menu list買取商品 - ニッカ ドンピエール V.S.O
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ニッカ ドンピエール V.S.Oの高価買取致します
ニッカ ドンピエール V.S.Oのご紹介
買取参考価格 | 550円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | ニッカウヰスキー/ドンピエール蒸留所 |
分類 | ブランデー |
タイプ | 640ml/37度 |
「ニッカ ドンピエール V.S.O」は、シンプルなボトルタイプのパッケージで高級感のある佇まいをしながらも、リーズナブルな価格が好評のブランデーです。
フランスのコニャック地方にあるドンピエール蒸留所のコニャックの原酒を使用していますがかなり飲みやすく加工されているため、初心者でも安心して手軽に飲める甘さがメインのおいしい味に仕上がっています。
ストレートやロックでいただくのはもちろん、強いクセがないためブランデーを使用したお菓子や料理にも使いやすい1本です。
※1920mlペットボトル、2700mlペットボトル、4000mlペットボトルは買取価格が異なります。
ニッカ ドンピエール V.S.Oの歴史
竹鶴政孝がジャパニーズウイスキーの父と呼ばれる理由
■ジャパニーズウイスキーの父・竹鶴政孝の奮闘
1918年、24歳の時に単身スコットランドにわたり、グラスゴー大学でウイスキー造りについて学ぶことになった竹鶴政孝は、大学での勉強が座学ばかりで実際にウイスキー製造の授業がないことに落胆します。
摂津酒造の社長命令で本物のスコッチウイスキーの造り方を学んで帰らなければならなかった政孝が取った行動は、気迫に満ちたものでした。
スコットランド中の蒸留所あてに、実習させてほしいと手紙を出したのです。
これが実を結び、無事に実習体験の機会を得た政孝ですが、実習先が決まったからといってすんなりとスコッチウイスキー造りを学ばせてもらえたわけではありませんでした。
■職工たちから受けた仕打ち
キャンベルタウンにあるヘーゼルバーン蒸留所において、政孝は本物のスコッチウイスキーの造り方を完全に理解します。
その様子は2冊のノートに克明に記され、竹鶴ノートとして歴史的にも高い価値を持つ資料となっていますが、その理由はポットスチルと呼ばれる単式蒸留機の外部だけでなく、その内部構造までが詳細に記されているためです。
とはいえ、政孝はヘーゼルバーン蒸留所の職工たちから手取り足取り教えてもらえたわけではありません。
むしろ、東洋から単身乗り込んできた青年に対する職工たちの態度は冷たく、蒸留機のそばにも近寄らせてもらえませんでした。
どうすれば蒸留機のそばに行けるのか、その仕組みを知ることができるのかを考えた政孝は、職工たちがウイスキー造りは喜んでしても、蒸留機の掃除は嫌がっていることに気づきます。
そこで自ら蒸留機の掃除を買って出て、下着だけの姿でポットスチルと呼ばれる単式蒸留機の中に飛び込み、内部の構造をつぶさに見ながら、清掃に励んだのです。
ポットスチル内での掃除は暑く、体力を使うため、職工たちが嫌がるのも無理はありません。
彼らはすでにウイスキーをどうやって造るかを知っていたからです。
けれど、政孝にとってポットスチル内の清掃は大変ではあったでしょうが、楽しくもあったのではないでしょうか。
その証拠にまるでスポンジが水を吸い込んでいくように、聡明な青年は自らその構造を見て、理解していったのです。
■なぜ鳥井信治郎ではなく竹鶴政孝なのか
日本で大ヒットした国産ウイスキーを最初に売り出したのは、竹鶴政孝ではなく、寿屋洋酒店、現・サントリーの創業者である鳥井信治郎です。
その大ヒットしたウイスキーとは今も大人気の角瓶で、今から82年前の1937年のことでした。
鳥井信治郎は、国産ウイスキー発展のまさに第一人者と言えます。
けれど、日本のウイスキーの歴史を語る上で、ジャパニーズウイスキーの父と呼ばれるのは鳥井信治郎ではなく、竹鶴政孝です。
その理由は、鳥井信治郎はあきんどの家に生まれて商売を手掛ける商人であったのに対し、竹鶴政孝は醸造科において酒造りを学んだ技術者だったからです。
鳥井信治郎はよい職人を見つけてウイスキーを造らせることで、日本のウイスキーの普及に多大な功績を残しましたが、竹鶴政孝は自分自身が造り手としてウイスキーを普及させました。
これが、日本のウイスキー史において、竹鶴政孝がジャパニーズウイスキーの父と呼ばれる最大の理由です。
しかしながら、帰国した時には摂津酒造は資金難のためにウイスキー造りができなくなっていたことを考えると、ウイスキーを造ってほしいと政孝に頼みに行った鳥井の存在なくしては、ジャパニーズウイスキーの父も生まれなかったと言えるでしょう。
■創業時の苦労を糧にするニッカウヰスキー
ウイスキーを造るには、原酒を造り上げる必要があり、それには最低でも5年の歳月がかかります。
ニッカウヰスキーは最初はリンゴジュースを手掛ける大日本果汁株式会社としてスタートし、原酒ができるのを待ってようやくウイスキー造りを始めることができました。
大日本果汁株式会社でのリンゴジュース造りにもさんざん苦労としたのですが、ニッカウヰスキーではその時の苦労も糧にし、アップルブランデーを造っています。
ブランデーにおいても定評のあるニッカですが、NIKKA(ニッカ) ドンピエール V.S.O.P.は、高級ブランデーの産地として知られるフランス・コニャック地方のドンピエール蒸留所からコニャック原酒を輸入し、国内でブレンドとボトリングを施しています。
リンゴのブランデーを造るニッカが、ブドウを原材料とするドンピエール蒸留所のコニャック原酒を軸に、フランス産ブランデーだけをブレンドしているという変わり種ながらも人気の商品となっています。
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