menu list買取商品 - 余市 1990 20年貯蔵 シングルモルト ニッカ
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余市 1990 20年貯蔵 シングルモルト ニッカの高価買取致します
余市 1990 20年貯蔵 シングルモルト ニッカのご紹介
買取参考価格 | 180000円前後
生産国 | 日本 |
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生産者名 | 余市蒸留所 |
地方 | 北海道 |
地区 | 余市町 |
分類 | シングルモルト |
タイプ | 700ml/50% |
「余市1990」は、ニッカウヰスキー余市蒸溜所で蒸留され、満20年の貯蔵を経たモルトウイスキーのみをバッティングした、2010年リリースの数量3,500本限定ヴィンテージモルトウイスキーです。
冷却ろ過をせずにびん詰めを行う「ノンチルフィルタード製法」を行うことで香味成分が豊富に残り、より複雑な味わいが楽しめるように仕上がっています。
内容量700ミリリットルで、力強く重厚な味わいを実現するためにアルコール度数50%でボトリングされました。
余市 1990 20年貯蔵 シングルモルト ニッカの歴史
今や人気はハイボールに至るまでの紆余曲折
■人気のお酒は時代によって変わる
お酒の流行も、ファッションなどと同じように時代とともに変わります。
もともと日本は日本古来のお酒として米で作った日本酒がありましたので、お酒といえば日本酒でしたが、幕末の外国船の来航や、その後の明治維新に伴い、権力者の間で洋酒を飲むのがステータスと考えられるようになります。
幕末、浦賀沖にアメリカ軍艦がやってきて、ペリー提督が時の将軍にウイスキーを献上したという記録が残っていますし、榎本武揚といった海外へ留学した経験を持つ人物はいち早く羽織袴の和装を脱ぎ捨て、洋服を着用し、ワインを好んだとも言われています。
戦後は日本でもビールやワイン、ウイスキーにブランデーといった洋酒がどんどん入ってきて、新しもの好きな人々が試しては、口に合う、合わないと侃侃諤諤の論争を繰り広げました。
中でも顕著だったのはワインで、海外から入ってきたワインは辛口で日本人の口には合わなかったことから、日本人の口に合う甘いワインをと考えて作りだし、大成功を収めたのがサントリーの創業者・鳥井信治郎でした。
彼が考えた「赤玉ポートワイン」が、日本人の口に合い、売れに売れたことから、サントリー社内では「赤玉ポートワインに絞って生産し、発売を強化すべきだ」という重役からの声が聞かれたとされています。
そんな鳥井信治郎は、かつてスコットランドで本場スコッチウイスキーの作り方を学んできた日本の青年、竹鶴政孝をサントリーの前身である「寿屋」に招き、国産ウイスキーを作ったことがあります。
この時は、竹鶴政孝の妥協を許さない姿勢と、鳥井信治郎の「売れるウイスキーを作ってくれ」という姿勢が真っ向から衝突し、結局は中途半端なものしか作れず、国産第一号のサントリーのウイスキーは惨憺たる結果に終わったのです。
そのことが、重役たちの反対につながっていたのは言うまでもありません。
この失敗作となったウイスキーは、サントリーの鳥井信治郎はもちろん、ウイスキーが出来るまでという契約で寿屋に行った竹鶴政孝にとっても、苦い経験になったことでしょう。
■ワインにこだわらなかった鳥井信治郎と北へ向かった竹鶴政孝
赤玉ポートワインが大ヒットしたにもかかわらず、「これからはウイスキーの時代や」と、子供のころから常に言われてきた「やってみなはれ」の精神を発揮し、鳥井信治郎は豊富できれいな水が湧き出る山崎の地を見つけ出します。
そして、この地に山崎蒸留所を作ったのです。
その後、この蒸留所から生まれた「角」は、その独特の瓶もあって、大人気となりました。
現在のハイボールブームの火付け役は、鳥井信治郎の「やってみなはれ」精神によって誕生したと言えます。
一方の竹鶴政孝は、スコットランドによく似た気候であるという理由から、北海道は余市に自らの蒸留所を作ります。
この地で竹鶴政孝は、どうしても譲れなかったこだわりのスコットランドのモルトウイスキーを生み出し、今ではサントリーと双璧を成すジャパニーズウイスキーの二大メーカーとなったわけです。
二人とも、チャレンジ精神に富み、決してあきらめない粘りと根性を持っていたことが、日本のウイスキーを、世界をうならせる5大ウイスキーの一つにしたといっても過言ではないでしょう。
■その後はどうなったのか
国産第一号の寿屋のウイスキーが散々な結果になってから、余市へ向かった竹鶴政孝と、その後、山崎に蒸留所を作り、角という大ヒットウイスキーを作り出した鳥井信治郎との間に、どのような交流があったかはわかりませんが、竹鶴政孝は自伝に「鳥井さんなしには私のウイスキー人生はなかった」と語っています。
二人は考え方は違えども、ウイスキーに対する情熱は同じだったのでしょう。
だからこそ、現在のサントリーとニッカウヰスキーがあるといえます。
その後、竹鶴政孝が余市に作った余市蒸留所からは、ノンチルフィルタードの「余市1990」が3500本限定でヴィンテージ発売されるなど、サントリーに負けない上質のウイスキーを作り出していきます。
商才豊かでときに破天荒な発想の鳥井信治郎と、頑固で融通が利かず、本物のウイスキー作りへのこだわりが誰よりも強かった竹鶴政孝がいなければ、現代人がおいしい国産ウイスキーのハイボールを楽しむことはできなかったかと思うと、二人の残した功績の大きさを改めて考えさせられます。
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