menu list買取商品 - ニッカ ドンピエール V.S.O.P.
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ニッカ ドンピエール V.S.O.P.の高価買取致します
ニッカ ドンピエール V.S.O.P.のご紹介
買取参考価格 | 550円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | ニッカウヰスキー/ドンピエール蒸留所 |
分類 | ブランデー |
タイプ | 660ml/40度 |
高級ブランデーの産地として有名なフランスのコニャック地方にあるドンピエール蒸溜所のコニャック原酒を輸入し、国内でブレンドおよびボトリングされた「ニッカ ドンピエール V.S.O.P.」です。
ブドウを原材料としているドンピエール蒸留所のコニヤック原酒を中心に、選りすぐりのフランス産ブランデーをブレンドしています。
軽やかな味わいとすっきりしたアフターテイストが特徴で、手軽に飲めるリーズナブルな価格で人気の1本となっています。
ニッカ ドンピエール V.S.O.P.の歴史
リンゴと深いかかわりのあるニッカならではのブランデー
■手軽に味わえる本場のブランデー
NIKKA(ニッカ) ドンピエール V.S.Oはコニャックの原酒を使用しつつ、初心者にも手軽に飲める美味しさに仕上がっているブランデーです。
コニャックはブドウを使って醸造されることが多いですが、その他にもリンゴを原料としたカルヴァドスがよく知られています。
実はリンゴはニッカウヰスキーに大変縁のある果物で、1934年に設立されたニッカウヰスキーの前身である大日本果汁株式会社では、ウイスキーを熟成・販売できるまでの収益金として、リンゴを使って造ったリンゴジュースを販売していました。
そして1940年にはブランデーを発売しており、癖のない飲みやすさはこのNIKKA(ニッカ) ドンピエール V.S.Oにも受け継がれています。
NIKKA(ニッカ) ドンピエール V.S.Oで使用している原酒のコニャックは、現在ニッカがフランス・コニャック地方に所有しているドンピエール蒸留所から輸入しているものです。
高級ブランデーの産地としても有名なフランスのコニャック地方のコニャック原酒を輸入し、日本国内の工場でブレンドからボトリングまで行うブランデーとなっています。
ドンピエール蒸留所のコニャック原酒をベースにフランス産のブランデーもブレンドするなど、ブランデーの本場コニャック地方で蒸留された本格的な味わいを手軽に楽しめる1本です。
■リンゴはウイスキー製造のための収益源
ウイスキーは製造から販売までに時間を要するため、出荷できるまでの数年間はウイスキーによる収益確保は難しいものでした。
そこで出荷できるまでの収益金を得る手段として政孝が選んだのが、余市のリンゴを絞って造るリンゴジュースの販売だったのです。
1934年に設立した大日本果汁株式会社はその名の通り、リンゴジュースを製造・販売するために出資を募ったもので、創業してしばらくの間酒造免許は取得していませんでした。
余市はリンゴが特産品であったため、政孝はリンゴ農家に落ちて傷ついたリンゴもすべて買い取るといい、農家の自己申告のままの値段で1つ残らず買い取りました。
出荷できない傷ついたリンゴができることは、リンゴ農家にとっては大変な痛手です。
しかしそこへどんなリンゴでもすべて買い取るという人物が現れたのですから、これほど有り難いことはありません。
リンゴを山積みした馬車が大日本果汁の工場前に列を作り、買い取ってくれるのを待つリンゴ農家が大勢押し寄せたと言われています。
■返品の山と最初のウイスキー
余市ではリンゴをたくさん買い取ってくれるリンゴジュース会社の社長さんと信じられていた政孝でしたが、その一方で返品されてくるリンゴジュースと大量の在庫を抱えて頭を抱える日々を送っていました。
ものづくりに対して一切の妥協を許さない政孝の性格は、リンゴジュース作りにおいても発揮されていたのです。
1935年の6月から「日果林檎ジュース」として出荷が開始されたものの、あまり売り上げは伸びませんでした。
何しろ他社が果汁入り清涼飲料水を6銭で販売していたのに対して、政孝が作る果汁100%のジュースの値段は30銭もしたのです。
しかも混ぜ物などを一切しなかったためにリンゴジュースが濁ってしまい、小売店や消費者が相次いで返品してくるという事態になりました。
返品が相次ぎ、出荷もできなくなった莫大な在庫と返品の山を前にした政孝は、これらを使って蒸留酒を造りそのついでにウイスキーを少量だけ仕込むことを考えつくのです。
そして1940年、余市で製造した最初のウイスキーがついに発売されます。
ウイスキーの発売にあたっては大日本果汁の「日」と「果」の字を取って「ニッカウヰスキー」と命名され、これがニッカウヰスキーの記念すべき第一号となりました。
しかしその直後にウイスキーは統制品になり、日果の工場は海軍の監督工場となってしまいます。
そしてこれ以降終戦までの間、ニッカウヰスキーの工場では配給用のウイスキーを製造することになりました。
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