menu list買取商品 - 余市 10年 シングルカスク ニッカ
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余市 10年 シングルカスク ニッカの高価買取致します
余市 10年 シングルカスク ニッカのご紹介
買取参考価格 | 55000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | 余市蒸留所 |
地方 | 北海道 |
地区 | 余市町 |
分類 | シングルカスクモルト |
タイプ | 750ml/59% |
シングルカスクウイスキーは、特別に選ばれたひとつの樽のモルトウイスキーをそのままボトリングしたものです。
こちらの「シングルカスク余市10年」は、世界唯一のウイスキー専門誌が開催するコンテストにおいて、「ベスト・オブ・ベスト2001」という栄誉にも輝きました。
一樽から出来るボトルの本数はごくわずかであるため、ラベルに記されたナンバーと同じ樽番号に出会うことはほとんどないと言われており、どれもが希少な1本です。
フルーティーさと樽の甘さ、軽いビターがコクを感じさせ、穏やかなピートの余韻を味わうことができます。
余市 10年 シングルカスク ニッカの歴史
ニッカが日本でのウイスキー作りの場所を余市にした理由は?
■竹鶴政孝のウイスキー作りへの挑戦
NHK朝の連続テレビ小説「マッサン」のモデルとなったのが、ニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝であることは、このドラマによって広く知られるようになりました。
竹鶴政孝にさきがけてウイスキー作りに取り組んでいたのが、ジャパニーズウイスキーの二大巨匠と呼ばれるもう一人の人物・サントリーの鳥井信治郎ですが、「マッサン」にも登場したものの、いかんせん竹鶴政孝の妻・リタをモデルにしたエリーが主役だったことから、ニッカウヰスキーの知名度を押し上げることになったのは、テレビの絶大な影響力のせいといえるでしょう。
そんな竹鶴政孝は、もともと広島県の醸造家に生まれたこともあって、生粋の職人気質の持ち主でした。
サントリーの鳥井信治郎が商才に長けており、世の中の流行やこれからはやるであろう品を見極める、先見の明を備えていたのに対し、ウイスキーに対する情熱を持つという点においては同じでも、竹鶴政孝の関心はひたすらスコッチウイスキーを作ることに向けられていたのです。
大正という時代に単身、スコットランドに乗り込んでいき、つたない英語を駆使して雇ってくれる蒸留所を探し歩いた竹鶴政孝が、いかにすごい人だったかが分かろうというものですが、ちっぽけな島国からやってきた風変わりな東洋人にしか見えなかったであろうスコットランド人たちから、はねつけられ続けたのも無理からぬところです。
そんな中、東洋の国から単身乗り込んできた勇気を買って、ついに雇ってくれる蒸留所が見つかりました。
竹鶴政孝は、この日から本場・スコットランドのウイスキー作りについて、文字はもちろんのこと、絵や図も描いた詳細なノートを取り始めます。
これがのちに「竹鶴ノート」と呼ばれ、今もニッカウヰスキーの宝として大事に保存されているということです。
実に詳細に書き記されたこのノートからは、竹鶴政孝のウイスキー作りにかける情熱と几帳面で真面目な性格の青年であったことがよくわかる、貴重なものといえます。
■まずはサントリーでウイスキー作りに着手
日本に戻った政孝は、サントリーの前身である寿屋の鳥井信治郎に見込まれ、ウイスキー作りを共に行うことになります。
生粋の技術者である政孝は、本物のスコッチウイスキー作りにこだわる一方、商才に長けた鳥井信治郎は日本人の口に合った売れるウイスキーを作らなければ意味がないと考える、実利主義者でもありました。
とはいえ、鳥井信治郎がウイスキー作りをただの商売と考えていたわけではなく、ウイスキーという外国のお酒のおいしさを日本人に知ってもらいたいという情熱は、政孝に負けないものがあったのです。
ただ、そこには商人気質を持った鳥井信治郎と、職人であり続けた竹鶴政孝との間に溝を作り、それが埋まることはありませんでした。
竹鶴政孝はサントリーで国産第一号のウイスキー作りに携わったのち、己の目指すウイスキー作りができる場所を探して、北へと旅立って行ったのです。
■妻のリタが常に一緒に
妻となったリタとは、スコットランドでウイスキー作りを学んでいるときに知り合いました。
竹鶴政孝のひたむきなところに魅力を感じたリタは、政孝とともに日本に行くことを決心します。
当時、海外から日本へ行くことには非常に多くの勇気がいったことでしょう。
けれど、政孝にとって非常に心強かったのは間違いありません。
北海道の余市が、政孝がウイスキー作りを学んでいたスコットランドの気候によく似ていたことから、ここでウイスキー作りを始めた政孝ですが、当初からウイスキーの製造会社だったわけではありません。
まずは「大日本果汁株式会社」としてリンゴジュースなどを手掛けます。
この間に、ウイスキーの原酒を作り続けたわけです。
ただ、リンゴジュース作りが苦難の連続でしたので、ようやくウイスキー作りに乗り出すことが出来たときの政孝とリタの喜びは、さぞかし大きかったことでしょう。
そして1940年、ついに政孝が求め続けた「ニッカウヰスキー」が誕生したのです。
■余市で作り出した特別な一本
ニッカウヰスキー北海道工場余市蒸溜所で作られた「シングルカスク余市10年」は、一つの樽のモルトだけを特別に選び、そのままボトリングしているのが特徴です。
一つの樽から作られる本数はごく少数なだけに、稀少価値の高いニッカウヰスキー自慢の逸品です。
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