menu list買取商品 - スーパーニッカ (Super Nikka)
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スーパーニッカ (Super Nikka)の高価買取致します
スーパーニッカ (Super Nikka)のご紹介
買取参考価格 | 2000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | アサヒビール株式会社/ニッカウヰスキー株式会社 |
地方 | 東京都 |
地区 | 港区 |
分類 | モルト/グレーン/ブレンデッドウィスキー |
タイプ | 700ml/43度 |
ニッカウヰスキー創業者「竹鶴政孝」が妻への愛と感謝を込めて造り上げたブレンデッドウィスキーです。
水や氷をよくなじむので、ロックや水割りにしてもウィスキーの旨味を楽しみなが飲むことができます。
余市の熟成感のあるライトビートモルトとハチミツのような甘さをもつカフェグレーンが、バランスの良い味わいを生み出しています。
甘く柔らかい香り立ちに滑らかな口当たり、ほんのりまろやかな甘みのあるコクが広がります。
※500ml、380ml、50mlは買取価格が異なります。
スーパーニッカ (Super Nikka)の歴史
愛妻への感謝と愛を込めて捧げる最後の贈り物
■竹鶴政孝が妻・リタへ贈る愛情のこもったウイスキー
「スーパーニッカ (Super Nikka)」はニッカウヰスキーの創業・竹鶴政孝が、愛妻リタへの愛と感謝を込めて造り上げたブレンデッドウイスキーです。
余市蒸溜所で熟成したモルト原酒の中から熟成感のあるライトビートモルトを厳選し、ハチミツを思わせる甘さのあるカフェグレーンが絶妙のバランスを醸し出しています。
水や氷とよく馴染むため、ロックや水割り、ハイボールなどどの飲み方でもウイスキーの旨味を堪能することができる仕上がりです。
口当たりはなめらかで、甘くてやわらかい香りが立ち上ります。
またほんのりとしたまろやかでコクのある甘みは、ウイスキーを飲んだことがないという方にもおすすめしたい一本です。
■リタが亡くなった翌年に発売されたスーパーニッカ
「スーパーニッカ (Super Nikka)」が発売されたのは1962年(昭和37年)10月のことで、その前年の1961年(昭和36年)に竹鶴政孝の妻・竹鶴リタ(スコットランド名:ジェシー・ロバータ・カウン)がこの世を去りました。
政孝がスコットランドに留学中に二人は出会い、親睦を深めるうちに次第に愛情へと変わっていったのです。
家族の猛反対を振り切って政孝と結婚し、リタは遠い異国の地である日本へとやってきました。
すべては「日本で本物のウイスキーを造りたい」という政孝の夢を叶えるためです。
当初は日本でのウイスキー造りを諦めてリタのためにスコットランドに残ると言ってプロポーズをした政孝ですが、彼に日本へと帰国させたのはリタの「私は日本に行ってあなたのウイスキー造りのお手伝いがしたいのです」という言葉でした。
政孝はリタに折に触れてプレゼントを贈って愛情を示し、リタは政孝のために和食や漬物造りに励んだと言われています。
そんな献身的な愛情で支えてくれたリタのおかげで、ニッカウヰスキーは一大ウイスキー企業として成功したと言っても過言ではありません。
まさに「スーパーニッカ (Super Nikka)」はリタのために、そして最後に政孝から贈られた最高のプレゼントでした。
■リタへの政孝の愛情が詰まった悲しくも温かいストーリー
政孝と結婚して日本へとやってきたリタでしたが、当時は国際結婚をするカップルはほとんどいない時代でした。
しかも第二次世界大戦の真っ只中の日本で、リタは当局にスパイ容疑で監視を受けてもいたのです。
政孝はウイスキー製造技術者としてリタのそばにいることができたため、リタをさまざまな迫害から懸命に守りました。
それでも時々リタは「私の目が青ではなく、鼻が高くなければ」と親しい人に話していたそうです。
リタは結婚後一度も故郷のスコットランドに帰ることが叶いませんでしたが、政孝への愛情が揺らぐことはありませんでした。
料理や日本文化を勉強する傍ら、日本語の習得にも一生懸命に取り組んだと言われています。
しかし彼女を苦労させたのは政孝を「マサタカサン」と呼ぶことでした。
スコットランドに留学中、リタは政孝のことを「マサタカ」と呼んでいましたが、日本では妻が夫を呼び捨てにすることは良しとされていなかった時代です。
何とか「マサタカサン」と呼ぼうと努力したリタでしたが、なかなか思うように発音できません。
そして彼女が行き着いたのが政孝を「マッサン」と呼ぶことでした。
このマッサンは後にテレビドラマのタイトルとしても使用されることになります。
「スーパーニッカ (Super Nikka)」はリタが亡くなって憔悴しきった政孝が、リタへの感謝を込めたウイスキーを造りたいと奮起し、自ら余市蒸溜所にこもって造り上げたウイスキーです。
ウイスキー造りには息子の竹鶴威(たけつるたけし)も加わり、さまざまな種類のモルトの組み合わせを試した結果生まれました。
政孝はリタの亡き後、自らの死期に際して家族に「国際結婚だけはするなよ」と言い残します。
自身が国際結婚をしたことを悔やんでの言葉ではなく、日本人である自分と結婚したことでリタに大きな苦労をかけたことを後悔する気持ちから発せられた言葉でした。
そんなリタへの感謝と愛情、そして懺悔の気持ちが「スーパーニッカ (Super Nikka)」には込められています。
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