menu list買取商品 - マルス 駒ヶ岳 太陽と鳳凰 第2弾 2016 シングルモルト
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マルス 駒ヶ岳 太陽と鳳凰 第2弾 2016 シングルモルトの高価買取致します
マルス 駒ヶ岳 太陽と鳳凰 第2弾 2016 シングルモルトのご紹介
買取参考価格 | 45000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | 本坊酒造 マルス信州蒸溜所 |
地方 | 長野県 |
地区 | 上伊那郡宮田村 |
分類 | シングルモルトウイスキー |
タイプ | 700ml/60度 |
九州最大のウイスキーイベント「ウイスキートーク福岡2016」のオリジナルボトルとして591本限定で発売された、「太陽と鳳凰(Phonix and the Sun)」シリーズの第2弾となるマルス信州蒸留所のシングルモルトウイスキーです。
2013年に蒸留された、アメリカンホワイトオーク熟成のカスクストレングスです。
フルーティーで華やかなアロマと優しいピート感のバランスがよく、「駒ケ岳」の新しい一面が味わえる1本となっております。
マルス 駒ヶ岳 太陽と鳳凰 第2弾 2016 シングルモルトの歴史
ウイスキートーク福岡限定販売のシリーズ第2弾ウイスキー
■イベントで人気のウィスキー第2弾が登場
「マルス 駒ヶ岳 太陽と鳳凰 第2弾 2016 シングルモルト」は、9州最大のウィスキーイベント「ウィスキートーク福岡2016」のオリジナルボトルとして販売されました。
生産数は591本という数少ない限定発売だったこともあり、今も人気の高いシングルモルトウィスキーとなっています。
「太陽と鳳凰(Phonix and the Sun)」シリーズの第2弾にあたり、製造したのは長野県にあるマルス信州蒸溜所です。
2013年に蒸溜された「マルス 駒ヶ岳 太陽と鳳凰 第2弾 2016 シングルモルト」は、アメリカンホワイトオークカスクで熟成したカスクストレングスとなっているのが特徴です。
果実のフルーティーで華やかな香りと優しめのピート香とのバランスが大変良く、これまでの「駒ヶ岳」とは一味違った新しい味わいが堪能できるウィスキーに仕上がっています。
■マルスウィスキーの生みの親
鹿児島県鹿児島市に拠点を置く醸造業を営む本坊酒造株式会社は、焼酎やワイン、ウィスキーの蒸溜を手掛けています。
本坊酒造が初めて世にウィスキーを送り出したのは1949年(昭和24年)のことで、日本でウィスキー製造が始まった1929年(昭和4年)から20年後のことでした。
そしてこの時に誕生したのが「マルスウィスキー」です。
マルスウィスキーの生みの親は岩井喜一郎(いわいきいちろう)で、ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝(たけつるまさたか)をスコットランドに留学させた人物としても知られています。
摂津酒造の常務であった岩井喜一郎は1937年(昭和12年)に摂津酒造を退任後、1945年(昭和20年)には本坊酒造・顧問の要職に就任しました。
1960年(昭和35年)、岩井喜一郎は同社のウィスキー部門の計画を一任され、山梨でのウィスキー蒸溜工場の設計と指導に携わります。
そして自らも本格的なウィスキー製造に着手したのでした。
こうしてマルスウィスキーが出来上がり、地ウィスキーとして人気を集めます。
しかしこのウィスキー誕生の裏側にはかの有名な「竹鶴ノート」の存在がありました。
■竹鶴ノートを直接受け取った人物
「竹鶴ノート」とはニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝がスコットランドにウィスキー造りを学びに行っていた際に、上司である岩井喜一郎に実習報告書として提出したノートのことです。
1902年(明治35年)に大阪高等工業学校を卒業し、1909年(明治42年)に摂津酒造に入社した喜一郎は、1920年(大正9年)には摂津酒造の常務取締役兼技師長に就任していました。
同じく大阪高等工業学校卒業を間近に控えていた竹鶴政孝は、先輩である喜一郎を頼って摂津酒造に入社します。
優れたウィスキー製造技術者であった政孝は、兵役に就くよりもアルコール醸造に携わらせた方が良いとの判断から兵役を逃れることになります。
当時の摂津酒造は日本でも数少ない洋酒を扱っていた酒造会社でしたが、純国産のウィスキー造りは行っていませんでした。
そこで摂津酒造の社長・阿部喜兵衛と常務の岩井喜一郎は純国産ウィスキー造りを行うため、竹鶴政孝をウィスキーの本場スコットランドへ派遣することに決めます。
1918年にスコットランドにわたって修業を重ね、1920年に帰国した政孝は、帰国後上司の喜一郎にスコットランドで学んだことをまとめた2冊の大学ノートを提出します。
これがあの「竹鶴ノート」で、政孝のスコットランド行きと竹鶴ノートがなければ、現在のジャパニーズ・ウィスキーの繁栄はなかったとまでいわれているほどです。
■竹鶴ノートを保有していた岩井喜一郎
摂津酒造を退社した後も岩井喜一郎は政孝が提出した竹鶴ノートをずっと保管しており、本坊酒造でウィスキーを行うことになって喜一郎が参考にしたのが竹鶴ノートでした。
ノートに事細かに書き込まれた内容をもとに造られたウィスキーはまさに竹鶴製法そのままで、マルスウィスキーは「ヘビーでスモーキーなウィスキー」に仕上がります。
出来上がったウィスキーは、政孝が本物のウィスキー造りにこだわったウィスキーの本場・スコットランドのスコッチ・ウィスキーそのものでした。
マルスウィスキーが地ウィスキーとして、「地ウィスキーの西の雄」との格段に高い評価を受けたのも何の不思議もありません。
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