menu list買取商品 - 余市 1986 シングルモルト ニッカ
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余市 1986 シングルモルト ニッカの高価買取致します
余市 1986 シングルモルト ニッカのご紹介
買取参考価格 | 250000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | 余市蒸留所 |
地方 | 北海道 |
地区 | 余市町 |
分類 | シングルモルト |
タイプ | 700ml/55% |
ニッカウヰスキー余市蒸溜所で1986年に蒸溜・樽詰めし、同蒸溜所内で貯蔵・熟成させたのがシングルモルトウイスキー「余市1986」です。
アサヒショップにて2006年に500本限定で販売されましたが、予想以上の人気と国際的ウイスキーコンテスト「ワールド・ウイスキー・アワード(WWA)」の日本のシングルモルト部門最優秀賞にあたる「ベスト・ジャパニーズ・シングルモルトウイスキー」を受賞したことを受け、2007年に追加リリースされた430本の貴重な限定品です。
WWA2007「ベスト・ジャパニーズ・シングルモルトウイスキー」のロゴマークを配した特別仕様のラベルボトルとなっています。
余市 1986 シングルモルト ニッカの歴史
金色に輝く琥珀色が美しいウイスキー
■濃厚な味わいとまろやかな口当たりが愛される理由
「シングルモルト余市1986」は、北海道・余市にあるニッカウヰスキーの余市蒸溜所において、1986年に蒸溜し樽詰めされたシングルモルトウイスキーです。
余市蒸溜所内で貯蔵され、しっかりと熟成させた「シングルモルト余市1986」は、濃いゴールドと透明感ある琥珀色が輝く、大変美しいウイスキーとなっています。
澄み切った華やかな香りは、まるで一斉に花が咲いたかのようで、甘い蜜の香りが漂うように広がるのが特徴です。
ピートの香りや樽の熟成による甘いバニラの香りに加えて、チョコレートやシロップのような濃厚な味わいも楽しめます。
さらに、ピートが持つ特有のスモーキーなハーブの風味が一層深い味わいを醸し出しています。
長い熟成期間を経たまろやかな口当たりは、大変飲みやすく、多くのファンに愛されているウイスキーです。
■日本のウイスキー造りに夢を賭けた二人の日本人青年
ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝が、スコットランドでウイスキー造りの基礎を学び、技術を習得したことは有名ですが、政孝の「日本人の口に合うウイスキーをつくりたい」という夢と同じ思いを抱く、もう一人の青年がいました。
現在のサントリーの創業者である、鳥井信治郎その人です。
信次郎は丁稚として酒造問屋で働きながら、まだ日本では日本酒がお酒の主流であった時代に、既にワインや洋酒に触れていました。
まだ珍しかった洋酒類を見ながら、いつかはこの洋酒に人気が出る時代が来ることを確信していたのです。
そこで、信治郎もまた洋酒造りを学ぶため、ウイスキーの本場・スコットランドへ渡りました。
スコッチウイスキーの権威であるムーア博士を訪ねた信治郎は、ウイスキー造りを学び、日本で日本人の味覚に合ったウイスキーをつくりたいという旨の話をしたところ、ムーア博士は意外なことを教えてくれたのです。
ムーア博士の話によると、信治郎が来る前に、すでに一人の日本人青年がスコットランドで修業をし、ウイスキー造りのノウハウを習得して帰って行ったということでした。
信治郎がその人物に大変興味を抱き、会ってみたいと思ったであろうことは、想像に難くありません。
そして、ムーア博士が教えてくれたのが竹鶴政孝だったのです。
その後帰国した信治郎は、1899年に大阪で「鳥井商店」を開業し、ぶどう酒の製造販売を始めました。
1921年には「株式会社 寿屋」を創立し、「日本人の味覚に合った洋酒をつくり、日本の洋酒文化を切り拓きたい」という夢をかなえるべく、洋酒造りに邁進していました。
■ジャニーズウイスキーのキーパーソン
政孝は広島県竹原市で酒造業を営む家に生まれ、学生時代に洋酒の魅力に目覚めて摂津酒造(のちに宝酒造に吸収合併されます)に入社しました。
信治郎と政孝が出会ったのは、政孝が摂津酒造に勤めていた時代で、鳥井商店と摂津酒造の間で取引が行われていたことがきっかけです。
スコットランドでウイスキー造りを学んで帰国したものの、摂津酒造は不況のあおりを受けてウイスキー事業が頓挫してしまいました。
失意の中摂津酒造を退社した政孝に、ウイスキー造りへの参入を模索していた信治郎が声をかけたのです。
そして、政孝を山崎蒸留所の指揮官に誘ったことによって、サントリーのウイスキーは誕生することになりました。
政孝は山崎蒸留所の建設当初から10年間、信治郎の元でウイスキー造りに専念しましたが、サントリー社内に後継者や技術者が育ち、契約期限の10年が過ぎたことにより退社しました。
そして、政孝自身が理想とするウイスキーを造るために、スコットランドと似た環境の北海道余市町に大日本果汁を設立し、のちのニッカウヰスキーの創業に至ったのです。
それぞれに理想を描いて作り上げた信治郎のサントリーと政孝のニッカウヰスキー。
その創業者である二人の努力がジャパニーズウイスキーの歴史そのものと言っても過言ではありません。
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