menu list買取商品 - マルス ブレンデッドウイスキー 3&7(スリーアンドセブン)
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マルス ブレンデッドウイスキー 3&7(スリーアンドセブン)の高価買取致します
マルス ブレンデッドウイスキー 3&7(スリーアンドセブン)のご紹介
買取参考価格 | 1250円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | 本坊酒造 マルス信州蒸溜所 |
地方 | 長野県 |
地区 | 上伊那郡宮田村 |
分類 | モルト/グレーン |
タイプ | 720ml/39度 |
「日本の風土を活かした本物のウイスキーを造りたい」という、本坊酒造が描く夢を実現させるために建てられたマルス信州蒸溜所で育まれたマルスブレンデッドウイスキー「3&7(Three and Seven)」です。
2011年2月の信州ファクトリーにおける蒸留再開に合わせてリリースされました。
7年熟成のモルト原酒と3年以上熟成したグレーン原酒をブレンドし、正直一途なマルスウイスキーならではの個性豊かな味わいを生み出しました。
ホワイトオークの樽香をきかせたウッディなスパイスが印象的です。
マルス ブレンデッドウイスキー 3&7(スリーアンドセブン)の歴史
ホワイトオークカスクのアロマが豊かに香るウッディなブレンデッドウイスキー
■マルス信州蒸溜所のブレンダーが贈る自信作
「マルス ブレンデッドウイスキー 3&7(スリーアンドセブン)」は本坊酒造が所有するマルス信州蒸溜所にて、熟練の技を持つブレンダーが丁寧にブレンドして造り上げたブレンデッドウイスキーです。
「日本の風土を活かした本物のウィスキーを造りたい」との本坊酒造が描く夢を実現させるために建てられたマルス信州蒸溜所は、ウィスキー造りに最適な環境に恵まれた場所に静かに佇んでいます。
「マルス ブレンデッドウイスキー 3&7(スリーアンドセブン)」は2011年(平成23年)2月、19年ぶりの蒸溜再開に合わせてリリースされた記念すべきボトルです。
7年熟成のモルト原酒と3年以上熟成させたグレーン原酒をブレンドしている「マルス ブレンデッドウイスキー 3&7(スリーアンドセブン)」は、ホワイトオークの樽香が生み出すウッディーさとスパイシーさが効いたウィスキーに仕上がりました。
ワインのブレンドに35年、ウィスキーのブレンドに10年携わっている本坊酒造のブレンダー・山内氏は、ウィスキーの「調和」と「個性」が織りなす「華やかな香り」と「深みのある味わい」、そして「心地よい余韻」でウィスキーファンを魅了したいと語っています。
マルス信州蒸溜所の実力派ブレンダーが贈る自信作を、ぜひじっくりとご堪能ください。
■販売不振によって訪れたマルス信州蒸溜所の低迷と復活
1985年(昭和60年)にウィスキーとブランデーの製造拠点として、本坊酒造が長野県に新設したのがマルス信州蒸溜所です。
しかしウィスキーの製造は冬季のみしか行われておらず、その上ウィスキー需要の低迷によって1992年(平成4年)にウィスキー蒸溜は一時停止となってしまいます。
蒸溜休止中は貯蔵庫に眠っていた希少なモルト(原酒)を使って商品化することに注力し、1996年(平成8年)にはマルス信州蒸溜所から見える中央アルプスの霊峰・駒ヶ岳の名前を冠した「モルテージ駒ヶ岳10年」を発売しました。
2010年(平成22年)にはかつて本坊酒造・山梨工場建設に携わり、マルスウィスキー誕生に尽力した岩井喜一郎氏に尊敬を感謝の思いを込めた「岩井トラディション」を発売します。
その翌年の2011年(平成23年)2月にようやくマルス信州蒸溜所の蒸溜棟火入式が行われ、実に19年ぶりにウィスキー蒸溜が再開されたのでした。
2013年(平成25年)、マルス信州蒸溜所で造られた「マルスモルテージ3プラス25 28年」が「ワールド・ウィスキー・アワード(WWA)2013」において世界最高賞の栄誉に輝きます。
そして2014年(平成26年)には蒸溜所再開3年を記念して、「ザ・リバイバル2011シングルモルト駒ヶ岳」が発売されました。
このウィスキーはマルス信州蒸溜所で樽貯蔵され熟成を重ねたモルト原酒を使用したもので、復活記念に相応しいシングルモルトウィスキーでした。
■鳥井信治郎と竹鶴政孝
「日本のウィスキーの父」と称されるニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝の功績は多くの人が知るところですが、ジャパニーズ・ウィスキーの歴史を語る上で鳥井信治郎の存在も忘れることはできません。
1923年(大正12年)、株式会社寿屋(現・サントリー)社長の鳥井信治郎は、44歳で本格的なウィスキー国内製造を企画します。
そこでスコットランド・キャンベルタウンにある蒸溜所に適任者がいないかどうか尋ねたところ、「わざわざスコットランドから呼び寄せなくても、日本にはすでに竹鶴という適任者がいるはずだ」といわれるのでした。
そこで鳥井はスコットランド人技師に支払うつもりだった年棒4,000円で竹鶴を寿屋に迎え、1924年(大正13年)11月11日に竣工した山崎蒸溜所の所長を任せます。
ちなみに大正13年当時の日本で年棒4,000円は、家が建てられるほどの大金でした。
今のお金で換算すると多少ばらつきはあるものの、およそ2,000万~5,000万円であったと推測されます。
鳥井はスコットランドの権威・ムーア博士に年棒4,000円を提示して交渉を進めていましたが、彼こそが日本に適任者がいると鳥井に教えた人物でした。
そっくりそのまま同じ金額を竹鶴に提示した鳥井は、さぞかし竹鶴の技師としての腕を評価し、信頼していたのでしょう。
竹鶴は山崎蒸溜所・所長に在職中、サントリーの不朽の名作となる「山崎」を生み出します。
その後の竹鶴政孝の功績は敢えて語るまでもないでしょう。
そして鳥井信治郎にしてもまた然りです。
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