menu list買取商品 - 余市 ウッディ&バニリック 余市蒸留所限定 シングルモルト ニッカ
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余市 ウッディ&バニリック 余市蒸留所限定 シングルモルト ニッカの高価買取致します
余市 ウッディ&バニリック 余市蒸留所限定 シングルモルト ニッカのご紹介
買取参考価格 | 5000円前後
生産国 | 日本 |
---|---|
生産者名 | 余市蒸留所 |
地方 | 北海道 |
地区 | 余市町 |
分類 | シングルモルト |
タイプ | 500ml/55% |
「余市 ウッディ&バニリック(WOODY&VANILLIC)」は、余市蒸溜所で販売された限定ボトルのシングルモルトウイスキーです。
蒸留所のみで販売されるため、基本的には店頭で入手することはできません。
ノンエイジにしては濃い茶褐色で、若い原酒ならではのアルコールの刺激が感じられますが、香りはその名の通りバニラの甘みやメロン、樽材のホワイトオークの香りが訪れます。
同じコンセプトでは、他のラインナップに「シェリー&スイート」や「ピーティ&ソルティ」がございます。
※買取相場は、市場の相場状況や買取方法などによって上下変動いたしますので、予めご了承ください。
余市 ウッディ&バニリック 余市蒸留所限定 シングルモルト ニッカの歴史
日本のウイスキーの歴史を知れば行きたくなる場所がある
■日本のウイスキーの歴史を作った人物
竹鶴政孝という名前を聞いて、「あれ?「マッサン」は亀山政春じゃなかったっけ?」と思った人は、同じく妻の名前がリタではなく「エリー」だと思ったことでしょう。
また、サントリーの創業者は「鴨居欣次郎」だと思っていた人も多いのではないでしょうか。
NHKの朝の連続テレビ小説「マッサン」が、すでに始まっていたウイスキーブームに更なる火をつけたと言われていますが、「マッサン」とはニッカウヰスキーの創業者であり、「日本のウイスキーの父」とも呼ばれる竹鶴政孝をモデルにドラマ化しています。
ドラマ化されるにあたって、実在の人物名ではなく、モデルとした人物の名前にちなんで役名が考えられることは多く、「鳥井信治郎」の鳥井が同じ鳥を使った「鴨居」になっているところなど、まさに目の付け所が秀逸です。
また、妻のリタについては、エリーの方がお茶の間には聞き取りやすかったと思われます。
そんな竹鶴政孝は、「日本のウイスキーの父」としてよく知られていますが、1879年生まれの鳥井信治郎に対し、竹鶴政孝は1894年生まれです。
つまり、15歳ほど鳥井信治郎の方が年上だったわけです。
そのため、のちに竹鶴政孝は自伝に「鳥井さんがいなければ、日本で民間人によってウイスキーが作られることはなく、私がウイスキー作りをすることもできなかった」と語っています。
日本のウイスキーの父と呼ばれる竹鶴政孝をして、鳥井信治郎なくしては自分という存在はあり得なかったと言わしめるほど、その存在は大きかったといえます。
もし、日本に鳥井信治郎という商才豊かな商売人がいなければ、竹鶴政孝は再びスコットランドに行き、そこでウイスキーを作っていたかもしれないと思うと、鳥井信治郎と竹鶴政孝はジャパニーズウイスキーの歴史を紐解く上で欠かすことのできない、車の両輪といっていい存在です。
■日本には二人のウイスキーの父がいるということ
日本での国産ウイスキーの第一号を販売したのは、当時寿屋洋酒店と呼ばれていた、鳥井信治郎が創業した現在のサントリーホールディングスです。
鳥井は大阪に生まれ、当時の尋常小学校に通っていましたが、4学年飛び越えて高等科に編入したといいますから、並外れた頭の良さを持っていたことがうかがえます。
大阪の米穀商の家に生まれたことで、あきんど気質を知らず知らずのうちに身に着けていったと思われる鳥井信治郎は、その後、洋酒を商う薬種問屋小西儀助商店へ丁稚奉公に出ます。
この店は、現在は接着剤製造のコニシとなっていますので、えらく方向転換したものです。
若干20歳で「鳥井商店」を開業し、7年後には「寿屋洋酒店」に改名、スペイン産の葡萄酒を輸入販売するも全く売れなかったため、日本人の口に合うワインを作ろうと思い立ち、赤玉ポートワインを生み出しました。
鳥井信治郎は27歳の若さで実業家として成功し、赤玉ポートワインは大正後期には国産ワインの60%を占めるまでの大ヒット商品となったのです。
けれど鳥井信治郎のすごいところは、赤玉ポートワインの大成功にもかかわらず、次には国産ウイスキーの製造に情熱を燃やし始めます。
浦賀沖にペリーが来航した際、将軍に献上されたのが、最初に日本にウイスキーが入ってきたときだとされていますが、日本人の口にははななだ合わないお酒だったようです。
そればかりか、日本にできた海外の領事館においても、好んで飲まれたのはワインやビールで、ウイスキーは人気がなかったとされています。
寿屋が製造に成功した国産ウイスキーの第一号「サントリー 白札」は、スコッチウイスキーの作り方を学んだ竹鶴政孝を迎えて作ったものの、大失敗に終わります。
けれど、第二次大戦後は日本にすっかりなじみ、鳥井信治郎のサントリーと竹鶴政孝のニッカウヰスキー、さらにはオーシャンやキリン・シーグラムといったメーカーがしのぎを削るようになります。
現在では、最終的にはサントリーとニッカウヰスキーが残ったという印象です。
■ニッカウヰスキーのウイスキーは大人気
テレビによる大きな影響によって、ニッカウヰスキーはたちまち注目を集め、特に創業者の竹鶴政孝の名前をとった「竹鶴」シリーズは大人気です。
政孝がこだわった余市という場所に作られた蒸留所では、しばしばここでしか買えない限定販売のウイスキーを作っており、どれも手に入りにくい高価な値段で取引されています。
「余市 ウッディ&バニリック(WOODY&VANILLIC)」もそんな限定ウイスキーの一つで、余市蒸溜所で販売された限定ボトルのシングルモルトウイスキーのため、基本的に余市蒸留所でしか買えませんが、大手インターネットショッピングサイトでわずかながら残っており、購入が可能です。
発売当時の価格に対し、現在はプレミア価格となっていますが、貴重な限定発売のニッカウヰスキーだけに、できれば手に入れたい人も多いのではないでしょうか。
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