menu list買取商品 - ニッカ アップルブランデー 弘前 弘前工場操業40周年記念
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ニッカ アップルブランデー 弘前 弘前工場操業40周年記念の高価買取致します
ニッカ アップルブランデー 弘前 弘前工場操業40周年記念のご紹介
買取参考価格 | 18000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | ニッカウヰスキー/弘前工場 |
地方 | 青森県 |
地区 | 弘前市 |
分類 | アップルブランデー |
タイプ | 700ml/40度 |
青森県産のりんごを原料に、弘前市を中心とした地域でのみ発売されている限定商品の長期熟成ブランデー「ニッカ アップルブランデー 弘前」です。
こちらは2000年7月にニッカウヰスキーが青森県に創設した弘前工場の操業40周年を記念し、東北地区において数量3,000本限定でリリースしたスペシャルボトルです。
りんご農家やニッカを応援する地元の方々への感謝の意を込めて作られた特別な1本となっております。
りんごブランデー原酒ならではの華やかな香りと軽快な口当たりをお愉しみいただけます。
ニッカ アップルブランデー 弘前 弘前工場操業40周年記念の歴史
リンゴ農家とニッカを支えてくれた人々への感謝の限定品
■ニッカウヰスキーを支えたリンゴへの感謝の想い
NIKKA(ニッカ) アップルブランデー 弘前 弘前工場創業40周年記念は、2000年7月の弘前工場創業40周年を記念して特別限定製造された商品で、東北地区で3,000本の数量限定品として発売されました。
ウイスキーを醸造させるには熟成期間が必要だったため、その期間ニッカウヰスキーは前身である大日本果汁株式会社を設立し、リンゴを使ったジュースやシードル、そしてアップルワインを販売しています。
その時に使用していたのが青森県産のリンゴで、そのリンゴを原料に使用している長期熟成のアップルブランデーです。
この特別限定品の発売は、青森県やアップルジュースの生まれ故郷である余市のリンゴ農家を始めとするニッカウヰスキーを応援し、支えていただいた地元の方々への感謝の気持ちが込められています。
1938年(昭和13年)に大日本果汁株式会社で誕生したアップルワインは、長い時を経てもなお、苦悩の時代をともに歩んでくれた青森のリンゴへの感謝を忘れていないことを伝えています。
このNIKKA(ニッカ) アップルブランデー 弘前 弘前工場創業40周年記念限定ボトルが東北地区のみで限定販売されたことが、そのことを如実に証明していると言えるでしょう。
■余市から弘前へと引き継がれたアップルワイン
余市で生まれて育ったアップルワインですが、その後は青森県を拠点とする弘前工場へと引き継がれることになりました。
弘前工場は1960年(昭和35年)の10月1日に完成し、朝日麦酒(現在のアサヒビール)が設立した朝日シードル株式会社の事業を引き継ぐことになったためです。
朝日シードル株式会社の事業引き継ぎは、リンゴの加工において特に深い造詣を持っていた竹鶴政孝に依頼されたことが始まりでした。
弘前工場では事業の引き継ぎ以降、青森県産のリンゴを使って造るアップルワインをはじめとして、シードルやアップルブランデーなど数々の商品を造り続けました。
そして2010年10月1日には弘前工場誕生50周年記念の日を迎えたのです。
アップルブランデーの中には、ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝の愛妻リタに捧げた限定販売品もあります。
ニッカウヰスキーとリンゴをつなぐ糸がいかに重要なものであったかを、政孝とリタ同様にニッカもまたいつの時代になっても大切にし続けています。
■余市のリンゴが世界のウイスキーを生み出す足掛かりに
政孝が起業の地として選んだ余市でしたが、彼は当初ウイスキー造りをするつもりはありませんでした。
なぜなら壽屋と鳥井に対して大変な恩を感じていたため、あくまでもリンゴジュースを造るために大日本果汁株式会社を設立したのです。
ウイスキーは製造しても出荷するまでに時間がかかることから、余市特産のリンゴで造ったアップルジュースを販売して収益を得るまでは、とてもウイスキーの製造を行うことは難しいのが実情でした。
政孝は落ちて傷が付いてしまったリンゴでも買い取っていたため、余市のリンゴ農家は商品にならないリンゴも残らず馬車に乗せ政孝のもとへ訪れたと言います。
大量のリンゴを積んだ馬車が大日本果汁の工場前に列をなし、政孝はリンゴ農家の自己申告をそのまま信用して1つ残らず買い取っていたのです。
当初は余市でウイスキー造りをするつもりがなく、リンゴジュースで得た売却益でいずれはウイスキー造りに取り掛かるつもりでいた政孝でしたが、ここで大きな問題が高い壁となって立ちはだかります。
商品作りに対して一切の妥協をしない政孝の頑固な性格が仇となり、天然の成分だけで造ったリンゴジュースは色が変わってしまうなどの理由で返品される事態になってしまいます。
莫大な返品の山となったリンゴジュースを前にして、政孝はついにそれらを使って蒸留酒を造ることを決心します。
そして少量のウイスキーをリンゴジュースに仕込むことにし、これが政孝の余市でのウイスキー製造が本格的に始まるきっかけとなりました。
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