menu list買取商品 - ピーテッドアラン 2008年 バーボンバレル
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ピーテッドアラン 2008年 バーボンバレルの高価買取致します
ピーテッドアラン 2008年 バーボンバレルのご紹介
買取参考価格 | 6500円前後
生産国 | イギリス |
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生産者名 | アラン蒸溜所 |
地方 | スコットランド |
地区 | アラン島 |
分類 | シングルモルトスコッチウイスキー |
タイプ | 700ml/57.7度 |
アイル・オブ・アラン蒸溜所は1995年にアラン島に約160年ぶりに復活した島唯一の蒸溜所です。
創業者のハロルド・カリー氏はスコッチ界の重鎮で、「自分の蒸溜所をもちたい」という長年の夢を実現させたのがこの蒸溜所です。
アランのピーテッド原酒は毎年少量しか生産されず非常に希少と言われています。
香りは蜂蜜、トフィーの奥からナラのスモークチップで燻したような優しい燻製香が広がり、味わいは仄かに塩味を効かせスモークした薄皮付きのくるみをはじめとする甘味が心地よく広がります。
旨みとスモークが調和した後引くおいしさです。
ピーテッドアラン 2008年 バーボンバレルの歴史
日本でのウイスキーの歴史はどうだったのか
■動乱の世の中をもたらしたきっかけとともに
ウイスキーが日本に初めて入ったのは、1853年、浦賀沖に4隻の軍艦がやってきた時でした。
アメリカのペリー提督が鎖国政策をとる日本に対し、開国するよう迫ってきたのです。
この時の人々の驚きようはものすごく、「太平の眠りを覚ます 上喜撰(じょうきせん) たったしはいで 夜も眠れず」という言葉で表されました。
上喜撰というのは高級なお茶のことで、4杯飲むと夜眠れなくなるということから、たった4隻の異国の船が来ただけで、夜も眠れぬほどの不安を感じているという人々の気持ちを掛け合わせて見事に詠んでいます。
とはいえ、たった4隻というには浦賀沖にやってきた軍艦は大きすぎました。
当時、日本で最も大きな船の25倍もあったのですから、人々が度肝を抜かれたのも無理はありません。
その際、ペリー提督はスコッチウイスキーとアメリカンウイスキーの両方を持参し開国を迫りましたが、幕府に猶予を求められたことで、来年また来ると言って帰っていきました。
そして1年後、ペリー提督は律儀にこの約束を守り、また浦賀沖に姿を見せたのです。
再度訪れた時には軍艦は7隻増え、時の将軍13代徳川家定にアメリカンウイスキーを樽で献上したくらいですから、小さな島国に閉じこもっている日本人を、軍艦だけでなく自慢の酒で驚かせようという意図があったと思われます。
このペリー来航がきっかけで、世の中は開国か攘夷かで揺れ動くことになります。
異国嫌いで有名だった当時の帝・孝明天皇のお気持ちを尊重し、外敵を追い払う攘夷を実施すべしとする長州の過激派が京都で傍若無人の振る舞いを見せます。
これが幕末の動乱を呼び、戊辰戦争から明治維新へとつながるきっかけとなったのです。
■ウイスキーはどうなったのか
ペリー提督が来たことによってその後の日本がどう変わっていったかは広く知られていますので、ウイスキーがどうなったのかということに注目してみることにします。
開国した日本には海外からのお酒として、ウイスキーだけでなくワインやブランデー、ベルモットなどが輸入されるようになりましたが、もっぱら日本にいる外国人のためのもので、総領事館などで飲まれていました。
ただ、ウイスキーは外国人の中でも人気がなく、開国してから50年ほどはほとんど飲まれていませんでした。
明治維新後、戊辰戦争を勝つためにイギリスの支援を受けた薩長が連合して新しい政府を作ったこともあり、イギリスからのウイスキー輸入量が飛躍的に増えます。
それに伴って、だんだんと洋酒をたしなむ人も増えてきました。
旧幕軍として戦い、五稜郭陥落後は一時囚人となっていた榎本武揚は、オランダ留学経験があったこともあって、いち早く洋酒をたしなんでいたとされていますから、政府高官にとって洋酒がステイタスシンボルとなっていたのは推測に難くありません。
イギリスとの密接なつながりにより、ウイスキーはスコットランド産がほとんどだったことから、ウイスキー=スコッチというイメージが日本人の中に生まれるのは時間の問題だったともいえます。
■日本国産のウイスキーは
ウイスキーとは洋酒であり、日本では造らないお酒という固定観念を覆したのが、国産第一号のウイスキーを造り出したサントリーの創業者・鳥井信治郎す。
1911年に海外からのお酒に高い関税を課すことにした政策もあり、日本国内でウイスキーを造ったらどうかという機運が高まったのです。
1923年、京都と大阪の堺にある山崎の地に初めてウイスキーの蒸溜所ができますが、この蒸溜所づくりに奔走したのが、当時は寿屋という社名だったサントリーの創業者・鳥井信治郎と、寿屋に蒸溜技師として勤めていた竹鶴政孝でした。
「日本のウイスキーの父」と呼ばれる竹鶴政孝ですが、サントリーとなる前の寿屋に技師として勤めており、そこで国産第一号のウイスキーづくりに関わっていたのは驚きです。
■ウイスキーブームから注目のスコッチメーカー
情熱を持った二人の男たちによって生まれたジャパニーズウイスキーのおかげで、今や日本は空前のウイスキーブームです。
そのため、まだできて歴史の浅いアラン蒸溜所のことを知っている人も増えています。
「ピーテッド アラン 2008年 バーボンバレル」は、アランウイスキーが送り出したモルトウイスキーで、蜂蜜とトフィーの甘い香りの中から、アランにしては珍しくナラのスモークチップの燻製香が比較的よく香ります。
アランのウイスキーはピート臭が少ないことが特徴でもあるのですが、蜂蜜とトフィーの甘みの中に、スモークによって引き出された旨味を感じることができる、アランの中では異色のテイストが楽しめる一本です。
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