menu list買取商品 - ニッカ G&G 白ビン
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ニッカ G&G 白ビンの高価買取致します
ニッカ G&G 白ビンのご紹介
買取参考価格 | 2300円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | ニッカウヰスキー株式会社 |
分類 | ブレンデッドウィスキー |
タイプ | 750ml/43度 |
ニッカウヰスキー「G&G 白ビン(NIKKA WHISKY GOLD & GOLD)」は、1968年から2015年にかけて販売されていたブレンデッドウィスキーです。
ポットスチルによる余市のモルト原酒をベースに、カフェ式連続式蒸留機によるグレーン原酒をブレンドして造られています。
ほんのり酸味のあるアロマの香りとまろやかな口当たりが特徴です。
※50mlボトル、180mlボトル、760mlボトルは買取価格が異なります。
ニッカ G&G 白ビンの歴史
今も多くのウイスキー好きに愛される銘酒
■大勢のウイスキー好きを虜にする特級酒
NIKKA(ニッカ) G&G 白瓶の正式な銘柄名は「NIKKA WHISKY GOLD & GOLD」といい、略してG&Gと呼ばれています。
ニッカウヰスキーが 1968年(昭和43年)から製造を開始したウイスキーで、2015年(平成27年)までアサヒビールが発売していたブレンデッド・ウイスキーです。
G&G白瓶の源流はゴールドニッカで、こちらは1955年(昭和30年)から1962年(昭和37年)までの間、ニッカウヰスキーが製造し販売も行っていました。
G&G白瓶は北海道工場・余市蒸留所にあるポットスチルで造られるモルト原酒をベースにしており、1968年10月にニッカウヰスキーより発売されました。
発売された当時は現在の仙台工場・宮城峡蒸留所へ移設された、西宮工場にあったカフェスチルによって造られるグレーン原酒をブレンドしていた商品です。
特級品質のウイスキーを手軽に楽しんでもらいたいとの思いから生まれたこのウイスキーは、コクのある味わいと口あたりのよい飲みやすさが特徴となっています。
半世紀にわたる年月が過ぎても、今もなお多くのウイスキーファンに愛されており、初心者からウイスキー好きの上級者までを虜にする逸品です。
■ウイスキーの歴史を造り上げた人物の生誕と晩年
ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝(たけつる まさたか)は、1894年6月20日に広島県賀茂郡竹原町(現在の竹原市)で生を受けました。
生家は竹鶴酒造株式会社で、広島県竹原市に本社を置く酒造メーカーです。
竹鶴の苗字は政孝の住む家の裏に竹藪があり、そこに鶴が営巣したことがきっかけと伝わっています。
「古来松に鶴と聞くも竹に鶴は瑞兆なり」といって鶴の営巣を喜び、「小笹屋竹鶴」の銘柄名と苗字に使ったことから竹鶴の名がつきました。
現在も竹鶴酒造の建物は健在で、2014年9月から放送された政孝がモデルのNHK朝の連続テレビ小説「マッサン」(役名は亀山政春)では、ドラマの中で登場する「亀山酒造」のロケ地になったことでも知られています。
政孝は1日1本のウイスキーを酒量とし、晩酌には当時(1960年代 ~ 1970年代)ニッカウヰスキーの2級ウイスキーであったハイニッカを好んで飲んでいました。
超極薄の薄焼き醤油煎餅をおつまみにしながら飲むのを楽しみにしていましたが、晩年には酒量を3日で2本に減らしたと言われています。
■ウイスキー造りに捧げる人生のスタート
日本のウイスキーの父と称される竹鶴政孝は、大阪高等工業学校(現在の大阪大学工学部)の醸造科で酒造りについて学びました。
竹鶴家の三男であったにもかかわらず醸造科に進学した背景には、二人の兄が家業の酒造りを敬遠したからだと言われています。
そんな政孝でしたが大阪高等工業学校卒業を控えた1916年3月には、新しい酒である洋酒にすでに大きな興味を抱いていました。
そこで当時の洋酒業界の大御所ともいえる大阪市にあった摂津酒造を訪ねて、まだ卒業前の身でありながら入社を果たします。
当時の摂津酒造の常務であった岩井喜一郎は政孝の大阪高等工業学校時代の先輩で、これを縁に入社後の政孝は希望通り洋酒製造部門に配属されたのです。
当時ロンドンの出版社が刊行していた「処方書」を手に、政孝は長時間試験室にこもって研究し、ある時は現場にぴったりと張り付いて洋酒製造を行っていたことから、入社後ほどなくして主任技師へと抜てきされました。
しかしある年の夏、アルコール殺菌が徹底されていなかったワインが摂津酒造の店先で破裂する事態が相次ぎます。
ところが政孝が製造した赤玉ポートワインだけは1本も割れることがなかったのです。
これは政孝が徹底した殺菌を行っていたためで、酵母が増殖しなかったことから破裂することがありませんでした。
この一件で政孝の酒造り職人としての腕のよさが評判となって広がり、のちのウイスキー造りへの礎となっていきました。
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