menu list買取商品 - ニッカ G&G 白ビン 西洋甲冑付き
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ニッカ G&G 白ビン 西洋甲冑付きの高価買取致します
ニッカ G&G 白ビン 西洋甲冑付きのご紹介
買取参考価格 | 7700円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | ニッカウヰスキー株式会社 |
分類 | ブレンデッドウィスキー |
タイプ | 760ml/43度 |
1972年に「ニッカ G&G」のボトルに被せてお店のディスプレイなどに使用されていた販促品(ノベルティグッズ)です。
後に、ニッカウィスキーG&Gとセットで販売され、現在は終売しています。
セットの使われているボトルは、「白ビン」や「初期 黒ビン」、「白ビン 北海道ラベル」などがあります。
甲冑には銀と金があり、マスク部分は可動式になっており開閉することができます。
マスクを開けると上記の画像のような渋いルックスの男性の顔が現れます。
ニッカ G&G 白ビン 西洋甲冑付きの歴史
世界のウイスキーが日本の歴史に刻まれるようになった経緯
■錬金術師たちが発見した蒸留と技術
世界各地で飲まれているお酒の源流をたどると、原料を発酵させた時点で飲む発酵酒に行きつきます。
ワインやビール、そして日本酒もまたしかりです。
発酵が完了した時点で飲むことが、いわばお酒の当たり前でした。
こうしたお酒のことを、醸造酒と言います。
この醸造酒をさらに蒸留し、蒸留酒を造るという発見をした錬金術師たちは、アルコール度数が各段に高くなった蒸留仕立ての酒を飲んで、その燃えるような味わいに驚きました。
そしてアクア・ビデ、ゲール語で生命の水と呼び、長らく蒸留仕立てのお酒を飲むのが当たり前となったのです。
■琥珀色のウイスキーへと変わった理由
ウイスキー発祥の地であるアイルランドやスコットランドは、常に強大な勢力を持つイングランドとの闘争に常に明け暮れ、勝つことはできませんでした。
そのため、高い酒税をかける法律が制定されたのを受け、納税義務を逃れようと蒸留酒を樽に詰め、山里の奥深くに隠します。
そして安全とわかった時点で取り出したところ、無色透明だった蒸留酒は琥珀色の美しい液体に変わっていました。
錬金術師たちが造った生命の水は、圧政から逃れるための苦肉の策として詰めた樽の中で、かぐわしい香りと美しい琥珀色の液体へと変わっていたのです。
これが、現在のウイスキーが造られた歴史のスタートとなったと言えます。
■日本におけるウイスキーの歴史
1853年、浦賀沖にやってきたペリーは、将軍にウイスキーを献上しています。
ただ、当時は葡萄酒の方が好まれたのは、日本の酒がワインと同じ醸造酒であったからでしょう。
その後もウイスキーは日本には根付かず、国産のウイスキー造りが本格的に始まったのは関東大震災が起こった1923年のことです。
国産第一号は寿屋洋酒店で、現在のサントリーが作ったサントリー・ウイスキー白札で、寿屋洋酒店の創業者である鳥井信治郎が、スコットランドで本場のスコッチウイスキー作りを学んできた摂津酒造の竹鶴政孝を招いて造ったものでした。
ただ、出来栄えはさんざんで、職人気質の竹鶴政孝と根っからのあきんどの鳥井信治郎の間で意見が全く異なったことが最大の原因でした。
ウイスキー造りに一切の妥協を許さない竹鶴がモルトにこだわるのに対し、あきんどの鳥井は原材料の高さから無理だと言います。
結局中途半端なものしかできあがりませんでしたが、この二人が出会っていなければ、日本のウイスキーが世界5大産地の1つに加わることはなかったと言ってよいでしょう。
■竹鶴と鳥井がそれぞれ刻んでいった日本のウイスキーの歴史
竹鶴政孝は10年という約束で寿屋洋酒店に勤務し、その後、自分が目指すスコッチウイスキーを造るため、北へと向かいます。
一方の鳥井信治郎は、麗しい水が湧き出る山崎の土地に作った蒸留所で引き続きウイスキーを造り続け、サントリーウイスキー赤札を発売しますが、こちらも白札に続いて売れ行きはかぐわしくありません。
1934年、竹鶴が余市に蒸留所を構え、ウイスキー造りに取り掛かり始めて間もなくの1937年、鳥井はついに大ヒットとなる国産ウイスキーを造り出します。
それが今でも愛され続けている、サントリーの代名詞ともなったサントリー角瓶です。
竹鶴がニッカウヰスキー創業者としてニッカウヰスキー第一号を発売したのは、角瓶が大ヒットした3年後の1940年のことでした。
その後も竹鶴政孝のニッカウヰスキーと、鳥井信治郎のサントリーが国産ウイスキーの二大メーカーとして、日本に本物かつ上質のウイスキーの歴史を刻んでいったことは、歴史が確かに証明しています。
■ニッカウヰスキーの珍しいノベルティもの
もともとあきんどとして生まれ育った鳥井信治郎は、宣伝にかけての腕前も一流でした。
そのため、職人の竹鶴政孝のニッカウヰスキーは、販促という点においては、サントリーに遠く及ばなかったと言ってよいでしょう。
そんなニッカウヰスキーですが、1972年に販促品として面白い商品を造っています。
それが、NIKKA(ニッカ) G&G 白瓶 西洋甲冑付きで、ニッカウヰスキーを販売しているお店のディスプレイに飾るようにと、西洋甲冑を被せたものです。
後に造られたニッカウイスキーG&Gとセットで販売されて人気を博しましたが、現在は造られていません。
甲冑には銀と金があり、甲冑のマスク部分は開閉ができる可動式に仕上げられ、渋いルックスをした男性の顔が現れます。
ニッカとしては販促面においてもサントリーに負けられないという思いがあったのではと思わせる、ユニークなノベルティもののウイスキーです。
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