menu list買取商品 - 宮城峡 15年 シングルモルト ニッカ
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宮城峡 15年 シングルモルト ニッカの高価買取致します
宮城峡 15年 シングルモルト ニッカのご紹介
買取参考価格 | 32000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | 宮城峡蒸留所 |
地方 | 宮城県 |
地区 | 仙台市青葉区 |
分類 | シングルモルト |
タイプ | 700ml/45度 |
「シングルモルト宮城峡」は、2003年にそれまでの「シングルモルト仙台」から変更する形でリリースされました。
ニッカウヰスキーのシングルモルトウイスキーとしては、 余市蒸溜所で生み出される「余市」と並んで日本を代表する高級ブランドのウイスキーとして世界的にも評価されています。
香りは、豊かな熟成香とカカオやナッツのような樽香が印象的で、深みある熟成の甘さとコクが香ばしくソフトに広がり、柔らかくスムーズな舌ざわりが特徴です。
宮城峡 15年 シングルモルト ニッカの歴史
ニッカといえば余市のイメージ
■日本のウイスキーの父はどちらなのか
日本のウイスキーはジャパニーズウイスキーと呼ばれ、世界5大ウイスキーのひとつとなっています。
その品質の良さは、かつてはウイスキーに似せて作った粗悪なウイスキーこそがウイスキーだと思われていた時代があり、本物のスコッチウイスキーが受け入れられなかったという事実を考えると、随分と進化を遂げたと言えます。
そんな粗悪なまがい物ウイスキーこそがウイスキーだと思っていた日本人に、本物のウイスキーはこれだと知らせた「日本のウイスキーの父」と呼ばれる人物がいます。
ただ、現在のサントリーホールディングスの創業者である鳥井信治郎がそうだという人もいれば、ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝こそが、日本のウイスキーの父だという人もいます。
「日本のウイスキーの父」と呼ばれるべきはどちらなのかは、おそらく答えは出ないでしょう。
実際に国産ウイスキーの第一号を作ったのはサントリーですし、その後、角瓶という大ヒット商品を作り出しました。
また、散々な結果に終わった最初の国産ウイスキー「サントリー 白札」は、その後、「サントリー ホワイト」と名を変え、さらには「サントリー レッド」というウイスキーも作るなどして、精力的に国産ウイスキー作りに取り組んできたからです。
昭和30年くらいにお酒を飲んでいた世代にとっては、サントリーオールドは毎日の晩酌に最適だったでしょうし、ちょっといいことがあった日は角瓶に格上げするといった具合に、サントリーのウイスキーを楽しんできたのではないでしょうか。
そう考えると、「日本のウイスキーの父はサントリーの鳥井信治郎だ」という気がしますが、実は国産ウイスキー第一号の白札を作った際のサントリーの技術責任者は、ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝なのです。
また、スコットランドに似ており、豊富な美しい水があるとして山崎に蒸留所を作ることにしたサントリーですが、この場所の選定を行ったのも、竹鶴政孝です。
つまり、サントリーのウイスキー作りには、常に竹鶴政孝の存在があったことが分かります。
そのため、商売を重視した鳥井信治郎に対し、実際にウイスキー作りに関わっていたのは竹鶴政孝のほうであるため、竹鶴政孝が「日本のウイスキーの父」と呼ばれることが多いのは、こうした事情にあります。
■サントリーでの竹鶴政孝と鳥井信治郎
サントリーにいる間、竹鶴政孝があまりにもスコッチウイスキーの作り方を頑固に守ろうとするため、経費が掛かりすぎるのを嫌った鳥井信治郎は、竹鶴政孝をビール工場の責任者として横浜に異動させたことがあります。
さらに政孝に断ることなく、採算重視のためにいきなり横浜工場を閉鎖したことから、政孝は鳥井に対して不信感を抱き始めますが、それも無理からぬことだったでしょう。
鳥井は商売人であり、竹鶴は職人だったからです。
ただ、政孝は鳥井信治郎の息子にウイスキー作りのノウハウを教えるという「帝王教育」を任されていたこともあり、そう簡単にサントリーを退社することはありませんでした。
鳥井の息子がこれでもう一人立ちしたと判断したのちにサントリーを退社しているあたり、竹鶴政孝という人の仁義と、鳥井信治郎に対する恩義を感じます。
こう書くと、鳥井信治郎がまるで冷たい人間のように思えますが、鳥井は鳥井で、摂津酒造に勤めていた竹鶴政孝を、年俸4000円という当時では破格の高給でサントリーの前身である寿屋に迎え入れます。
蒸留所の選定から、ウイスキーを作るためのポットスチル選びまで、全て竹鶴政孝に任せていたのは、それだけの信頼を寄せていたからでしょう。
竹鶴政孝は自伝に、鳥井信治郎への感謝の気持ちを言葉にしていることから、どちらが「日本のウイスキーの父」と呼ばれたとしても、いずれも間違っていないといえるでしょう。
■ニッカウヰスキーの新しい蒸留所
ニッカウヰスキーの蒸留所と言えば、竹鶴政孝が初めて作った余市蒸留所が有名ですが、異なる土地で作った原酒がないと、おいしいモルトウイスキーは作れないという政孝の信念から、第二の蒸留所が作られます。
それが、宮城狭蒸留所です。
この宮城狭蒸留所で2003年に作られた「シングルモルト宮城峡」は、「シングルモルト仙台」をリニューアルしたものです。
ニッカウヰスキーのシングルモルトウイスキーといえば、 余市蒸溜所でしか手に入れることができない「余市」が有名ですが、「シングルモルト 宮城狭」は、今や余市シリーズと並ぶ高級ブランドのジャパニーズウイスキーとして注目されています。
その人気の高さを鑑みるに、ニッカウヰスキーのウイスキー作りの確かな技術は、余市と宮城狭のどちらの蒸留所でも、いかんなく発揮されているといえるでしょう。
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