menu list買取商品 - スーパーニッカ (Super Nikka) ロートレックボトル
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スーパーニッカ (Super Nikka) ロートレックボトルの高価買取致します
スーパーニッカ (Super Nikka) ロートレックボトルのご紹介
買取参考価格 | 5400円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | アサヒビール株式会社/ニッカウヰスキー株式会社 |
地方 | 東京都 |
地区 | 港区 |
分類 | モルト/グレーン |
タイプ | 500ml/43度 |
コレクターズアイテムとして人気の白磁(はくじ)ボトルです。
白磁は、白素地に無色の釉薬をかけた磁器の総称で、高温の還元炎で焼き上げて作る磁器の一種でもあります。
ボトルには、1892年に発表されたロートレック作「 ル・ディヴァン・ジャポネ 」のポスターが描かれています。
このポスターは、当時流行していた日本の趣味を取り入れた居酒屋「日本の長椅子(ディヴァン・ジャポネ )」というお店のために描かれたものです。
スーパーニッカ (Super Nikka) ロートレックボトルの歴史
コレクターに人気のスーパーニッカロートレックボトル
■コレクション性の高い希少な特級ウイスキー
「スーパーニッカ (Super Nikka) ロートレックボトル」はモルトとグレーンをブレンドしたブレンドウイスキーで、すでに終売品となっていることからコレクターたちの間ではコレクターズアイテムとして人気があります。
ボトルには白素地に無色の釉薬をかけた磁器の白磁(はくじ)を使用し、1892年に発表されたロートレック作「 ル・ディヴァン・ジャポネ 」のポスターが描かれたデザインとなっているのです。
まだウイスキーに級別表示があった頃の発売された商品のため、ボトルの裏に貼られたシールには「ウイスキー特級」の表示とアルコール分43%、原材料はモルト・グレーンの表記があります。
ロートレックが描いたこのポスターは、当時流行していた日本の趣味を取り入れた居酒屋のために描かれたものです。
ボトルの右上部に書かれている「Divian Japoneis」とは「日本の長椅子(ディヴァン・ジャポネ )」という意味で、長椅子を取り入れたお店を描いたデザインが注目を集めました。
■スーパーニッカのボトルは芸術性でも優れた商品
「スーパーニッカ (Super Nikka) ロートレックボトル」は560~570年代の中国にまで歴史が遡るとされ、青磁の製造技術の完成と共に発展したのがこの白磁だとされています。
スーパーニッカにはほかにも有田焼の色絵をボトルに配した商品がありますが、磁器である有田焼も総称して陶器ボトルと呼んでいました。
「スーパーニッカ (Super Nikka) ロートレックボトル」もコレクターが多い商品ですが、有田焼のボトルに詰めたスーパーニッカも高い芸術性からコレクションしているファンが少なくありません。
ニッカのウイスキーに使用されるボトルが美しい理由は、ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝の「ボトルは花嫁衣裳である」との考えに基づいています。
大切に造り上げたウイスキーを出荷するというのは、政孝にとってはまさに手塩にかけて育てた娘を嫁に出すようなものです。
そのためにはボトルを美しく着飾り、華やかに送り出したいとの想いが込められています。
■感謝と愛が詰まった愛妻に捧げたウイスキー
「スーパーニッカ (Super Nikka) ロートレックボトル」を含む「スーパーニッカ」シリーズは、これまでさまざまな原酒をブレンドしたブレンデッドウイスキーが発売されてきました。
しかしどの銘柄もすべては1962年(昭和37年)10月に販売された「スーパーニッカ」からつながっています。
1961年(昭和36年)1月16日、ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝の愛妻・リタは北海道余市郡余市町で64年の生涯を閉じます。
1896年(明治29年)12月14日にスコットランド・グラスゴーで生を受けたリタは、スコットランド名でジェシー・ロバータ・カウンと言います。
リタは通称で、医師の父と妹、弟を持つカウン家の長女として誕生しました。
政孝と出会ったときのリタは第一次大戦で婚約者を失った悲痛の時期でしたが、妹のエラが弟のラムゼイの柔道の指南役として連れてきた政孝との対面を果たします。
政孝は日本から持ってきた鼓を手に、ピアノが趣味だったリタとよく一緒に演奏していました。
政孝との交流を深めていくにつれてリタは婚約者を失った悲しみを忘れ、次第に異国からやってきたウイスキー造りに情熱を傾ける若者に惹かれいくことになります。
一方政孝もリタに心を寄せ、リタのためにスコットランドに残ることを決意してプロポーズをします。
しかしリタは政孝について日本に行き、ウイスキー造りのお手伝いをしたいと告げたのでした。
そして二人は周囲から祝福を受けることなく登記所で結婚式を挙げ、日本へと帰国します。
帰国した政孝はウイスキー造りに生涯を傾けますが、そのそばにはいつもリタの姿がありました。
リタが亡くなったときに政孝の姿は、それはそれは悲痛なものだったと息子でありニッカの2代目マスターブレンダーの威(たけし)氏は語ります。
リタが亡くなって憔悴しきった政孝は自室に閉じこもる日々から抜け出したのは、リタに感謝と愛を込めた「リタに捧げるウイスキー」を造ることを決意したときでした。
余市蒸溜所の研究室と貯蔵室にこもり、さまざまな原酒をブレンドして完成したのが「スーパーニッカ」です。
リタへの想いが詰まったウイスキーの完成を目にしたとき、政孝の胸に去来した想いはどんなものだったのでしょうか。
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