menu list買取商品 - ニッカ シングルカスク カフェグレーン 2000
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ニッカ シングルカスク カフェグレーン 2000の高価買取致します
ニッカ シングルカスク カフェグレーン 2000のご紹介
買取参考価格 | 16000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | ニッカウヰスキー株式会社 |
分類 | グレーンウイスキー |
タイプ | 700ml/63度 |
カフェグレーン貯蔵庫の中から一つの樽を厳選し、濾過のみで瓶詰を行ったウイスキーです。
2000年に蒸留し、2012年に瓶詰された数量限定の商品です。
琥珀色な見た目が特徴的、口当たりは滑らかでウッディな味わいに甘い樽香が口の中に広がります。
カフェグレーンらしさのあるメロウなコクが楽しめます。
※750ml、59度/55度は買取価格が異なります。
ニッカ シングルカスク カフェグレーン 2000の歴史
ニッカ数量限定の希少なカフェグレーン
■深い味わいが楽しめる本格的グレーンウイスキー
NIKKA(ニッカ) シングルカスク カフェグレーン 2000は、2000年に蒸溜されたウイスキーをろ過のみ行って瓶詰めをしているのが特徴です。
2012年に数量限定で販売されたウイスキーで、ニッカウイスキーの愛飲家たちに支持された希少価値の高い一本として知られています。
カフェグレーンの貯蔵庫には数多くの樽が眠っていますが、その中から厳選して一つの樽を選び、ろ過と瓶詰めを行ったのがNIKKA(ニッカ) シングルカスク カフェグレーン 2000なのです。
琥珀色に輝く美しい色合いが魅力的で、カフェグレーンならではのなめらかでウッディな味わいが楽しめます。
甘い樽香とクッキーのような甘さと香ばしさい香りが加わり、一口含めば口の中いっぱいに深い味わいが広がって余韻が長く続きます。
口当たりのよさと深みのあるウイスキーならではのおいしさが味わえるため、これまでウイスキーを飲んだことがないという人にもおすすめです。
カフェグレーンらしいバニラやハチミツを思わせるコクは、ウイスキー初心者はもちろん、ウイスキー好きにもたまらない逸品です。
NIKKA(ニッカ) シングルカスク カフェグレーン 2000は、開発者のイーニアス・カフェにちなんでカフェスチルと呼ばれる、ニッカが誇る伝統製法のカフェ式連続蒸溜器で造られた本格派のグレーンウイスキーとなっています。
■ニッカウヰスキー誕生の歴史と現在
ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝は、広島県賀茂郡竹原町(現在の竹原市)の出身です。
1934年(昭和9年)に北海道余市郡余市町に「大日本果汁株式会社」を設立し、これがのちにニッカウヰスキー誕生の母体となります。
このときの社名である大日本果汁株式会社は「日果」と略称され、カタカナで「ニッカ」と書かれるようになったことが現在に社名へとつながっています。
現在でもニッカウヰスキーのブランド名はそのまま残っていますが、経営はアサヒグループホールディングスの子会社となっています。
そのためニッカウヰスキーが製造する商品の販売は、すべてアサヒビールが担うことになりました。
これは2001年(平成13年)に、当時の筆頭株主であったアサヒビール株式会社がニッカウヰスキーの全株式を取得し、子会社化して同社の傘下に収めたためです。
ただニッカウヰスキーの名前と、ひげを蓄えたあの独特のオリジナルキャラクターが消えるのはさみしいとの声が多くありました。
そのためアサヒグループホールディングスの子会社となってからも、ニッカの名前とキャラクターはなくならずに今も多くのファンに変わることなく愛され続けています。
■大日本果汁株式会社がウイスキーづくりを始めるまで
ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝が北海道余市の町で本格的にウイスキーづくりを始めるまでには、数多くの困難が待ち受けていました。
まずウイスキーは製造してすぐに売り出せる商品ではありません。
蒸溜して樽に詰めて貯蔵し、飲み頃を迎えるまで静かに熟成させておくことが大切です。
政孝にはウイスキーを造って出荷できるまでの期間、やりくりする術とお金が必要でした。
大日本果汁株式会社はある意味、そのために設立された会社といっても過言ではありません。
大日本果汁株式会社では主にリンゴを使ったリンゴジュース(商品名:日果林檎ジュース、後に林檎汁に改名)やリンゴゼリー、リンゴケチャップなどを製造・販売していました。
その中にはリンゴワインのお酒も含まれていたといいます。
地元余市にはリンゴ農家が多く、竹鶴政孝は落ちて傷が付いたリンゴでもかまわないからといい、リンゴ農家の言い値ですべてのリンゴを買い取ったのです。
どこから来たのかわからないけれど、若い兄ちゃんが高い値段で売り物にならないリンゴを買い取ってくれると聞いた農家が、大日本果汁株式会社の前に長蛇の列を作ったといいます。
しかし竹鶴政孝が本当に造りたいのはスコッチウイスキーであって、リンゴを使って作る商品はあくまでもウイスキーづくりのための資源でしかなかったのです。
しかし果汁100%にこだわったリンゴジュースはたいへん高価であったため、あまり売れないうえに変色した商品の返品の山に押される有様でした。
それでも日本でのウイスキーづくりに情熱をかけていた竹鶴政孝は、数々の困難に立ち向かっていきました。
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