていました。
1869年にスチュアート&マッカイに売却されたハイランドパーク蒸溜所ですが、1895年にはジェームズ・グラントが蒸溜所を買い取ります。
ジェームズ・グラントはグレンリベット蒸溜所の支配人を務めた人物で、その後は一貫してグラント家が経営を担っていくことになりました。
1898年にスチルを4基に増やしたハイランドパーク蒸溜所は、1979年に蒸溜所初のオフィシャルボトルとなる「ハイランド・パーク 12年」を発売します。
現在はエドリントン・グループの傘下となっていますが、ウイスキーの蒸溜は創業当時と変わらず続けられています。
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